おシャカ様と生命の樹(世界樹)

2010年2月13、14日
おシャカ様と生命の樹(世界樹)
 ここ2週間ほど、御利益と人間が求める幸福というもの、それをかなえるという神、仏とはなんだろう。と考えていました。
私の、イエス様と同じように好きな、おシャカ様はどのように考えられていたのだろう。とずっと気になっています。
人間は幸福を求める。神や仏は素直な人間を喜び、幸福にすると約束する。幸福にならない苦しい時は人間の考えと行いが原因だと説く。素直に従えば、幸福になるという。人間も御利益がほしい。人間が求める、幸福とはなんですか。神や仏がとく幸福とはなんですか。
たぶん、人間は幸福ともう一つ、永遠というものがほしいらしい。神や仏に仕える方々も永遠の幸福になれるように、御祈祷します。
しかし、おシャカ様は悟りとは涅槃(消滅)に至るを知ることだと言われたのではないか。永遠はないと言われたではないのですか。イエス様もクニトコタチの神様もひつくの神様も、最後の審判、最後の一厘を伝え、すべては裁かれると言われています。
 ものがたりに章があるように、区切りになるまとめが存在する。でも人間は都合のよい解釈をして、それをカミ、ホトケ、アクマ、が叶えると、思い込んでいる。なぜです。正統な神、仏、悪魔も永遠はないと伝えているのに、人間は永遠の幸福を叶えてくれる、カミ、ホトケ、アクマこそ、崇拝する対象だと、思っている。
 おシャカ様は人はなぜ苦しむのか、とういうところから出発されました。四門出遊(しもんしゅつゆう)です。おシャカ様は論理的に考えれば幸福も苦しみも永遠というものはない、と説かれています。
しかし生、老、病、苦、の四苦から人は逃れたい。人生をうまく全うし、子供達、子孫の繁栄を望み、死にたい。子孫の繁栄は永遠にしてほしい。神様、仏様。
何のために人は生、老、病、苦に出会うのか。それを現代の神様、仏様は避けてくださるという。しかし他方で、人生は学ぶために生まれてきて、生、老、病、苦に出会えば、それも学びであり、そして死んでまた生まれ変わるという。何度もなんども。何のために学んでいるのかという、答えはない。これが永遠に続くのが真理みたいに言っている。
 正統な神、仏、悪魔は光の宇宙にさり、光のものとして働かれています。
 難ぎな相手は、人間が求め創造したカミ、ホトケ、アクマとそれに関係している人間です。
最後の審判、最後の一厘が発動すれば、導いた者も導かれた者も、暗黒へ閉じ込められる。知らなかったではすまされません。
おシャカ様が真理の全貌を解明し、人々に伝えきれなかった理由。聞く方も理解できなかったのか。理解したくなかったのか。「永遠」という言葉は魅力ある毒だなと考えながら。
 2月13日自分の誕生日を迎えました。映画が好きなので立体映画(3D)を見に行こうと思い立ちました。映像はすごくきれいで、内容も精霊、昔の日本人にあった精神、アイヌ、ネイティブ・アメリカン、アボリジニに共通する、素晴らしい考え方を思い起こせてくれる、称賛に値する映画でした。
昔から私の中に生命の樹(世界樹)のイメージがあり、内容は言えませんが、大きな樹が出てくるシーンを見た時です。
突然、生命の樹(世界樹)が私の中に「入いっていく」と聞こえました。
予定されていたことなのか、すぐさま「許可する」と左の上の方から答えが聞こえました。
その時、身体に電気が走り、血が逆流するみたいに熱くなり、体温が一気に上がったみたいになりました。ほんの数秒でした。目を開けていられませんでした。
生命の樹(世界樹)は私を通って、光の宇宙船へ、光の宇宙へ昇っていく、イメージでした。また昇っていく間に、生命の樹(世界樹)の持つある能力が精神界、精神学協会に使えるようになる、と感じました。
 2月14日、SBMを元嫁さんにしていると、イエス様、マリア様、生命の樹(世界樹)、おシャカ様のイメージが浮かびました。その後、洗濯をしていると突然、お不動様の顔が見えました。
 何を意味するものなのか、そのうちわかるかもしれません。必要があると感じましたので記しておきます。
                       ミエル

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