#71  われらが国語(日本語)に愛と感謝を ~その5 日本語脳を覚醒させよう

いよいよ、終わりの始まりかもしれません。
「骨太の方針」の骨子が決まったようですが、このまま進むと一度どうにもならなくなる状況を迎えるか、中国の属国と化すか、日本の日本らしさは絶滅の方向へと向かう可能性が上がっています。

  【小浜逸郎】「骨太の方針」をどう評価するか  2018年5月31日 
   https://38news.jp/economy/11989  

  【藤井聡】「骨太の方針2018」で、デフレ脱却は出来るのか? 
   https://38news.jp/economy/12019  

六月三日、友人たちと慶應義塾大学で鈴木孝夫先生の、素晴らしくも楽しい講演を拝聴しました。

一番如実に感じたことは、「どうやら、日本語脳は、日本語を使っているだけでは覚醒しないらしい」ということです。

私が最初に鈴木先生のお考えに興味を持ったのは、「日本語脳」を揺り動かすヒントがあるのではないか、ということからでした。

鈴木先生は、もともと日本語教師であったことはなく、医学部から英文科へと転部され、古代ギリシャ語やトルコ語、言語比較やイスラムの研究、言語社会学、言語生態学などを幅広く研究されています。その過程で、国語審議会のメンバーにも選ばれてきました。
かなり、幅広く、常に俯瞰できる場に身をおいてこられています。
加えて、権力に言い負かされずに考えながら行動される方であったこと、いまや歴史となった戦時も含めて、現実をよく見てしっかり生きてこられたこと、好奇心旺盛で常に謙虚でいらっしゃること・・・尊敬すべき大人です。

もしも、日本語を正確に使っているだけで日本語脳が目覚めるのなら、今の日本語教師(国語教員)たちから、率先して素晴らしい人格者たちが優先的に育っていなければおかしいことになります。

しかし、現実にはどうでしょうか。

日本語の持つ力、鈴木先生のおっしゃるように、「タタミゼ効果」そのものは、確かにあるに違いないと思います。
闘争的な世界を、少しでも緩和する力は、おそらく日本語以外でも、ネイティヴ・アメリカンや、さまざまな部族の自我を主張し過ぎない言葉には、ありそうにも思います。

むしろ、欧米の言語や中国語などがあまりにも、強欲で自己主張の強い、ある意味においては特殊な言語であるといえるのかもしれません。世界で力を持つに至ったのは、強欲を尽くした成果ともいえると思います。

世界はもっと狡猾で、邪悪なものたちのうごめくところです。
慎重に、なおかつ純粋な疑問を閉じ込めることなく、思うところを生き切るには体力も知力も要ります。

スピリチュアルの「ニューエイジ」も、もはや死語かもしれませんが「ヒッピー」も、ある勢力の思惑によって仕掛けられていたものでした。
それは政治活動などで垣間見える登場人物のヒステリックな「顔」や、自己中心が過剰なグローバリストぶりを注意深く見れば明白ですが、普段なかなか気づきにくいことだろうと思います。

私は鈴木先生の講演をお聴きしながら、鈴木先生に魅かれる理由は何だろうと考えていました。
今回も笑いの絶えない抱腹絶倒のお話でしたが、やはり大賢者であり、大長老なのです。

読んで学ぶ、聞いて学ぶ、ということをベースとして理知を働かせ、その上で長老の存在自体から発せられる大きな力のようなものに触れることが、何か非常に大事なのではないか、と思いました。

正しい歴史認識に加えて、哲学、思惟を通して、精神をろ過、昇華、精製していく過程を経ることが必須になるのではないか、と以前、鈴木先生とお話したことを思い出しながらお聴きしました。

会場までの道のりを、若い女性と歩きながら話したのですが、最近の九十代は素晴らしい活躍をされる方々がいらっしゃいます。
それは後に続くものたちが不甲斐ないせいも大いにあると猛反省しなければなりませんが、引き続き導いていただきたいと。

