日本文化の逆襲 (農業編Ⅱ)

農園をゼロ投資でもできる

 日本という国が、若者をどこに導こうとしているのか解らないときがある。教育やメディアでは、Only Oneやオリジナリティな人間と言っていながら、ほとんどの人たちが敗戦後の全体主義と既存のシステムの中で行動し創造的な生き方をしていない。カナダに来ている日本の20~30代の人たちを見ていると、クリエィティブさを感じない。決まって、語学学校に1~2カ月通い、日本の友人の紹介で同じ仕事場で働き、日本の生活をそのまま海外でしている。そこに、何を求めてきているのか? そんな日本の20~30代が、私の店に来ていろいろと海外でしたいことの夢を語っているが、ほとんどの人が実行せずに頭だけで生きている。ネットで得た浅い知識を身にまとい、海外で過ごしたという経験値で満足しているが、次の人生の蓄積になるとは到底思えない。なぜ同じ行動しかしないのか? その原因は、日本の教育の悪しき学歴社会と人生を古き既存の形に合わせようとする精神構造にあるように思う。若い時に、好奇心や他の世界を見たいという欲望は、大切な原動力である。そろそろ、既存にあるものをくり返す発想は、辞めるべきである。留学エイジェントのプログラムに参加して、自分を開拓することができると信じている人は、海外に来ても自分を変えることは出来ない。
平成の教育を受けてきた人たちの多くは、想定外の経験や自分の枠を壊すことを非常に嫌い、未知の世界を開拓しようとはしない。小さくまとまり、世界観も広げずに自分の枠の中でしか生きようとしない。ネットの過剰な知識が、どれだけ自分たちの行動の障害になっているか。もっと、好奇心や興味を原動力にして、希薄な知識や情報にとらわれない行動力にしないと、世界の民族生存競争には太刀打ちすることはできない。これからの時代は、もっと未知への探求・行動こそが、新しい道を切り開く方法だと思っています。

 今日は、趣向をかえて「やる気があれば、お金が無くても出来ること」を書いてみたいと思います。平成は、「コスパ」といういびつな言葉と「経済的な合理性」が時間空間を支配してきました。そこに、一時の効率化はあったとしても、個人の人間力や世の中を見る洞察力はうまれたのでしょうか。もう一度、人は自然界の一部であることを認識して、過剰な情報と時間空間のコスパという合理性からの脱却をすべきである。生身のもっている感性を信じる力こそが、これからの時代に必要なことだと思っています。かつての日本人は、「天の采配」とか「明日には明日の風が吹く」という言葉を信じ、不確かな未来を生きていた。不安にとらわれず、自分の行動を信じて歩んでいました。そこには、「何に拘るのか」「何を信念にもつのか」、個人が持っている感覚や人生観が、社会とコミットすることによって人生を形成していた。その立ち位置に戻ることによって、日本人の本来の姿に戻るような気がします。これから、話すことはその一例です。

 この菜園は、ほとんど自己投資をせずに9年目を迎えています。労力や時間は使ってきましたが、大きな資本を投入しなくても面白いことが、現在も出来ています。前回にも書きましたが、そもそもの始まりは、9年前に友人たちとコミュニティー菜園をしたいというコンセプトから始まりました。そこで、会費を集め共同作業をして小屋なども作り菜園のフラットフォームを作りました。メンバーの高齢化で立ち上げメンバーは退会したりして、近年はワーホリや留学生などの若い人たちが入会して、新しいかたちでの運営をしています。ある年は、レストランとの共同プロジェクトで採れた野菜をメニューに出すということもしました。そんな、ことをしながら運転資金を作り運営をしてきました。営利目的の活動を今はしていないので、利益は出ず手弁当での活動をしています。(写真は、友人のレストランでズッキーニと花のフライをメニューとして出したら、即完売で売り切れてしまった。ズッキーニの花は、イタリア料理の高級食材として扱われているので、写真に写っている数だけで、$50相当になる。)


