予想と預告 

2010年12月1日
予想と預告 

小さい時より自分は人より運が悪いと感じていました。
親友たちに相談しても、そう思い込むからだとか、慰めてくれたが、実際はどう?と聞き直すと、確かに、運が人より悪いね。と口をそろえて皆が言う。
自分でも思い込まない様にして、しかし客観的にみても、やはり物事に何か邪魔が入り、思ったことがスマートに達成できない、9割はそんな人生でした。
それ故、先に未来を予想しようとする癖がつき、成功を考えては行動するのですが失敗する。なぜ?他の要因が入って来て、邪魔されることが多い。
予想は外れる、97%くらい外れていました。
ところが稀にあたるものがある。
たまにしか起きないのですが、なんとなくという感じみたいなもので、しかしこれは事前に知っていた感じがするものは、100%当たっている。
自分でそうならないように行動しても、結果は予期していた通りになってしまう。プラス結果であればいいけれど、大体マイナス予期で必ずそうなる。
SF小説や漫画にある未来を変える行動するみたいにやっても、予期していた通りになる。
それはひょっとして、預告にたぐいのだったのかと精神学協会に入って確信してきました。
自分の予想も当たり始めました。
精神学協会に入ってから、未来予想がハズレ度97%がアタリ度90%くらいに逆転してきました。

不思議なこと
・預告みたいなことは必ず起きる。
・起きた現象は同じような、似た現象がもう一度起こる。(2度起こる)
・最近、2度起こる現象の時間が短くなってきた。
 (数年前までは10~15年だったのが0.5年~1年の感じ)

11月11日あたりに通勤途中、バイクに乗っていたら、
「黙示録を受け入れる用意(準備)ができた。」とおなかの底の方から聞こえました。
「黙示録って、それは最後の審判と最後の一厘を含みますか。」と尋ねると
・・・・応答なし、でした。
さっきの言葉はアナウンスみたいなもので、呼び鈴というか、お迎えの準備が整ったという、お知らせみたいなものだな、と考えました。
しかし、それを聞いた自分はまだ動けず、事が扉の外に待っているのですが、これは内側のこちらから扉を開かなければ、スタートしないということはわかっていました。
天の用意と地の用意が整っても、人が内側から扉を開かなければ失敗に終わる。しかし、実際には決まった時間が迫っている。
ただなんとなく、まだ少しその時期でもない、そんな感じがしてブログにも書きませんでした。

 映画「トロン」です。
ブログを書こうと思ったのは映画「トロン:レガシー」(12月17日公開3D)のコマーシャルを見たときでした。
4年程前から28年前の映画「トロン」が気になり何度もレンタル屋でビデオやDVDを借りてみても途中で寝てしまい、完全に見たことがない。
ずーと、ずーと気になりながら、今日まで来ました。
そして、コマーシャルを見て、新しいトロンの映画のロードショーを知った時、
次の扉のキーみたいな感じがしました。
「トロン」の映画の内容ではなく、2つ目の「トロン」が出るということ。
又はそれを私が見終える、ことで私にとって次の扉が開くのかどうか。

この世は物語であり、ロールプレイングゲームの様なものであるみたいだと感じています。
ストーリーがあり、ヒントがあり、キーワードがあるのですが順序があって、1つずつ、言われたとおりに素直に行動しないと扉が開かない。結果、エンディングまで行けない。
もう1つ、プレーヤーがプレイをしないと物語は終わらない。

この物質宇宙は精神宇宙を反映している。
この2,000年は神の物語の終わらせる為に人間ができた。
神→人へ、共に働きたいと願う神とその人が少ないと嘆き、怒る神。
しかし、頼りは人なりき。
クニトコタチ、トヨクモヌは責任は自らにあり、怒りの矛先も嘆きの原因も自分にあると自覚して、天の創造主にお詫びして、この地を支えた。
結局、人ごとと目覚めない人間は、なぜ目覚めないのかと人間に怒っている神の写し鏡の様に思えてならない。
責任は自らにあるという自覚のクニトコタチ、トヨクモヌの大神の分身が人間に宿れば、人の目覚めが起こり、理に約束された御国が新たな世が開けるだろう。
そんな気がします。

映画「トロン:レガシー」を見たら、「黙示録の受入れ」を受けるつもりです。
 ミエル

コメントを残す