『光の精神に成る。』9

2011年8月15日は、「最終知識が成立する」と記述のある2001年8月15日から10年経つ日である。
10年ひと区切り、又は12年(干支)ひと区切り、になるのか。
2000年の世紀が終わり、聖書の時代が黄昏を迎えて、新たな時代に突入して然るべきなのに、ひと区切り分遅れている。
聖書の言うように各予言者がたくさん現れている。
内容は2012年とか、何年後とかに何かあるというけれど、時代の変化は速度を上げている為、すでにいつ何が起こっても、不思議ではない感がある。
逆に変化が速い為、起こっている変化に自意識がついて行かず、大きな変化に突然ビックリするのかもしれない。

人は自分の幸福や理念が正しいと思いたがり、それが永遠に続いてほしいと願う。
自分の子孫ならなおさらでしょう。
しかし、文明は結構早く衰退する。国も思ったよりも早く崩壊する。
人から人へ時代が渡される時、今までに支えてきた人の高い精神にあった根幹が、伝承されなくなり、技術やテクノロジーも形だけになり、伝えなければならない記憶も失われていく。

法律や約束ごとを交わしても、人が替われば、組織が替われば、記憶が伝達されなくなり、数代でなくなる。
今の人も便利な、清潔な、楽な世界が何十年と何百年と何千年と続いてほしい、続くと思っている。
思っていない人でも自分の生きている間は、困難な時代でないことを願っている。
そして年をとれば子や孫に財産を残し、少しでも楽に生きられる様に願っているのが普通かも知れない。
でも他方で、未来の子供たちに借金処理と放射能の物質を管理させ、少子化の世を作り出し、地方を疲弊させた分、結果として自分たちの時代を裕福に暮らした。
どこかで元に巻き戻す働きがあるというのを心の奥底で感じながら暮らしてきた。

お金(マネー)を仕組んでいるものは、衰退することなく何世紀の間、人から人に情報と管理のやり方を伝え続けられるものだなと、私は密かに感心しています。

ドルに印刷された神の「全てを見通す目」はなぜ、1つの目なのだろう、と疑問に想っていました。
エジプトからのラアー神の目からかも知れないけれど、ひとつだけの目とはなぜだろうと、考えていました。

人は1つの目だけでも見える。でも1点だけ見えていない点がある。
「盲点」である。「盲点」とは視神経の関係で網膜に像が映らない為、見えなくなる点である。
これを脳と左右の眼球がカバーして真実の姿をチェックしている。
この神の「全てを見通す目」が1つの目なのは、「神のおごり」だと考えています。
本当は1つ目だけでは「盲点」を含んでいて、神はそれに気が付かない。
真実を見ているつもりが全て真実でなく、その原因は「神自身のおごり」にあった。
『神や神々が失敗した原因はこの、おごり、ほこり、自分が真実で正しいと信じ込んだ癖にあった』のではないかと考えています。

密教ではマンダラが有名ですが、代表は2種類あります。
「金剛界」マンダラと「胎蔵界」マンダラで、どちらも「大日如来」を中心に教えを伝達する仏や守る仏がいます。
流れは全て「大日如来」から外向きで、「金剛界」は真理の力と守護を、「胎蔵界」は慈悲と癒しを教えています。
でも「大日如来」が間違っていればどうなるか。「ニセの大日如来」が入ってきたらどうなるか。
「大日如来」は全ての根源であるから間違えることがない、といういわれますが。
でも、もし中心が間違っていれば、まず側近の仏たちは気が付かない。
一番早く気が付くのは大外にいる仏たちであろうと想います。
この間違いに気が付いた仏たちは「おかしい、間違いだ」という情報を中央に伝達しても、「大日如来」には届かない。
この原因は 「随時チェックし、その結果をフィードバックする機能(システム)」 を作っていないから。
『間違いが起これば直ちに修正する為に、情報をフィードバックする働きが欠けている。』

「これもまた仏、仏たちのおごり、ほこりだ」と考えます。

人も、神、神々、仏、仏たちと同じで、最後の最後に気付くのは、
自分の目指した夢の実現に負荷をかけ、足を引っ張っているのは
『自分自身のおごりとほこりと自尊心』であった、ということでしょう。

『自分を傷つけていたのは私だったのか。』
と気付いた時、天地がひっくり返る衝撃が走るのです。

気が付くのは、自分が死ぬ直前か、死んだ後か、生きている間か、年を取って動けなくなった時か、若い時か。
気付かないより気付いた方がよい。
早目に気が付いたほうが良いと考えます。
その時の後の行動が違ってきて、周りの反応も変わってきて、運命が変わってくるから。
悔い改めが生きている間に、できるからです。
ミエル

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