マレーシアは、六月一日付で「消費税」を撤廃しました。
英国からの独立後、初めてとなる政権交代を実現させたマハティール氏が、九十二歳で十五年ぶりに首相の座につき、意欲的な政治姿勢でいるお姿は、大いなる希望です。
特に中国の「一帯一路」政策について、厳しく批判しているということですが、経済の安定化策として、「消費税」の廃止を公約にし、それを実行に移したようです。

  消費増税廃止、マハティールにできて安倍首相にできない道理はない
  田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授

  https://ironna.jp/article/9754?p=1   

筋の通らないことはしない、気骨ある九十代の生き方を見習いたいと思います。

先ごろ、武田邦彦先生が「虎ノ門サイエンス~反目の科学的解釈」のなかで、動物の「親切」という行為について、お話をされていました。AIが得意とする「論理的に処理する」というのは、情報入出力のごく一部だそうです。

  【DHC】6/1(金) 武田邦彦×須田慎一郎×居島一平【虎ノ門ニュース】 
  01:11:02   虎ノ門サイエンス(反目の科学的解釈) 
  https://www.youtube.com/watch?v=Oc3lTMvQaeA&t=4262s   

動物の世界においては、「子孫を残す」ということ、遺伝子の継承が優先順位の第一で、生殖に寄与しなくなったら自ら死に向かう方向へと進むのが秩序となっています。そして、種の全体のために歯車の一つとなり「全体のための自分の役割」を各々が自主的にはたらくことをもって「親切=他を思う心」を元とした行為にいたるようなのです。

群れの形を作る鰯なども、全体のデザインのなかで、自分がどの位置にいて、どのように動くことが全体を生かすかを瞬時に情報交換し、判断して実行するという話もあります。
心は全身であり「人生の長さは親切の総和」なのであって、自分が健康だから生きるのではなく、健康は基礎的条件で「生きる力=生命力は他人からもらっている」そうです。

大切なのは利己ではなく利他のほうである、という結論でした。
「反目は情報入力と処理が複雑すぎて、利他こそ利己という原則を忘れることから生じる」、つまり、遺伝情報的には本来は利他こそが大事なのに大脳では利己を優先して判断をくだすから混乱するのだ、ということでした。

人間は獣よりも「高等」な動物ということになっていると思いますが、ほんとうでしょうか。
獣から一歩進んで、人間が与えられている力というのは何だろう?と考えました。
獣は個よりも種の全体を優先するという意味で、少なくとも自然破壊もしませんし、自らの「矩」を超えません。

人の世では、狂人が刃物を持ったら殺人事件が起きるかもしれませんが、料理人は創意工夫という知恵を持ち包丁という刃物を使って人々の笑顔を生み出します。

そこには、動物としての「全体を考えて一翼を担う能力(=他者、全体への親切)」と、「他を抜きん出る潜在能力を持ちつつも、理知をはたらかせて自ら他者との協調を図り自己抑制する」という姿勢の両方があります。

日本語脳を目覚めさせるには、現行の日本語を使って暮らしている、というだけでは、おそらく足りないのです。
ただ、ゆりかごのような、土壌を用意するという意味は大いにあるかもしれません。

それは、活性すべき領域が用意され、夢を見ながらひたすら目覚めを待っているような状態なのではないかと思います。

日本語脳を目覚めさせるには・・・皆さんも考えてみてください。
そして、試行錯誤を続けるところに、道は必ず開けると確信いたします。

世界がたとえ、どのようになっても。

一年半近くの間、毎週金曜日の更新で続けてまいりました「日本のいまを考える」ですが、今回を持ちまして、ひと区切りで終わります。
書くという作業を通して、私自身には、大変勉強になりました。

一定期間を経ますと、削除されることがありますので、全文をご覧になりたい方は、お早めにどうぞ。

お読みいただき、共に歩んでいただいて、ありがとうございました。

平成三十年六月八日

阿部 幸子

協力 ツチダクミコ