「私であること」2

連休らしいお出かけを、という家族の提案で、近くのお山にある広場にお弁当を持って出かけました。はじめは留守番をするつもりだったのですが、甥っ子の誘いは断れず、同行することにしました。家族みんなで草スキーをしたり、野球をしたり、バドミントンをしたり、お花を摘んだり、小川で小魚を探したり…。その後、みんなで思い思いに好きなお弁当を食べました。

いいお天気だったので、三世代そろってお昼を食べる光景が、広場のあちこちで見られました。私はなぜか、子どもさんに声をかけられることが多いのですが、今日も「草スキーの上手な滑り方」を教えてもらったりしました。

途中、ひとりで山や藤棚の中を歩きました。
日本また世界の各地に、山の神をはじめ、さまざまな自然の神々の伝承が伝えられています。また、植物の精霊といわれるものの存在も、伝えられています。各地の先住民と呼ばれる方々をはじめ、自然の中で暮らす方、またなんらかの能力をお持ちの方であれば、それらの存在も感知できるはずです。しかし、現代に生きる多くの人々の間でなぜ、その存在とのふれあいが少なくなっているのか・・・。

私の問いかけに対して、「愛」である、と伝えられました。
「愛してくれたから、こうして接することができる…」と。
そしてそれは、「私という人間が、私であること」の、大きな理由のひとつでもあるのです。

精神学の大きなテーマのひとつとして、『アーストラスト』があります。
精神学を学び、このような体験をさせていただき、『アーストラスト』が想定されていることの必然性の一部を理解することができました。そしておそらく、『アーストラスト』は、人間にとっても、自然つまり地球や宇宙にとっても、幸せなことであるはずです。

「愛されたかったら、愛される人になりなさい」という、ことばを思い出しました。

しろたえのふじのはなさく ふじのたかねのゆきつもりて
あたたかきみよのひかりにふれ ひめのおとづれに かんしゃとしゅくふくの
かぜのまひ を まふ  <ふじのはな>

コメントを残す