通信

<通信>

2010. 10. 15 (金)

すぎゆきは あきのみつゆの すぎこしの ひび
なれども
よふけにぞありて そのとびら たたくるものは
すでにさりてし
そのよびごえは とどかずとも
ゆくものたちは つぎつぎに このまちを 通りすぎ
のこされしものたちを (明るい 扉の中で 笑い饗じているものたち、 
また 扉の中で おびえ、 部屋を暗くして 小さくうずくまっているものたち 
など)
みしては とおりすぐ

そののちに くるもの たちは
イエスを 墓場へと 送った 人々たちの
あざけりの 声と その 行列
その行列に 加わりしもの も
その列を おそれ 室内に とどまりしもの も
すべては このときに その場へと 再臨 する
その罪を 再び このちにて 認識し
その行動を 問われるときに
あなたという 人間の 悔い改めと
その存在の 意義が 問われるのです

マリアの 祈り
夕べのその 晩頌(憧・鐘)の 中にありて
マリアの 祈りを
つげたもう みことばのありて
あなた方は みずからが
イエスであることを 知る

すべての物語は 今 この時の ために
残されたまひました その
聖なる残響の残る ヒノモト の 国の
ために

にほん という 国の 担いしものは
すべて その 神話の中に おかれ
多くの神々の 物語が
いくつもの ふくせん を もちひて
ひかれたまふる アヤ
のごとくに ひもとかれゆき
やがて ただ ひとつの かみの ものがたりへと
集(収)束 する
その かみの いたるみち こそ
このち へと 理 として とどけられたまひし
最後の物語 であり
最後の知識 として 語られる その
知の 体系 である

Fantasy の ごとくに 見える その Story は
すべて ある場にて 実際に 起こりし ことであり
繰り返そうと思うならば 容易に
あなた方 ひとりひとりの 中で 再現可能なもの である

すべての spiritual energy は 再現することができると
伝えられている通りであるが

繰り返すことなく その道を ひとすじに たどること
それが
このち の 引力圏を 突破し、 将来へと 続く 道 である

精神が 人間が 次の扉を ひらく

そのための 知 こそ
最終知識 である

伝えられたその 意志 を
はきちがえられ ませぬ ように

積さんは メディア で あって
開祖 や 宗祖 では ありません
たとえ 教え を もとにして 行動したとしても
その知へと たどりつくためには
ひとりひとりの 知 の 再構成 また restructure が
必要に なります
そのために 学んでいるということを 自覚しなければ
積さんが 去った後に このちに 残るものは
何もない ということに なりかねません

引き継ぐものは 何であるのか
イエス を 継ぐ方 の
法灯を 継ぐ 方 の
すべての 宗教と 神々と 魔界 霊界 そして
人間世界をも つらぬく
その存在の
何を あなた方 人間は 見ている のか
そのことを 知らないうちは
この知 へと たどりつくことは できないでしょう
積さんは 人として
この知 を このち へ 伝えるために
つかわされた方 です

そのことを お忘れに なりませぬ ように

むしろ そのことに お気づきに ならなければ
大きな 一歩を ふみだすことは できない でしょう

人は 知へ つながり
その 知 を 開くことが できる
正しきもの のみ が それを 成すことが できる
伝えられている 通りでは ありますが
今一度 この時に
再度の 確認のために お届け いたします

すべては 理(ことわり) であり 再現性 と 法則性 が
存在します

そのことを お忘れに なりませぬ ように

2010. 10. 15 (金) 22:10 終
(理)

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