『聖母マリア様』

2011年04月05日
『聖母マリア様』

この一カ月ほど前から聖母マリア様のイメージが頭から離れない。
イメージは最初、
①、4~5名のシスターが古い小さな教会の裏の畑みたいな土地で、地面に下を向いて立って、1人の代表と他の者で祈っている姿
②、聖母マリア様の姿(子を心配そうに見守る)
③、ローマ法王の姿

この3枚のイメージが同時に浮かび、特に②の聖母マリア様の絵が一番大きくて消えない。
言いたいことはたぶん「正しい知識(真理)の確固たる信じる心、揺ぎ無い心」みたいでした。
人は普通に暮らしていても、御利益、結婚、出産(生)、死、その目的に合わせて、神や仏に対して願う相手を変えています。もし、大惨事になったらどの神、どの仏に願うのでしょうか。
日頃は大惨事を避けるためにどの神や仏に祈るのですか。そして大惨事に遭遇すれば、その神や仏を恨むのでしょうか、またはあきらめるのでしょうか。

この日本の土地はクニトコタチの御神体であり、この岩盤の上に神社もお寺も教会もみんな成り立っている。もしクニトコタチが立ち上がれば守って下さいとお願いしていた神や仏など(建物など)、ひとたまりもない。
ひとたまりもないのに守ってあげるよと言った、神や仏や霊たちは子孫や氏子に対してうそを言っているのか、それともなるべく願いを聞き入れようとして努力しているだけなのか。本当の真実、真理を知っている神、仏、霊ならば、子孫や氏子に真実を教えてあげるべきだと思います。
間違った解釈をして死んでいった神や仏や人たちは、霊となってもその信仰を正しいと認識し、正しいからなおさら何百年経っても働きかけてきます。

聖母マリアの心配そうな顔は、大災害が自分や家族に友人に起きた時、本当の正しき真理(知識)をもって、揺ぎ無い心で立ち向かえますか?
今までのあなたが家族が守ってきた生き方や知識や信仰は、間違ったものなので、それを認め修正できますか?
もし修正できないのなら、正しき考え方に生き方に変えられないのなら、変えられる時まで天地は連動し災厄難事を予告通りに実現するでしょう。
しかし改められたなら、御国はその後にやってきます。
そんな感じでした。(心配この上ない感じ。でも油断はできない感じ。)
日本の人は良く考え、価値の大転換をしなければいけないと。生き方、人生、死の基準となる価値を正しき知識に照らし合わして方向を転換せよ、と言いたげな感じです。

私は最後の審判の、最後の一厘の後に来る御国の世は、ひょっとして神も仏も悪魔も霊も人も都合よく、期待していたものとは少し違うものではないか、というそんな気がしています。
最後の審判では神も仏も悪魔も霊も人も、間違った考えや行いや言葉は否応なく指摘される。認めて修正するか、しないかは自由です。
しかし修正するなら間違っていた部分は悔い改めることになる。受け入れたものには御国の世に働けるチャンスがある。
修正しないなら地獄行き。(問題は自分が正しいと認識しているから、正しい自分が地獄に行くなんてありえないと。いつまでも罪を認めない意固地さが苦しみを増大させていることに気付かない。)

願わくば、どうかどうか、日本国のツミ・トガ・ケガレをハライタマイ、浄化してください。
そして聖なる光の風をもって人の扉を開けてください。
全ての人が聖なる光の風吹くおやしろとなりますように、お願い申し上げます。

日月神示
『理(リ)が(カミ)の御能(オンハタラキ)ぞよく見極めねば間違うぞ。』

ひふみ祝詞 (※太祝詞)
「ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のます、あせゑほれけ」

中臣大祓詞
高天原(たかまのはら)に神留(かむづ)まり坐(ま)す皇吾親神漏岐神漏美(すめらがむつかむろぎかむろみ)の命以(みこともち)て八百萬神等(やほよろづのかみたち)を神集(かむつど)へに集(つど)へ給(たま)ひ神議(かむはか)りに議(はか)り給(たま)ひて吾皇御孫命(あがすめみまのみこと)は豊葦原瑞穂國(とよあしはらのみずほのくに)を安國(やすくに )と平(たひら)けく知食(しろしめ)せと事依(ことよ)さし奉(まつ)りき此(か)く依(よ)さし奉(まつ)りし國内(くぬち)に荒振神等(あらぶるかみたち)をば神問(かむと)はしに問(と)はし給(たま)ひ神掃(かむはら)へに掃(はら)へ給(たま)ひて言問(ことと)ひし磐根木根立草(いわねきねたちくさ)の片葉(かきは)をも事止(ことや)めて天(あめ)の磐座放(いわくらはな)ち天(あめ)八重雲(やへぐも)を伊頭(いつ)の千別(ちわき)に千別(ちわき)て天降(あまくだ)し依(よ)さし奉(まつ)りき。

