#57  お金の話。

最近、テレビでは、「国の借金が・・・」「国債が・・・」という話題を取り上げて、国民一人当たり何百万円もの借金があるのと同じ、という宣伝をしているということを友人から聞きました。
  「またか・・・」
と思いますが、こういった話が出てきたら何度でも繰り返し、「それは大きな勘違いだ」という打消しをしていかないと日本は浮かばれないなぁ、と思っています。

家計のやりくりと、国家予算の話は、たとえられるものではありません。
何より、人は百年足らずで死にますが、日本国は死にませんし、世界の中で日本は対外借金がない、という珍しい国なのです。
国債のランクが落ちているという話を「信用力がないから」という形に当てはめようとする人たちもいますが、何より円の強さをみれば、世界的にどういった判断がされているのかが明白です。

財務省のこうした発表などを耳にするたび、とことん日本を売りたい人たちなのだろうかと疑問を感じざるをえません。
頭脳明晰な東大出身のエリート官僚の皆さんなのですから、意味がよく理解できない庶民の勘違いとは数段の開きがあります。
意図的に、わかってやっている確信犯、としか考えられません。

それにしても、東大は地に落ちた感があります。
少なくとも、私においては、ということかもしれませんが、周囲の友人たちも「だって、東大出でしょ・・・」という言葉つきが、昔とは様変わりして「だから、わからないんだよ、きっと」という用い方をされるようになっています。

東大出、というと、最近では例えば獣医学部新設で話題になった文科省の前川喜平前事務次官とか、ガソリンの問題や秘書とのいろいろで話題になった山尾志桜里衆議院議員とか、「このハゲー!」で有名になった豊田真由子前衆議院議員とか、なんだか、「わかってないよな、この人たち」と思える方々がものすごく多く、また、シンプルな話を小難しく見せる文章の書き方とか、山のようになんだかよくわからない独特の感じというものがあります。

もちろん東大出はみんなそうだ、とは思いませんが、いまの学歴社会の構造でいくと、当分は変わらない傾向のように思えます。
逆にみんなが「東大じゃぁねぇ・・・みんなのことはわからないよね」といっせいに言い出すと、風向きは、突然変わったりもするのかもしれません。

入野さんからいただいた最近のレポート二本が、どちらもお金の話で参考になるかと思い、許可を得て掲載します。

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日本国の貸借対照表  30.2.11    入野守雄

国家の貸借対照表は資産と負債の状態を示すものである。
資産は現金、預金などの金銭と貸付金である。負債は借金などの債務である。

         借方(資産)        貸方(負債) 単位兆円
 政府        530(現金等)     1260(国債発行残高等)
 日銀        480           450
 銀行       3300          3140
 企業       1080          1560
 家計       1810           390
対外経常黒字                   400(純資産)
 合計      7200兆円         7200兆円

 日本国の金融資産=負債は平成16年度で概略7200兆円である。対外経常黒字400兆円は世界一であり中国の2倍で、50年間も今日まで増え続けている。平成17年度は21兆円の黒字で、対照表の対外黒字400兆円は421兆円に増加し借方の部の銀行、企業、家計に21兆円が増加する。政府が50兆円の国債を発行すると貸方1260兆円が1310兆円になり、政府の現金は530兆円が580兆円になる。この50兆円を公共投資に使えば請け負った企業の売り上げが50兆円増加し、社員や協力企業の社員の所得になる。
 国債の返済に使えば銀行の現金が増えるだけでデフレだから借り手がなく企業に金は回らないので国民の所得にならない。国債の返済を60年に決めたのが財務省である。世界各国は返済期限を決めていない。あくまでも借り換えである。バカな日本だけが60年に決めた。
 東京大学の伊藤元重マルクス経済学者や安倍総理と竹中平蔵元金融大臣、高橋進日本総研理事長、池上彰キャスター、日本テレビの辛坊治郎は負債の1260兆円のみを強調して、国債発行の借金がこんなにあるから財政が破綻する。国債発行を止め国家予算を税収の範囲内に縮小しろと主張する。マルクス経済学が完全に間違っているので、貸借対照表が分からないのだ。
 負債があれば反対側に同額の資産が必ずある。それが真の経済学である。貸し手がなければ借り手は絶対に借金はできない。借金だけが増えると言う間違ったマルクス経済学がデフレを深刻化した。デフレは生産量が過剰で、消費量が少ないから発生する。政府は消費減少額が10兆円と言うが、事実は消費減少額が200兆円もある。
 立憲民主党枝野幸男代表は消費量に合わせ、生産を減らせばよいと主張する。工場の生産を止めれば、労働者はリストラされる。失業すれば更に消費は減る。それに合わせ工場を止めれば更に消費は減り、労働者の所得は増えない。

