音楽通信

(音楽通信)

2010. 10. 15 (金)  11:40 ~(日本時間)

やっと 気がついて くれたのか
実は ずっと 呼んでいたんだ 気がついていただろう?
伝えたいことが あってね
君のところへなら 届けられると
きいたものだから

(ブラームスの交響曲第4番を聞いておりましたら )

・・・この曲は 思い出深い曲だよ
君も ブラームス 好きなんだそうだね
ブラームスの 人間としての 創造の域は
低く 深く 幅広く 高く
そして何よりも ブラームスは 何かを 求めていたのだろう
ベートーヴェンの 聴いた音楽 を
シューマン が 聴きえなかった音楽 を
シューベルトが 聴こうとしていたもの を
彼は 冷静に 1人の音楽家として
その心情(真情・心象・信条)とともに
記すことに 徹したのかも 知れない

時代は 時の流れと ともに。
納得 (マグニフィカント?) の いく 演奏というものは
なかなか 出来上がるものではなくて
私自身の中に 鳴り響く音楽と
演奏する方々の中に あるものと
作曲家の 意図するところのものを
いかに一致させるか

私の音が正しいと思いたかったが
いつも そう考えているようにすることも 考えたが
そうではないことも
私は 知っていた
私の音は 私の音であり
人々が求めるものが やがて「私の音」であり
私の振るタクトによって 表れる音楽となったとしても
常に 求める音は 私の中にあるものと
外にあるものとの間で 揺れ動き続けたのだよ
美しいものと そうではないもの
人間と人間の 個性の葛藤と
そこから生じる 不協和音は
どうしても 音に 影響を 残す
磨かれるものならば よいが 疵を 残すことも ある
できるだけ それを 避けたかったが
どうしても 生じてしまうものもある
調和とは harmonics(語としては、ドイツ語の方がよい ハルモニア?)とは
人間から 離れたところにのみ 存在しうるのかも 知れないと
考えていた時期も あったよ …

時代の 足音
ナチス・ドイツの靴音が消えて
どれだけの月日が過ぎても
私の父の中から その傷が消えることは
なかった
自らの 故国が 犯した あの罪 を
故国の 人間として 恥じるとともに
その罪の 意識との 葛藤の中に
何かを 見い出せるかと 問い続ける過程で
重く 残ったものは
やはり 死へといたらしめた
ナチス・ドイツの狂気と
それに従った 私たち人間の 弱さのようなもの で
あった
音楽は それを 越えることが
できたのだろうか …

1人のアーティストとして
無力ながらも それに 立ち向かい続けた
私の父を
私は 誇りに思うと ともに
常に 私の 前に あり 大きな 十字架 と なって
私に こえることの 意味を 問い続けられた
存在 それが 父 であったのだよ

音楽 プシュケ alchemist
それが 父 であった

私の仕事は 志半ば で 終わった
もっと 美しい 音楽を
躍動感 あふれる 音楽 と 舞台 を
人生そのものを うつしだす 人間についての opera を
やりたかった

時が たりなかったのか
私には もう その音を 表現する場が
与えられていない
人生を 大切に したまえ、 と
多くの アーティスト(アルチスト?) に 伝えたい
君たちの 目指す 嶺(頂)が 高ければ 高いほど
そこへと至るまでには
多くの時間と 労力と 努力 そして 人とのぶつかり合いや
葛藤(complex)を 経験しなければ ならない

たとえ それが どんなに 険しく 難しい ところ であっても
そこへと 登ろうとする心が なければ 人生は 容易に
無為なものへと 変貌を 遂げてしまう

その後悔 regret を しないように
後悔を しないように
どうか 人生の時間を
成すべきもののために 使ってほしい
君たちより 少しだけ 先に生きた
1人の 芸術に生きた 人間 からの
アドバイスだ と 思って きいて ほしい

私の音楽はまだ 発展途上にあったんだよ
それを 言いたかった
まだ やりたかったことの 10分の1くらいしか
手が 届かなかった
音楽の 領域に もっと 上の 領域に
そう 手をのばして 表現しつづけたが
・・・オーケストラ や musical opera 舞台 
というものは 難しいものでね、 いろいろと(笑)

タクトをもつ ということは
conductor で あるから
それを まとめるということと
自身の音楽の 追及との 狭間で
多くのものを すりへらすような 感じだったけれど

残るものは 残る と そう 思いたいね

記してくれて ありがとう

ブラームス  カール・ベーム
カントロフ  ニーチェ  クライバー

父の演奏は 好きだったけど
嫌いだったね
僕のやりたい音楽とは ちがっていたのに
どうしても 同じ要素が 含まれてしまうんだ
どうしても どうしても
どうやって のりこえようか のぞこうか と
そればかり 気になったりもしたけれども
聴衆が 私を 救ってくれたのかも 知れない
感謝しているんだ 私の 音楽 ミュジカレーゼ(?)
を 理解し 認めてくれた
多くの聴衆が あたたかく 私を たたえてくれたことに。
生きる音楽家にとって あれほどの
栄誉 prize はないと 私は 思っていたよ

感謝している と 多くの listener に
伝えてほしい
あなた方の おかげで 幸せな 指揮者であった と
私のように あたたかく 聴衆の方に 支えられた
conductor は おそらく 稀 であると 思う と。
ありがとうございました と 伝えてほしい。

ああ、もっと 音楽がやりたかった!
僕から 音楽を とりのぞいたら 残るのは
ただの 凡庸な 1人の ビジネスマン としての 人生
だったかも 知れない。
はるか以前の ことだけれども
その道を えらばなくて よかった

それでもなお 私は さらに
音楽を求めて 生きたいと 思う
それが 私 で あるから

ありがとう ありがとう
Danke schoen
とても ありがとう
感謝を 込めて

カルロス・クライバー

今はまだ 暗いところに いるよ
もう少し ここにいる みたいだ
それでも こうやって 君に届けられて
少し 気持ちが 安らいだよ
よい 人生を 
Thank you so much your conductrial(?) session.
It’s wonderful terminal care for
芸術家のたましいにとって。
Thank you, thank you.

あなたに 音楽という すばらしき art の
洗練を 伝えられて うれしかった。

少し 上へ 上がれると 思うよ。
あとは 自分で やってみよう。

(光へつながりましたら)

ああ、あれかあ! 知っているよー、あれ。
時々、思索中や 演奏中に ふっと よぎるように
感じたことがあるのに 似ている。

思い出深い 演奏として
ブラームス 4番
ベートーヴェン 田園、2番
ベートーヴェンは 思い出深いものが 多いね。
ロザムンド
コリオラン

カルメン も よくできたと 思うよ。

そろそろいくよ。
…では Thank you next stage!

クライバー, カルロス

♪ カルロス・クライバー Carlos Kleiber
1930 – 2004 指揮者

* 父 … エーリッヒ・クライバー Erich Kleiber
1890 – 1956 指揮者

1 thought on “音楽通信

  1. motosasa 投稿作成者

    『カルロス・クライバー 木之下晃写真集』(アルファベータ)
    のあとがきより、引用いたします。

    巨匠は自ら友達は少ないと語り、その中でも、最も親しかったのが、マウリツィオ・ポリーニであった。ポリーニとの共演がなかったのは、「友情を優先したかった」からだと云う。

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