ももたろうの軌跡 Ⅲ

支部立ち上げも無事終わり、その一週間後には次の勉強会が待っていました。八月最後の日曜日、九州での勉強会へ参加をして、翌日、九州のへそとも言われる、創建 悠久の太古(約一万五千年前からの起源がある)の幣建神宮へ参拝いたしました。本殿に進み、その次に天神木へ向き合った時でした。世界一の巨桧の前で、突然、頭の中に「あの時、みんなで約束をしたであろう。」という言葉がはいってきたのでした。と同時に、胸から溢れるものを感じ、声を抑えて泣いていたのでした。なんとも言えない懐かしい空間と、自分の今に至るまでの行ないにたいして、謝罪をしている自分がいました。そして、その境内の書き物を読んだとき、頭のふたが一つ開いたような気がいたしました。その内容は、

「この地は、悠久の太古、地球上で人類が生物の王座に就いた時、この人類が仲良くならないと宇宙自体にヒビが入ることになる。これを天の神様がご心配になって、地球の中心、幣建神宮に火の玉に移ってご降臨になり、その所に芽生えた万世一系のヒノキ(15,000年の命脈をもつ、日本一の巨桧)に、ご降臨の神霊がお留まりになった。太古の神々(人類の大祖先)は、大自然の生命と調和する聖地としてここに集い、天地・万物の和合なす命の源として、祈りの基を定められた。そして、世界五色の地球人類の祖神がここに集い、御霊の和合をはかる儀式を行ったという。その祖先が願った想いが、現在も息づいております。その和合の儀式を行っていたという伝承から、今でも地球規模で、この平和を願うお祭りが、毎年この地で、“八月二十三日”に執り行われております。」
と、いうことでした。まさにこの天神木の存在の意味が、私の生きている人生のテーマへと繋がり、支部設立日の意味への気づきができた瞬間でもありました。そして、八月二十三日の支部設立という日は、天の配剤として、準備はされていたということにも気づきました。

前にも書きましたが、私の人生の転換月はい、いつも八月でした。大きな事柄だけでも、交通事故や、母が去ったこと、、体調不良、夫婦の危機、見えない世界の存在を知ったこと。そして、一番大きな転換の、精神学協会の門をくぐったことでした。ですから、流れを振りかえっただけでも、生まれてきた意味を知るための旅は、すでに順序だてて始まっていたということになります。今、手元に子供のころに持ち歩いていた(読んでいたとは、言えないので)聖書があります。表紙裏などのメモ書きをみますと、子ども心に、本当に純粋に祈っていたのだというエネルギーを感じます。そして、その裏に、「神は、なんでこんなことをされるのであろう。」という、当時の気持ちも蘇ります。たとえ、源氏、平家と家筋は違えども、親子四人で平和に暮らしていた時期がありました。このような幸せを、なぜ取り上げるのでしょうと。しかし、人間が離散という方向へ進むのには、人間のエネルギーの混在によりそれが発生するという法則が、それなりにあるということと、また、神が取り上げたのでもなく、すべて人間自らが選択をしているという自覚も、最終知識と精神学協会での学びで、やっと知りました。五十年という時間の物語がないと、解かりえなかったという仕組みも自分のプログラム。そして、そのことを知ると、次は担うという事が、待っているということも。

嘗て、五色人が御霊の和合をはかっていたことを、人の魂の中には刻印されているはずです。なぜ、人はそれを維持、持続できないのでしょう。三輪山においても、「和合」というテーマは同じく、家族、社会、国、地球、・・・の礎となるものが欠け、最終知識的に言うと、地球はもとへかえせと言っている。「あの時、みんなで約束したであろう。」という声に、我を取り戻すことにより、担うという責任があることに、更に向き合うことへの、加速を増していっていたのでした。

続く

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