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仮想通貨 30.2.3  入野守雄

 金融庁は1月28日、不正アクセスにより約580億円の仮想通貨「ネム」が流出した仮想通貨取引所のコインチェックに対し改正資金決済法に基づき業務改善命令を出す検討に入ったと発表した。コインチェック運営の大塚雄介取締役は流出した「ネム」を保有している日本人約26万人に総額460憶円を自己資金で返金すると発表した。
 差額120億円は「ネム」の値下がりを受けたもので、何しろ1万円が300万円に値上がりし儲けた連中もいるが、今や信用喪失で「ネム」は大暴落中で、2億円弱が返金されれば十分であり、従って返金額や時期についての詳細は検討中と明らかにせず曖昧になる。誰が発行しているか不明の仮想通貨を買うのは投資ではなく賭博であり、返金されないのは当然の結果である。
 「ネム」の普及を図るシンガポールが本部のネム財団代表のチャイナ系シンガポール人のロン・ウォンは東京のコインチェックの安全対策や運営が極めて「ずさんであった」とコメントしただけのうさん臭さである。
 金融庁は仮想通貨取引所を平成29年4月から登録制にし、現在登録社は16社でコインチェックなど登録申請者は70社程度である。極めて不正確で粗雑なのは金融庁である。グローバル経済の規制緩和の新自由主義にのめりこみ、信用がない仮想通貨の規制を放棄して国民に損害をもたらし、税金で存在する国家公務員の金融庁はどんな仕事を信条としているのか。
 お笑いタレント出川哲郎の派手なテレビコマーシャルは国民を誑かすものであった。出川のCMは無くなったが、テレビ局は儲かりさえすればと依然として仮想通貨のCMを流し続けている。NHKを始めテレビ局の国民に対する影響力は抜群であり、不正確で間違った報道を流し続けると日本国は消えてなくなるのである。

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私は、仮想通貨の話題が出るたびに、西暦二千年ごろにNHKで放送された番組「エンデの遺言」の監修をされていた森野榮一さんを思い出します。

「エンデの遺言」は、一部で人気を博し、書籍にもなりました。そして、日本国内でも少し流行ったのが地域通貨の取り組みです。
森野さんは街づくりのコンサルティングもされていて、地域通貨については日本における第一人者でした。

当時、「BtoB(企業間取引)での活用をやりたがっている人たち」の話や、「ポイントを現金の代わりに使うことで仮想の通貨を生み出す」試案など、各企業からもいろいろ相談を受けていらしたように記憶しています。

森野さんは、「なんのために?」ということを常に問う方で、「目的が金儲けだけじゃあ、つまらない」という姿勢で冷静に見ていらしたのが印象的でした。
國學院大學のご出身で、江戸時代の様々な国学者や藩校の先生たち、優れた先人の知恵を、要所要所でよく教えていただききました。
二宮尊徳はさておき、三浦梅園とか、安藤昌益、大坂の米商人でもあった山片蟠桃の話など、当時の私にはお名前すらも初耳という方々の実のある話をいろいろお聞きしました。
最近の森野さんの投稿をひとつ、ご紹介します。

—————— 最近の森野さんの投稿 「金貨」  https://grsj.org/author/morino

森鷗外の作品に「金貨」というのがある。鷗外のものだからお読みになったことがある人もいるかもしれない。

左官職人の八が駅で見かけた立派な人物に惹かれ、後をつけ、その屋敷に泥棒に入る。
家人が寝静まった頃、屋敷内を物色するのだが、机の引き出しが目に止まり、中を探ると手紙や封筒ばかりだが、なかに銀金物を取り付けた金入れをみつける。中にはじゃらじゃらいうものが入っている。金入れは屋敷の主人が欧州に出かけた折にパリで買い求めたものだ。八が金入れをあけると貨幣が入っている。貨幣は大小さまざま。しかし八には見慣れぬ貨幣だ。それらのなかに八は金色燦然たる貨幣をみつける。
そうしてこれさえ取ればいいやと、腹掛けに入れる。それは八には光る金貨に見えたのだ。だが八は家人に見つかってしまう。
何をとったのか、家人が調べると、引き出しにあった西洋の貨幣がない、そしてなくなったのはそれだけだと。
主人はおかしさをこらえながら八を問いつめる。八は、「旦那、済みません」と罪を認める。
「皆外国貨幣だな」と家人がいう。
主人は「洋行したときに集めたのだが、Poundや二十Francsや二十Markのようなものは、入用なときに両替して使つてしまつた」といい、つまらない銀貨ばかりが残ったのだという。そのなかに黄色いのが一つ。八が金貨と思ったのがあった。
しかし、それは、「黄いろいには相違ないが、これは只のsouですよ」と家人が指摘する。主人は、「はゝゝゝ。確かにSouだ。大枚五Centimesだ」と。

Sou(スー)は昔の(フランス革命以降の)フランスの貨幣、それも小銭だ。小銭がアルミ製になる前の銅製の硬貨で、1フラン=100サンチームで、5サンチームに相当した。まあ、いまの五円玉くらいのものかもしれない。
八は主人と家人のやりとりをきいて、「黄いろく光つてゐるのが金貨でないといふことだけは分つた」。
八は主人に「お前は好いから行け、泥棒なんぞになるものぢあないぞ」といわれて放免される。
貧しい者がそうそう金貨など手にしはしない。八が赤金の銅貨を金貨と間違えたのは仕方がない。

ぼくは、ビットコインのようなデジタルゴールドを資産と思い込んで人が殺到しているのをみると、この作品を思い出してしまう。
デジタルゴールドがデジタル・スーであることに、八が笑われながら気付かされたのと同じように、人は気づかされることになるのかもしれないと。ビットコインも5サンチーム銅貨かもしらんよ。

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江戸時代のこと、もっといろいろ教えて欲しいとお願いしたら、老後の楽しみにする、とおっしゃっていましたが、そろそろどうかな、とまた、お尋ねしてみたいと思うこのごろです。

平成三十年三月二日

阿部 幸子

協力 ツチダクミコ