 毎年いろんな問題にぶつかり、頭をかかえて運営をしていますが、面白い方向にいつも転がっています。自分自身、素人であるがゆえに技術を持っていないで、問題が解決できないで終わることや、数年経って解決することもあり、失敗の連続でもありました。偶然にも3年前から、カナダ人のパートナーと一緒にすることによって、いろいろな発見といままで出来なかったことができるようになりました。

 彼と一緒にしていて大きな発見は、日本式の農業方法ではなくヨーロッパ式の方法を勉強することができることです。彼の方法は、芝の上に盛土をして畝たてをせず、いかに作業工程を減らしながら作業をするか。いままでしていた日本の方法を否定するやり方でした。日本の方法は、芝を剥がし雑草の根を取り除いて、土を何度も掘り返し耕運機で土壌をパウダー状に耕し、そこから畝たてをする作業をしていました。手間をかけることに重きをおき、時間も相当かかっていました。下(掘ること雑草の根を取り除くこと)に力をいれていましたが、ヨーロッパ式は上にかぶせる方法(芝の上に、木のチップや堆肥をのせる方法)をとって、下の状態にあまり労力をかけない仕方でした。彼の理屈は、「そこまでパウダー状にしてしまうとミミズや微生物が減るので、多少の土の塊や小石が入っていた方が自然のかたちで、苗も成長が早い」という自然農法に近いやり方でした。その技法は、いままでの作業の半分の時間と労力で、すごく荒い仕事だと傍観していましたが、苗の成長が早く収穫も早くできていました。その実態をみたときに、日本式の技術だけにこだわる意味があるのか考えさせられる場面でした。
 彼が育てている野菜は、ここのオーソドックスな野菜(ポテト・カボチャ・バターレタス・ハニーレタス・ビート・人参)ですが、労働効率と収穫量でみたときに、この技法を見習うべきだと思い彼から技術を教えてもっています。いまは、日本式とヨーロッパ式の方法のハイブリットのやり方をしています。

 3年前からの大きな問題

日本では、温暖化と言っていますが、バンクーバーは毎年気温が下がっているように思います。ここ数年前から、異常気象が続き、4~5月になっても気温が上がらず、雨の日も多く作業が1~2カ月遅れる状態がずっと続いていました。7年前は、3~4月から耕すことができたのですが、耕作している場所が水浸しになり作業が出来ずに、毎年5月中旬からの作業になっていました。それによって、収穫が遅れるという状態がずっと続いてきました。それに加え、隣が建築工事をした関係で、写真でもわかるように水浸しがさらに悪化した状態になりました。その問題を解決するために、ポンプを設置して水を抜くか? それとも土砂を購入して、盛土をするか? いろいろな方法を模索しながら、この苦境をどうするか考えていました。土砂やポンプを買う資金もないので、その問題をどう解決していくのか? そんな中で、パートナーが提案してきたのは、友人にガーデナーや土建屋がいるので、彼らに依頼して建築の時に出た投棄用の土砂を無料で譲り受け、菜園の場所に落とすというプランを提案してきました。はじめは、どうかと思っていたのですが、数日経ったある日、私の背丈の山が4つほどの土砂が、運ばれてきました。市販されている培養土とは違い、大きな石や雑草の芽や球根などが含まれていて、決していい状態のものではありませんでした。手間も時間もかけながら、それらを取り除く作業からはじめました。そして、大量の岩や石が出て廃棄することもできないので、芝生との区画に置いて再利用して使っています。写真でもわかるように、以前浸水して場所が、盛土することによって問題は、改善されました。盛土作業は、半分は完了して今現在も続いています。パートナーは、小型のブルドーザーをレントしてしようという提案をしてきたのですが、「ゼロ投資でやろう」ということで、時間はかかりますが手作業でやっています。


 そして、幾つか面白い現象も出てきました。去年盛土をしたところに、秋に植えていた幾つかの野菜(大根とビートとゴボウとネギ)が冬を越し、収穫できることがわかりました。毎年、冬物野菜を植えても年を越えて生存する作物がほとんどなく、無理だと思っていました。バンクーバーの天候は、後でも書きますが、雨期と寒さが同時に起こり、生物が生きるには厳しい環境であります。雨が毎日降り続き、冬晴れはほとんどありません。そして、日照時間(8:00~15:30)が短いので、すぐに暗くなってしまいます。その状況が、10月中旬から3月下旬まで続きます。しかし、盛土によって新しいサイクルでローテーションが出来る可能性が出てきました。
 
