ホンコンから学ぶもの(前半)

 日本のメディアを見ていて不思議に思うのは、海外のニュースを軽視しているのか、まともな報道をしていないことです。ことの重大さを理解していないのか、取材陣が無能なのか解らないが、海外の有事に対して日本との関係を正確に伝えていない。現行の報道は、日本の国を間違った方に誘導し立体的な思考を日本の人にさせていない。いま起きている海外の問題は、3年先や5年先に必ず日本に影響し、国内の生活にかかわる問題につながっていく。先日のタンカー襲撃の問題を一例にすると、日本のタンカーが襲われたという端的な話しではない。自国のエネルギー問題につながり、国防と憲法9条問題にも関わる大事な問題にもつながっている。「襲撃された」という、一つの強盗事件と同じに扱っているが、根底の問題は違うところにある。
 いま、世界は経済・政治・軍事すべてにおいて、激動の中で動いています。ひとつひとつの世界有事が、日本にどのようにリンクしていくのか考える思考構造にしていかないと、これからの世界の民族生存競争に、国として残ることは出来ないと思っています。
 香港のデモも例外ではなく、日本にとって重要な問題であります。ただの条例改正(逃亡犯条例改正案)の住民運動として、見ていている人が多いと思うが実態はそうではありません。中国共産党が力で香港を制圧し、民主主義対共産主義(資本主義対共産主義)の対立が表面化したことであり、共産主義が資本主義を飲み込もうとする歴史的な瞬間がいま行われようとしています。これは、隣の庭の話しではなく、共産主義が拡張して日本に侵攻してくる前兆でもあります。
 その実態を知るには、画面で香港のデモだけを見ていては決して理解できません。香港以外の外国で、ホンコン人の過去の行動をみるとよく見えてきます。この問題のはじまりは、1997年のホンコン返還にさかのぼります。当時日本では、イギリスから中国に領土を返還したということで、植民地支配の終焉として、セレモニーを見ていた人が多かったと思います。日本国内では、良いこととして報道されていました。しかし、香港人はそうは捉えていませんでした。
 私は、カナダにいたので香港の人たちがどのような心情と行動を取ったのかを目の前で見てきました。彼らの話題は、「中国との統合でホンコンがどうなるか?」という話しでもちきりでした。いままで経験したことのない、民主主義が共産主義に統合するということに、誰もが懸念と不安を抱いていました。その大きな懸念は、中国共産党に自分たちの資産が没収されてしまう恐怖でした。それに加え、ビジネス・生活の自由が奪われて、共産党の統制下の中で制限されてしまう不安でした。自由主義社会の中で保障された、生活・経済活動・資産・表現の自由がどうなってしまうのか? 先が見えない苦渋の選択を彼らに問うたのが、香港返還のときでした。彼らは、最悪の状況(共産党支配による香港統治)を想定しながら、自分たちの生活を危機管理の点から立体的に人生を組み立てていました。
 そして、彼らが出した答えは資産と国籍の分散化でした。香港は、イギリス領だった関係上、彼らはイギリス国籍を必然的に持っていました。イギリス国籍の特権を使い、カナダ・オーストラリア・ニュージーランドの移民の取得をはじめました。(いまだに、カナダ・オーストラリア・ニュージーランドのイギリスの信託統治の関係上、イギリス国籍はそれらの国に移民がしやすいシステムになっています。) 
 そのときの出会った、家族の話しをします。その家族は、祖父・祖母・父・母・子供3人という7人の家族でした。香港で祖父の代からビジネスをして、1993年からVancouverに生活の拠点を移しました。家や会社は香港に残しつつ、祖父・祖母・母・子供だけがバンクーバーの生活をスタートしました。父親は、単身赴任で香港に残って仕事をして、年に1度戻ってくる生活をしていました。1997年の中国返還されることを前提に、家族の人生設計がされていました。香港人のグローバル化は、日本人とはまったく違う発想となっています。家族を各国に分散化してでも、「どうリスクヘッジをして世界情勢とリアリズムの中で生きていくのか?」 この柱が根幹にあります。3人の子供は、長男はカナダの大学に行かせ、永住権と会計士の資格を取らせていました。次男は、オーストラリアに留学させて、外食産業の事業をはじめる準備をしていました。長女をイングランドの大学に行かせ、教育学部の学生をして将来は教師を志していました。このように分散化して、どこの国でも住めるような体制を家族の中で作っていました。