此(か)く依(よ)さし奉(まつ)りし四方(よも)の國中(くに なか)と大倭日高見(おほやまとひだかみ)の國(くに )を安國(やすくに )と定(さだ)め奉(まつ)りて下津磐根(したついわね)に宮柱太敷(みやばしらふとし)き立(た)て高天原(たかまのはら)に千木高知(ちぎたかし)りて皇御孫命(すめみまのみこと)の瑞(みづ)の御殿仕(みあらかつか)へ奉(まつ)りて天(あめ)の御蔭日(みかげひ)の御蔭(みかげ)と隠(かく)り坐(ま)して安國(やすくに )と平(たひら)けく知食(しろしめ)さむ國内(くぬち)に成(な)り出(いで)む天(あめ)の益人等(ますひとら)が過(あやま)ち犯(おか)しけむ種種(くさぐさ)の罪事(つみごと)は天津罪(あまつつみ)と畔(あぜ)放ち(はなち)溝埋(みぞうめ)樋(ひ)放(はな)ち頻蒔(しきまき)串刺(くしさし)生剥(いきはぎ)逆剥(さかはぎ)屎戸(くそへ)許許(ここ)太久(だく)の罪(つみ)を天津罪(あまつつみ)と法り別(のりわけ)て國津罪(くにつつみ)とは生膚斷(いきはだたち)死膚斷(しにはだたち)白人(しろひと)胡(こ)久美(くみ)己(おの)が母(はは)犯(おか)せる罪(つみ)己(おの)が子(こ)犯(おか)せる罪(つみ)母(はは)と子(こ)と犯(おか)せる罪(つみ)子(こ)と母(はは)と犯(おか)せる罪(つみ)畜(けもの)犯(おか)せる罪(つみ)昆虫(はうむし)の災(わざわ)ひ高津神(たかつかみ)の災(わざわ)ひ畜(けもの)仆(たう)し蠱物為(まじものせ)る罪(つみ)許許(ここ)太久(だく)の罪出(つみいで)む。

此(か)く出(いで)ば天津宮事以(あまつみやごとも)ちて天津(あまつ)金木(かなぎ)を本打(もとう)ち切(き)り末打(すえう)ち断(た)ち千座(ちくら)の置座(おきくら)に置足(おきたら)はして天津菅麻(あまつすがそ)を本刈(もとか)り断(た)ち末刈(すえか)り切(き)りて八針(やはり)に取裂(とりさ)きて天津(あまつ)祝詞(のりと)の太(ふと)祝詞事(のりとごと)を宣(の)れ。
(※太祝詞をこの間に祈りあげてもよい。)

此(か)く宣(の)らば天津神(あまつかみ)は天(あめ)の磐戸(いわと)を押披(おしひら)きて天(あめ)の八重雲(やへぐも)を伊頭(いつ)の千別(ちわき)に千別(ちわき)て聞食(きこしめ)さむ。

國津神(くにつかみ)は高山(たかやま)の末低山(すえひきやま)の末(すえ)に登(のぼ)り坐(まし)て高山(たかやま)の伊褒理低山(いぼりひきやま)の伊褒理(いぼり)を掻(か)き別(わ)けて聞食(きこしめ)さむ。

此(か)く聞食(きこしめ)してば罪(つみ)と言(い)ふ罪(つみ)は有(あ)らじと科戸(しなど)の風(かぜ)の天(あめ)の八重雲(やへぐも)を吹(ふ)き放(はな)つ事(こと)の如(ごと)く朝(あした)の御霧夕(みぎりゆうべ)の御霧(みぎり)朝風夕風(あさかぜゆうかぜ)の吹(ふ)き掃(はら)ふ事(こと)の如(ごと)く大津辺(おほつべ)に居(お)る大船(おほふね)を舳解(へと)き放(はな)ち艪解(ともと)き放(はな)ちて大海原(おほうなばら)に押(お)し放(はな)つ事(こと)の如(ごと)く彼方(をちかた)の繁木(しげき)が本(もと)焼鎌(やきがま)の利鎌(とがま)以(もち)て打(う)ち掃(はら)ふ事(こと)の如(ごと)く遺(のこ)る罪(つみ)は在(あ)らじと祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)ふ事(こと)を高山(たかやま)の末低山(すえひきやま)の末(すえ)より佐久那太理(さくなだり)に落(お)多岐(たぎ)つ早川(はやかわ)の瀬(せ)に坐(ま)す瀬織津比賣(せおりつひめ)と云(い)ふ神大海原(かみおほうなばら)に持出(もちい)でなむ。

此(か)く持(も)ち出(い)で往(い)なば荒潮(あらしほ)の潮(しほ)の八百道(やほぢ)の八潮道(やしほぢ)の潮(しほ)の八百曾(やほあひ)に坐(ま)す速開都比賣(はやあきつひめ)と云(い)ふ神持(かみも)ち加加呑(かかの)みてむ。

此(か)く加加(かか)呑(の)みてば息吹戸(いぶきど)に坐(ま)す息吹戸主(いぶきどぬし)と言(い)ふ神根國、底國(かみねのくにそこのくに)に息吹(いぶき)放(はな)ちてむ。此(か)く息吹(いぶき)放(はな)ちてば根國、底國(ねのくにそこのくに)に坐(ま)す速佐須良比賣(はやさすらひめ)と云(い)ふ神持(かみも)ち佐須良比失(さすらひうしな)ひてむ。此(か)く佐須良比失(さすらひうしな)ひてば罪(つみ)と云(い)ふ罪(つみ)は在(あ)らじと祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)へと白(まを)す事(こと)を天津神國津神八百萬(あまつかみくにつかみやほよろづ)の神等共(かみたちとも)に聞食(きこしめ)せと白(まを)す。
ミエル

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