「死者の書」という呼称は、19世紀後半にドイツのエジプト学者カール・リヒャルト・レプシウスの書物によって「エジプト学」に定着したそうです。古代人はこの「呪文集」のことを<日の下(ひのもと)へ現れ出るための書>と呼んでいたらしい、といいます。ヒエログリフの「ペレト・エム・ヘルウ」という一説は「日の下へ現れ出ること」と訳すことができるそうです。
オシリス神の前で行われる「死者裁判」では、天秤の左に死者の心臓が、右には真理・真実の象徴であるマアト女神の羽が乗せられ、計量をされたといいます。心臓は死者の現世での行為そのものを象徴し、「真理・真実」と釣り合うかどうかが問題とされるのです。
女神の名でもある「マアト」は「真理・真実・正義・秩序」をあらわす古代エジプト語で、死者裁判の行われる部屋は「二つの真理、完全な真理の間」と呼ばれていたそうです。
(『図説エジプトの「死者の書」』村治笙子・片岸直美=文、河出書房新社刊 を参考にいたしました)