 堆肥づくり

 堆肥づくりは、長年の夢ではありました。時間の問題や人手不足で、作業が十分に出来る状況でなかったので、堆肥を作ることができませんでした。毎年、堆肥を購入していたので、そのコストもかかっていたので、何とかそこを抑えることはできないかと思っていました。3年前から、ガーデナーの知人が大量の木のチップと落ち葉を菜園に持ってきてもらい、本格的な堆肥づくりが始まりました。本来は、廃棄するのに費用をかけて業者は処分をしていました。菜園に落としてもらうことによって、ガーデナーにとってもメリットにつながりました。バンクーバーは、街路樹や一般の家に大きな樹木があり、毎年大量の木のチップと落ち葉がゴミとして出ます。写真にもあるように。春先から秋まで、いたるところで業者が枝や葉を切って機械で粉砕します。

 そして、最大の進展は隣の乗馬クラブから、馬糞をもらうことができたことです。馬糞と言っても、生の馬糞ではなく乾燥した糞に、木のチップをミックスにされた状態のモノが、大量に譲り受けることができました。先日も何トンもの馬糞を運んでもらいました。この堆肥を使うことによって、収穫量も上がり、野菜の味も美味しいものが取れるようになりました。

 Vancouverの気候

 Vancouverの季節と天候について説明したいと思います。バンクーバーは、北緯49度に位置し、日本の緯度でいうと樺太島の真ん中に位置する場所にあります。これだけ高い緯度に、位置しながら市内ではほとんど雪が降らないのは、暖流の影響があるとされています。日本からのイメージだと、毎日雪が降って大変と思われているが、冬は東京と同じような気温になっています。2~6℃で0℃以下になることは、年に5~6日しかないので雪が降るのも2~3回しかありません。
 夏は、23~27℃前後なので、クーラーが無くても生活ができる環境です。日中の最高気温が30度以上になる日が数日しかなく、湿度が低いので日本のように蒸し暑い夏ではありません。つねに乾燥した気候と気温がたかくならないので、日陰に入ると肌寒く感じます。冬とは対照的に、雨がほとんど降らないので地面は常に乾いています。日本とは大きな違いは、日照時間である。夏は、日照時間が長く日差しが強いのが特徴です。(朝4時~夜10時まで明るい。) そのような環境なので、畝間の雑草が生えにくい。

 年間プラン

 冷涼地なので、4月~5月から土壌作りと苗床づくりを始めます。数年前に、4月に種まきをしたときに芽が出ずに終わってしまったので、コンテナで苗床作りは家でしています。いまは、分けて作業をしています。
 4月は、気温も上がらずに(15℃以下の日が多い)雨の日も多く土壌も泥の状態なので作業をするのは難しい。それでも晴れの日は、堆肥と土壌を耕運機でミックスしながら、土壌作りの作業をはじめます。
 5月になると気温も上がり(20℃以下になる)雨も少なくなるので、土壌作りと畝づくりの作業もしやすくなる。この時期に苗を露地植えに移していく作業をしていきます。この時期から、日照時間も長くなってくるので、夜8~9時まで作業できる明るさになっている。湿度も低く気温も高くないので、日本で経験した人から見ると天国みたいな環境だと思います。以前、日本での作業の話しを聞くと、「夏の暑さと雑草駆除にめげる。」と話していましたが。ここは、暑さからくる疲労はほとんどなく、雑草駆除の作業時間も日本ほどかからないと思います。

