#20 従軍慰安婦問題の底にあるもの 番外編

今年二月から「日本のいまを考える」の原稿を書き始めて、初めて知り得たことがいくつもありました。
さまざまな方のお話も、後追いながら、あらためて動画で拝見しています。

最近視聴した動画のなかに、山本優美子さん(なでしこアクション代表)の去年の講演がありました。
山本さんは、五月二十七日に東京で開かれた我那覇さんの会にも登壇されました。
ボランティアをしていると、ほとんど講演会の内容自体は聞けないのですが、楽屋や懇親会で少しお話を伺うことができました。
とても歯切れのよいお話をされる、素敵な女性です。

  二宮報徳会 第116回定期講演会 捏造慰安婦問題 講師:山本優美子氏
  平成二十八年十一月十三日 靖国会館
  https://www.youtube.com/watch?v=14OozRWxOyk  

非常にわかりやすい講演でした。

映像の三十分過ぎくらいから、国連委員会関係の写真や図を使って、たくさんの解説があります。
日弁連(日本弁護士連合会)の戸塚悦郎氏は、「性奴隷」を発信し、世界中に広めた人として、ある意味有名人ですが、写真が出てきます。
何度も何度も、何年にも渡ってジュネーヴに行き、国連人権委員会、国連人権理事会の常連参加者になっているそうです。
福島瑞穂議員の夫である海道氏の写真もありました。

最近、国連特別報告書を提出したデービッド・ケイ氏を日本に招いたのも、日弁連が関与していたようでしたが、人権NPO団体や、日本のいわゆる左翼と称される団体は、目的達成のためにお金を使い、人を出し、ロビー活動に励み、ものすごく精力的に尽力しているといわれています。

現在、第三十五回国連人権理事会(六月六日〜二十三日)がスイスのジュネーブで開催されています。
そこに、国連特別報告者のデービット・ケイ氏が日本における報道の自由について報告を提出、また、六月十五日には山城博治被告が公判中の刑事被告の身でありながら、人権の侵害や表現の自由が侵されているとの演説を予定しています。

一足先に沖縄から我那覇真子さんと依田啓示さんが国連人権理事会において真実を報告するために参加し、六月十四日にスピーチを行いました。

  「沖縄の真実を伝える会」記者会見・国連人権理事会スピーチ報告[桜H29/6/17]
   https://www.youtube.com/watch?v=a2fD23WTdOw

   記者会見内で指摘のあった反基地運動の暴力的行為
   Criminal of Japan Mr.Hiroji Yamashiro Violence and Intimidation
   https://www.youtube.com/watch?v=USIyBY0VaXw

日本という国を大切に思う人たちがいる一方、国境などなくなればいいと思う人たちがいます。
世界に起きている出来事や紛争の歴史を見れば、どのくらい世界が邪悪で残酷かは容易に知れるにもかかわらず、その世界を相手に日本は武装せず平和憲法としての九条を断固守ろうという人たちもいます。

中国共産党が文化大革命で行ったこと、いまも法輪功の方々にしていること、チベットやウイグル、南モンゴルへの残虐な仕打ち、パキスタン軍によるバローチスタンへの侵攻と虐待、搾取、ベトナム戦争における韓国軍の現地女性に対する慰安婦問題・・・なぜ、人権問題のあまりにも酷い事例として勧告対象とならず、話題はすぐに取り下げられ、槍玉に上がらないのでしょうか。

通州事件のむごさ、絨毯爆撃を受けた東京大空襲、二度にわたる原爆投下、こうした大虐殺事件についてはもちろん、当時の国際法に照らし合わせてもインチキといえる東京裁判に関しても、日本からは誰も正式に糾弾はしないのに、その日本だけはいまだに「従軍慰安婦(という捏造の歴史)を教科書から省いたのはけしからん」とか、「教科書に政府が口出しするのはけしからん」と執拗に勧告を受けるのは何故でしょうか?

連合国の占領下にあってはともかく、もはや七十年も経って、普通に考えれば、いくらなんでも何かおかしいと思うはずです。

「地球市民」だとか、「グローバル」だとか、耳障りはよいですけれど・・・実際にはどうでしょうか。
私も前は、そのほうが世界で一丸となって地球を保全していけるのかな、と希望とともに思っていた時期もありました。
今となっては、とんだお花畑状態だったなぁ、と冷や汗が出ます。

私の場合は周りの環境がよかったことも幸いして、耳障りはよいけれど、なんだか変だという違和感を持ち続けることができました。
その違和感の意味が、近現代史を学ぶ中で、少しずつはっきりとしてきています。
実際には何が目的なのか、その先に何があるのか、よく考えて、よく知って判断しないと間違った選択をしてしまいます。

従軍慰安婦の創作話などを通して見えてくるのは、中国や韓国のいろいろな挑発活動は由々しきことではあるけれど、問題の根っこは日本人の中にもあり、そちらこそがより深刻であるということです。

明治維新然り、大東亜戦争然り、この国の中に常にいた売国奴の存在は非常に大きく、むしろ、それを見抜けず予防もできないままボンヤリ過ごしてきた私たち自身にこそ問題の根が深く張っているのです。

意図して画策していたとしても、知らずに加担していたとしても、売国的なふるまいは近現代史の登場人物にもたくさんあったはず。
指摘も制止もせず、黙ることによって力を与えてしまった一般市民の責任は、大きいといわざるを得ません。
そして、一部の日本人たちが売国的ふるまいをして母国日本を貶めている、という事態は今のいまも続いています。
近頃は開き直ったかのように、平然として見えてくる分、より一層えげつない感じもいたします。

少し前まで、こうしたことを、一般庶民の私たちが、ちょっと調べて知ることができるなど考えられない、あり得ないことでした。
今は、ほんの少しの努力で、知ることができるのです。

だからこそ、そのホンの少しの努力をするかしないか、ということが大きな分かれ目になります。


昔は当たり前だったことが、今は違うこと、たくさんあります。
良くなったこともあるけれど、悪くなったことのほうが多いように最近は思います。
何故なのか、いつから変ったのか、どうして変ったのか、一度立ち止まって考えてみましょう。

教科書の文言も、何やら少しずつ奇妙な変化をさせているようです。
「帰化人」が、意図的に「渡来人」という表記に変更されていたり、今回阻止されましたが聖徳太子の名前を厩戸皇子(うまやどのみこ)にしたいということなど、ひとつひとつは小さいことですが、いつのまにか全体を通してみると文脈、ストーリーが変るようなことは、ありえます。

こうした「ソフト洗脳」は、教育によるものも大きいですし、メディアを使ったイメージ戦略としても強いものがあり、なかなかうまく工作されていて、じわじわと魔の手が忍び寄ってくるかのようです。
去年、『カエルの楽園』(百田尚樹著)がヒットしましたが、物語は現実に個々の人生物語の中で展開しています。

何を選択して生きていくか、ということは、日々自己との闘いでもあり、精神性を磨く場でもあるのです。
丁寧に、よく考えながら生きるということを心がけていかないと、メディアの誘導のままに動かされてしまいかねません。

私の故郷、東京では、もうじき都議会議員選挙です。有本さんの本を読み始めました。

  『「小池劇場」が日本を滅ぼす』
  有本 香著  幻冬社  千三百円+税

平成二十九年六月十六日
阿部 幸子
協力 ツチダクミコ