S・B・M に携わるものとして

先日、maikaeruさんがご自身のブログ、
「かえるものがたり」に「変化」と題して書いていらしたことと関連して、
S・B・M に携わるものとして 私も記しておきたいと存じます。

私がS・B・Mに携わること、それ自体が悔い改めであり、学びであり、
さらに私自身が救済されることである、と認識しております。

実際、S・B・Mの現場で出会うエネルギーや問題は、
その時点で自らが向き合っている問題と、
似通っている場合が多々ございますし、また、S・B・Mを通して、
自らの問題を解決するためのヒントをいただいたく場合も、少なからずございます。

2010年3月26日に公開されました
光文書vol.180にも掲出していただきました通り、
S・B・Mを行うということは、その方の
「たましいの光の美しさ」にふれることであり、
その美しさを知ることによって、
私自身の罪深いたましいが救済される機会をいただいている、
と感じております。

実際にS・B・Mの現場に出させていただいた折、
いつも終了時には、そのお客様を通して、多くの学びと気づきをいただき、
新しいテーマを発見し、それが次へとつながっていきます。
インストラクターとは申しましても、お代を頂戴して、
その上学ばせていただいている、
さらに、感動させていただいているというのが、実際です。

自らが受信した文書を引かせていただいて、恐縮ですが、
S・B・Mに限らず、精神学を学び、
自らの道で はたらく ということ その中に

「 そこに 自分の 問題を 解決するための 方法が
  そこに 自分の 罪 を つぐなう ための 何か が
  ある 」

のだと、考えております。
はたらくこと は 救済 だと感じております。

私自身も、学びの途中の段階にあるものですが、
これまでの学びの中で感じたこととして、記させていただきました。

人の身体に 触れさせていただく 触れることを 許していただける
そのこと自体が ありがたいことだと思います。

( motosasa 記 )

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