 6月は、5月と同じような作業をします。畝づくりと苗を露地に移す作業をします。今年は、盛土をしながら作業をしているので、例年の畝たて作業より遅くなっています。数人でしていたときには、5月には畝づくりが終わり、苗移しと種まきを終えていたので、6月は雑草駆除と水を撒く作業だけで、大きな農作業はおわってしまいます。菜園の会員は、自分の仕事を持ちながらやっているので、趣味としてやっているので、大きな負担での作業にはなっていない。(耕地面積は、小さいので1週間に一度1時間弱の雑草駆除で終わってしまう。)6月からは、晴天が続き雨で作業が出来ない日がなくなるので、作業予定が立てやすい。6月の下旬から、菜っ葉系と絹さやの豆系が採れ始める。
 基本、二毛作でやっているので、夏もの野菜が終わった後に何を植えるかをデザインしながら、秋もの野菜の準備を6月下旬~7月上旬からしていきます。この時期に、秋もの野菜の苗床をコンテナで作っていきます。スペースが空いていれば、露地植で大根やカブやビートや白菜やホウレン草やニンジンなど種まきをします。

 7月からは、ズッキーニやカボチャなどの瓜系が取れ始め、中旬からトマトやキュウリなども取れるようになる。ハーブも取れ始める。(ズッキーニは、毎日取れるので一番生産性の高い農作物である。ズッキーニの花も毎日取れる。イタリアンレストランでは、高級食材として扱われているので付加価値も高い。) 7月からは、収穫作業の方が忙しくなります。瓜系や菜っ葉系や豆系が同時に取れ始める。この状態が、9月上旬まで続く。先にも話したように、雨がほとんど降らないので、土壌は乾燥状態が続いているので、1~2日に1度は水まきをします。先にも書きましたが、水をあげない畝間には、ほとんど雑草は生えてこないので日本ほど雑草駆除に時間を取られることがない。
 7月下旬~8月上旬に、終了した作物の場所から新たな土壌と畝を作り、秋もの野菜の苗床を露地植えに移します。

 8月は、7月の野菜に加え「えだまめ」や「トウガラシ」や「ハラピーノ」などが取れはじめる。秋もの野菜の苗床を露地に移す作業をしていく。作業も7月とほぼ同じで、水まきと雑草取りである。8月も乾燥しているので、雨はほとんど降らない。しかし、中旬から秋を感じさせる気候に変わっていきます。ここの夏は、8月中旬までなので、夕方は肌寒くなります。この時期は、大量に収穫できるので取れ過ぎた野菜は、ピックルスにして瓶詰にしたり、漬物にしたりして保存食を作ったりしています。トマトは、大量に同時期に採れるで、トマトソースを作り、ビン詰めをします。バジルなどは、バジルペイストにします。
 9月は、出来たものを採りながら、枯れ始めた作物の片付けなどをしていきます。秋の野菜は、ほとんど手入れをすることもなく野放しの状態で、勝手に成長していきます。水撒きも週に1度ぐらいで、ほとんど作業は無くなっていきます。
 10月は、白菜や大根やビートや野沢菜や高菜などが取れます。10月中旬~下旬から、雨のシーズンが始まるので、それまでに植えていた作物の片づけをしていきます。

 11~12月は、ほぼ毎日が雨なので作業は無くなります。
このサイクルが、年間通しての作業になります。実質労働は、4月~10月上旬で終わってしまいます。ただし、商業ベースにするのであれば土壌改善や堆肥づくりを本格的にして、年間のスケジュールを見直す必要があります。いまは、外での露地植えを基本にしているので4月~10月の作業ですが、ビニールハウスの栽培を導入するのであれば、1~2月前倒しの作業(下記にも書きましたが)ができます。そして、収穫量を増やすことができます。

 パートナーの作業をみていて、年間サイクルの新しい発見もありました。彼は、2月~3月ぐらいから自分の耕作地に、木くずと堆肥を上手く配合して、いい状態の土壌作り簡易式のビニールハウスを作ることで、寒い時期からのスタートをはじめました。そして、3月下旬に種まきをして、5月の下旬には収穫ができるサイクルを確立しました。ホウレン草やチンゲン菜やレタスなど2年連続で出来ているので、いままでのサイクルでなくても出来ることを証明してくれました。ビニールハウスを作り馬糞の堆肥を使えば、作業を前倒しにして早く収穫できることがわかりました。