 そのリアリズムは、いい大学に入るための教育ではなく、中国化(共産主義体制)に対して危機管理を家族の中で共有して自分たちの生活をどうしていくかを常に話し合っていました。そのために、息子や娘を「どこの高校に行かし大学にいかせるのか。」「現地で何の仕事をするのか。」学業と仕事をセットとして、子供たちの人生設計を立てていました。彼らは、3~5年のサイクルでの人生設計をしていたわけではありません。 この家族は、決して特別な富豪でもなければ、特殊な家庭の話しではなく、日本でいう中小企業の経営者一家の話しであります。
 別の家族は、香港でケーキ職人をしていた人でした。その家族は、妻と子ども2人でカナダに移民してきました。英語が話せるわけでもなく、技術ひとつで家族を引き連れて、カナダに移民をしてきました。そんなことが、普通のこととして起こっていたのが香港返還でした。香港人の心底には、中国の脅威が表裏一体となった生活がありました。
 いま思い返しても1997年は、香港の人たちにとって大きな分岐点になったことは間違いありません。その年の前後に、多くの香港人は外国へ移民する権利の取得をはじめました。資産を移し家族ごと引っ越すものや移民権だけ取得するもの。日本人の知らない世界で、壮絶に動いていました。その一部が、資産・生活の安定を求めてVancouverに移民してきた人たちでした。
 彼らは、しばらく香港情勢を自由主義圏の中で、したたかに伺っていました。そして、共産党の影響を受けずに、いままでと現状が変わらないと知るや否や、半年~1年以内にVancouverのビジネスを畳んで香港に戻っていく人が多くいました。(経営者も2つのパターンがあったようです。1997年前に、事業を畳んで海外で起業する人と、リスクを覚悟で残ってする人。上の例の家族は、資産没収を覚悟で1997年になっても香港で事業を続けていました。) 香港返還後の彼らの貪欲さは、凄まじいものがありました。一度は、Vancouverでビジネスをしたのですが、思っていた以上に経済活動が厳しいと知ると、香港に仕事を戻して事業を再開しました。家庭環境の中に、国を越えての経済活動と外国のリスクヘッジを子どもの時期から見ているので、日本のグローバル教育とはまったく違うところからはじまっています。
 今回のデモは、来るべき時がきたと彼らの中では思っています。あれだけの人数が集まるということは、常日頃関心がなかったら、集まることはできません。小さいときから、中国との距離をどのように見るか? 家庭教育の中から「自由」と「脅威」と「危機管理」をリンクさせた教育がされていました。それは、20年以上忘れることもなく、香港人が持っていた教育です。今後は、彼らは最悪のシナリオを前提にした行動を取っていくでしょう。いま香港人の心情は、郷里を少しでも残したいという想いと。「どうにもならない」という諦めの錯綜が、彼らの心底にはあります。彼らには、したたかさと貪欲さがあるので、最後の大きな賭けにでて、権力をひっくり返せればという願いはあると思います。しかし、彼らはリスクヘッジからくる保険をかけての行動をしているということは知らなくてはいけない。
 
追伸:これを書いている時に、香港政府「逃亡犯条例」改正案を撤回しましたが、必ず中国政府は機会をうかがっています。世界情勢の変化が出たときに強行で条例を通していくでしょう。それは、ロシアのクリミア侵攻のように他のニュースが大きいときに、知らずうちに条例を改正し自由主義を飲み込んでいくでしょう。日本は、イデオロギーの言葉遊びをするのではなく、覇権国家の脅威を対極にして、どう国を守るかをリアリズムの中で行動をしていかなくてはいけない時期に来ていると思っています。