神知と人知

<はじめに>

この往復文書は、西暦二千年から、二千十五年までの積哲夫の隠された活動と、それを導いた日本の精神界の情報を、これまでは非公開にしてきた精神界からメッセージを含め、検証し、公開していくものです。
これによって、「最終知識」という書が完成するまでの期間が、二千年紀における宗教の時代を終焉させる「はたらき」、二千年から二千十五年までが、日本のしくみを発動させるこの世をつくる「はたらき」だったことが、人知の側に、知識として移されることになります。知ることで、神知と人知を自らの内部で融合することのできる、覚醒した人間の「はたらき」が、人間世界をよりよきものにするために求められていることも、理解できるはずです。この文章を記すのは、私と受信者である和多津見まつり(ペンネーム)ですが、精神界の存在の情報伝達の場だと考えていただいてもけっこうです。

積 哲夫

新・神知と人知73

二千二十一年十一月二十九日

二千二十一年十一月二十六日(金)十六時十一分から

【弥勒の疑問に 釈尊はおこたえになられて 久遠の請願について お話になられた…】

彷徨の時代のおわり それまで みずからについて 知ることがなかったものたちが
みずからを 知ることを 志すようになる

みずからについて 知ることのないものたちが 道を成すことなど ありえず
釈尊ただおひとりの知られた 世の不可思議を みちゆきの 妙なることを

 

(現代語訳)

自分さがしの時代はおわり
自分さがしをしているあいだは 真実の自己にたどりつくことはない
いいかげんになさいな
自分をごまかし、いつわっている その目のくもりを いいかげんに はらいなさいな

(まあ、それはつまり “ 審判 ” であることだよ)

『ああ わたくしたちは なんと悟りからとおいところに生まれ
悟りからとおい道を 生きているのであろうか
そのことから 目をそむけさせる 華美な装飾の なんと多いことか』

ということは 諸仏も 諸神も 人間も 動植物も 皆同じ立場にあるのですよ
その立場で 神がえらいとか 仏がえらいとか あの人がえらいとか
いうても しようがないではありませんか
みずからの業にむきあうしかないのです

わたくしのこの話は 諸神 諸仏の 思い上がりに 少しでも届きますかな