 いままでの成果

 日本野菜が育つのかを実験的に、いろいろと試みてやってきました。現地生産されていない、日本の農作物を中心に、いろんな種類を植えてどのような結果になるのか調べてきました。アジア野菜(大根・キャベツ・白菜)のほとんどは、中国産でバンクーバー産がなかったので、ここで育つのかすごく疑問に思っていまいした。実験の結果、気候も土壌も問題なく、育つことが判明しました。いままで育てたものは、日本のカブや枝豆や水菜や野沢菜や大根や日本なすなど、どれも問題なく育ち収穫までいきました。年によっては、冷夏で収穫が少ない時もありましたが、収穫がゼロとうことは1度もありませんでした。

 ここの夏の気候は、乾燥して日照時間が長いので、その環境で野菜の発育状態も変わってきます。日本野菜を育てたときに、キュウリやナスは皮が厚くなる傾向があります。日差しが強いこともあり、菜っ葉系も大きくはなるのですが、ガシガシの硬い葉になり易いです。土地柄(冷涼地で乾燥し夏の日照時間が長い)、瓜系やベリー系(ブルーベリーやラズベリー)やトマトやビートやジャガイモやハーブなどは、ここの気候に適しています。
 課題は、専門的な技法がないので、病害虫対策ができていない。ある年は、根こぶ病やうどん粉病などで収穫が落ち込んだ年もありました。根菜系(大根・カブ)の線虫対策が出来ていないので、2割しか成功していません。病害虫の対応と技法を駆使すれば、収穫量はさらに伸びると見ています。

 農業シンクタンクとして

 耕地面積が、大きくないので(5m×75m)兼業で作業が出来る。ワーキングホリデーのビザであれば、他の仕事をしながら土壌作りから収穫までのデータを取ることができます。現地で働きながら、物価のバランス身につけながら、海外の生活を皮膚感覚で理解することが大切だと思っています。海外で農業シンクタンクをする意味は、大きく分けて2つです。
 ■ 普通の生活をしながら、現地の物価と自前の農産物の価格がどれくらいの価格で卸せるのか検証する。
 ■ 実践と通して、気候・土壌・労働効率・収穫量のデータ化する。
 上記にも書きましたが、2~3月は雨が多く大変ではあるが、ビニールハウスを設置し土壌作りをすれば、収穫が5月から出来きます。
 5月からは、天候も良くほとんど雨が降ることがないので、雨で作業が出来ないという日はほとんどありません。それに加え、湿度が低く温度も高くならないので、経験者でなくても作業がしやすい環境であります。5月~8月にかけて、日照時間も長く朝4時から夜10時まで明るいので、5時に仕事を終えてから夕方から農作業をすることも可能です。ここは、フルタイムで働いた場合、1週間40時間(1日8時間)と決まっているので、必ず週2日間の休みが取れます。レストランなど職場によっては、夕方4~5時スタートのところもあるので、朝から昼2~3時ぐらいまで作業をすることができます。
(農業シンクタンクに参加しても、ここでの生活費はバイトをしながら補えるので、大きな金額を貯めてくる必要はない。むしろ、バンクーバーの方が給料はいいです。)
 大学生が、休学して1年テーマを決めてデータを取れば、面白い研究レポートが出来ると思います。農学部、経済学部、経営学部、国際関係部の各専門分野の研究テーマを自分で作り、実践と理論を一致しながら将来の仕事につなげることができると見ています。
研究テーマ
 農学部: 北米の気候や土壌調査 作物との関係 北米での農政 北米の農業システム
 経済学部・経営部: 農作物の物流システム 北米の農業の労働単価と生産性 エコ経済から利益が出る。
 国際関係部: 海外で日本の食材がどのように浸透していくのか。―文化の浸透―
など、各分野のレポートが書けると思います。
これからの時代に対応が出来る、次世代の産業構造をデザインしながら実践をすることができます。

