「私であること」

「私が私であること」の理由のひとつに、今日気がつきました。それは「知りたい、学びたい」というごくシンプルなものでした。知ることが好きなのです。「真理」を知りたいのです。それを幼い頃から、続けてきただけのように感じます。
そこには「他の人はどうなのか」ということは存在せず、ただ、自分が知りたいから勉強したいから、というシンプルな理由しか本来はありませんでした。

積さんと初めてお会いした時に言われた言葉を、昨日思い出していました。
「こころの振幅が大きいから、鬱になるんだよ」

それは、『最終知識』 第五章 精神の免疫 p420-421に記されていることであろうと考えています。

「深く感じるという特性は、傷つきやすさや繊細という言葉で表現するとエモーショナルなものに見える。しかし、深く知れると表現するなら、知性の領域にはいってくる。知ることができれば、対策がつくれる。人間は、その創造力を与えられている。」

ようやく、自分のこの部分を「資質」として、与えられたものとして、感謝できるようになりました。それと同時に「人間はある種のエネルギーのメディアになっている」ということも、理解できました。

自分と「自分でないもの」を分けること、そして「鏡」としての自分が何を写すかということ。精神学で学んだことを、ひとつひとつ実学として、この社会の中ではたらいていきたいと存じます。

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