「天使の仮面と悪魔の仮面」(考察編1)

タイトル
「審判」というベクトルと浄化作用-2

 「最後の審判(その日、その時)=最後の一厘(立て替え、立て直し)」についてずっと考えきました。
「最後の審判=最後の一厘」を
①プログラムがアルと知っていて、ナイとするもの。
②知らないので、初めからナイとするもの。
③どちらでもヨイ、とするもの。
④知らなくても、アルとするもの。
⑤全て仕組みを知っていて、必ずアルとするもの。
①と⑤は正反対。②と④は信じて動くもの。③修行、お勉強なので根源神とつながればよれでよいとする。(日本の宗教、1番多いかも)
⑤は聖書や預言、うしとらの金神(うらみ神伝説)であり、支持層は日本では一番少ないでしょう。

日本において、ほとんどの宗教関係(神道、神社、仏教、やスリチュアル系(宇宙系、地球内部、霊のチャネリング)は「最後の審判=最後の一厘」など存在を議論する姿勢など関心がない。根源神と繋がることが、たましいの全ての目的であり、繋がれば光を受け幸福になり、気持ちも向上し、それで良しとする。おそらく地球が壊れても、それも学び、修行と位置付け、地球破壊の責任とメカニズムの追及を考えることをする必要がない、みたいです。
根源神は地球の再生に失敗したのではないのか。だから人に宿り、さらなる光の彼方からの神の到来を願ったのではないのか。

 もう13年ほど前に奥琵琶湖で1人、朝霧の中、ブラックバス釣りをしていました。
朝日が射してくると、私の足元には数千、数万匹の稚魚(アユかも)が朝日にキラキラ輝いていました。地球に生まれ出たことを喜んでいるようでした。地球も小さな命たちに愛を与え、いっしょに喜んでいるようでした。朝日は祝福の光を贈っていました。
釣りを止めて、帰りの車で涙が出て何時間も止まらなかった。生命は地球という星で生まれたくて生まれ、地球は生み出すことに喜びを感じている、地球自身は小さな生命1つにも、自分を犠牲にしても生み出したかったみたいです。
数千、数万のいのちの喜びと、地球のうれしさと、太陽の祝福。確かに全宇宙をつらぬく愛という意思が存在すると確信した、できごとでした。
その地球が壊れてもそれも修行のひとつ、または根源神つながれば勝手に良くなっていく、という責任のない立場は、絶対あり得ない。上記の経験からそう感じます。

③の中でチャネリングで声を伝えるものは、「光につながれば良くなる。地球が悪くなっているのは人類が幼いからだ。」といわれる場合が多い。どのような行動が悪化の原因であり、具体的にどの部分を改善せよとは言わない。いっしょに働く気などないではないかと思う。アドバイスだけをくれて警告だけして心配しているが、あなたたちの責任ですといってのける。地球の環境、経済の悪化の原因を教えてくれない。(どうもわからないみたいです。都合の悪いことはチャネリングに応えないのでしょうか。)
過去の歴史の闇の真実を言ってくれない。本当に高次元なのか。知らなくて知っている風な言い回しをしているだけなのか。正直に真実を教えてくれない。

「最後の審判=最後の一厘」を考えます。
99.9%同じ2つの物語、99.9%神仕組みをコピーしても、残りの0.1%「最後の審判=最後の一厘」がコピーできない。
残りの0.1%「最後の審判=最後の一厘」が、アル世界(物語)と、ナイ世界(物語)を聖別する。
 地球、世界、経済、生活、人間環境、人生、ポリシー、誇り、モラル、命、身体、健康などなど、すべてに「審判」(メカニズムの解明と責任追及)がアルという立場とナイという立場。何が変わってくるでしょう。
・覆水盆に返らず(過ぎた時間は完ぺきに戻らない)と
・「悔い改めれば、許される」(イエスさま)を掛け合わせると
過去を認め、未来を光らせること。これは現在の自分しかできないこと。その方向性を示すものは「審判」「一厘」という↑やじるし、が示している。のではないでしょうか。

 知るということは担うということ。
「審判」「一厘」がアルとする人(内容を知らなくてもアルを受け入れる人)は意識、行動、身体、人生、環境、経済において、闇の過去を浄化し光の未来へ、動き始めるのではないかと考えています。
しかしアルという人も、天(精神界)との繋がりが重要で、天(精神界)に正式に繋がっていなければ、人の想像世界でしかなく、結果、魔界・魔境・霊界・錬金術・修験・人の念や呪、気の迷路・に落ち、出口がわからなくなる可能性が高くなります。

電車の中で眠りかかっていると、「正式に天(精神界)に繋がっていない、霊界系(神社、寺、修験)の御利益を求めるもの、占い、まじない、の類で求め動くものは、やればやるほど、負荷の多い方向に動く。」と突然、浮かんできました。
「審判」というベクトルと浄化作用-3へつづく
ミエル

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