 ゼロ投資でもできる

「お金がないから出来ない。」とか「時間がないから出来ない」ということを口にしている人がいるが、本当に心底から興味を持っているものがあるのか? 大切なことは、本人の気持ちと行動があればゼロからでもできます。世界は、これだけ文明が発達して情報が過多になり、物質が飽和する時代になりました。すでに書きましたが、人によってはゴミで廃棄するものが、見方を変えると資源になります。それを組み合わせることによって、面白い化学反応が起きます。いまは、この菜園はデータをとる実験的な要素が大きいですが、この菜園にレストランとコミットして日本人の新しいコンセプトの外食産業を立ち上げたときには、こんどは仕事になります。
 一例になりますが、「More Than Organic」というコンセプトで、朝採りした野菜と日本の精進料理を北米型に改良したレストランを作るだけで、この菜園はオリジナルのビジネスモデルに変化していきます。日本には、文化で生活が自立できるコンテンツがたくさんあり、先人が残した貴重な財産であります。平成の日本人は、その価値を理解せずに合理性と経済的な観点で大切なものを捨ててきました。伝統と文化は、言語空間や時間軸でいえば、コスパに合わない堅物であります。ゆえに、他民族には理解できない奥深さと言語空間では伝えることができない空間があります。これこそが、民族の大きな財産と武器になっています。日本人には、独特の感性と社会空間デザインをする力があります。そして、他人種には想像ができない社会をつくることができます。その特殊能力を持った民族だということを日本人は気づいていません。少し話しは飛びますが、北米の自動車産業から見ると、その実態がよく解ります。―「北米の自動車市場と日本の関係」については、またコラムで書きたいと思います。今回は、さわりだけ書きます。― 日系の企業(トヨタ・ホンダ・日産・スバル)が、現地に自社工場と関連企業を作り、どれだけの雇用をしているのか。そこに大きな街を作り、大きな社会システムを作っています。日本の無知な政治家は、「貿易戦争で自動車産業を守り、日本の農業を潰している。」と言っていますが、現地生産をしている時点で、アメリカ人やカナダ人の雇用を作り、社会インフラを作っているので貿易摩擦になるはずがありません。貿易の観点からみても、車として輸出するのと材料として輸出するのでは、日本に利益が入る額はまったく違ってきます。自動車産業に於いては、日本の雇用が奪われ、ただで雇用システムと社会インフラ(雇用・納税・社会保障)を提供している実態を見なくてはいけません。日本のモノ作りシステムが、どれだけ価値があるものか。彼ら(自動車産業で働いている人)は、そのシステムで日本人よりか裕福な生活をしています。本来、日本人が注目しなくてはいけないのは、日本人が各国で社会インフラを作っていることである。産業の空洞化は、対中国での話しではなく北米は何十年も前から起きています。それを中国が、真似ただけであります。
 そして、その問題は日ロの関係にもつながっていきます。ソ連が崩壊しロシアは民主化をして産業を作ろうとしました。しかし、30年近く経っても作ることはできませんでした。プーチンが、欲しいのは自動車工場が欲しいのではなく、北米に作った社会インフラを作って欲しいのです。日本人は、仕事と社会を組み合わせる空間デザインできる特殊な民族です。日本では、当たり前と思っていることが、ロシア人をはじめ他の人種は空間デザインをすることが苦手のようです。そこの特殊性をフォーカスして見ると、違ったかたちで経済や世界が見えてきます。
 話しは戻しますが、私は、日本が次に世界を設計するツールは、食文化だと思っています。その根幹である、農業を世界展開することで、日本国内にあるいろんな産業が世界に出て行くことができます。食品加工業や外食産業や調理器具産業など裾は広がります。それをどのように、グラインドデザインして日本人の雇用をつくっていくのか。敗戦後の日本経済を反省し、マクロで世界設計する時期に来ています。そして、若い人たちも実態を知り、行動とグラインドデザインをするべきです。スマートホンだけで理解する(希薄な情報に依存する)のではなく、若い時期に現場を見て洞察力をつけことだと思います。平成に捨ててきた伝統と文化に立ち返り、もの作りからグラインドデザインをする力をつけるべきです。