歴史から抹消してしまった国防と国益 26
-閉塞社会からの脱却-

 バンクーバーから見ると、「無(ゼロ)から1にする」や「スタートアップ」といいう言葉ばかりが、踊っている日本社会に違和感を覚えます。大きな時代の流れからすると、日本では、いままで帰属していく社会システムが、崩壊していくことは避けられないでしょう。これまで以上に組織(企業・公的機関)に帰属する人生設計モデルは壊れ、個人の力が求められる時代に入ったことは間違いないです。これから先も、ものすごい勢いでコロナ後の日本経済は変わり、平成の世界観しか持っていない人たちはこれからの時代、さ迷うことになるでしょう。多くの会社は、稼ぐ力が無く既存の体制(終身雇用・年功序列賃金体系)の維持ができなくなり、大企業をはじめメディア関係や金融業界はITが進み不必要な仕事と人員削減がさらに進み日本社会の再編が加速していくことは避けられないはずです。いまの既存の会社は、労働対価に値しない年配者を保護して、若年者の賃金が上がらない悪循環を作っています。この先の5年で、不要な人材・仕事が整理されてサービス業のカタチは大きく変わっていくでしょう。(その一例になりますが、一ヵ所に集まって働く会社が減り通勤ラッシュという光景が無くなる日も近いでしょう。)
 そうすると、これから個人と社会は何を柱にしてつながっていくのか? 
 その社会の変貌に、個人の精神(過去に引きずられる価値観)と社会のズレを、どう消化して次の時代に体と精神を一致できるかが一番の課題になるでしょう。単純に言えば、「帰属する社会から個の能力を、どのように社会に繋げて人生を歩んでいくのか」これが最大のテーマになっていきます。
 いま日本の多くの人は、既存の仕組みにしがみ付くことばかり考えて、都市型のサラリーマン社会の延長の人生から抜け出せないまま、先入観に囚われて生活をしています。しかし、このシステムには限界があり、違った発想から人生を設計せざるえない社会になっていくでしょう。
 「その違った人生の発想とは?」
 そのヒントは、過去の先人の人生観にあると思っています。私たちの世代(60~40代)は、モノ作りを軽視した社会の上で日本経済を作ってきました。それによって、第三産業(サービス業)が中心になり日本社会をけん引してきました。しかし、それは何も生産をせずに社会システムの効率化と潤滑化をしただけで、先人が作ってきた社会インフラのうわべだけの仕事でしかありませんでした。大きなイノベーションがなく、サービス業とキャッシュを回す仕組みを変えただけで、表層的な改革しかせずに人も文化も育てることをしてきませんでした。それによって、日本の産業は国内にしか通用しないモノ・サービスしか作りませんでした。世界とは隔離した閉塞社会を作り、「ガラパゴス化」という言葉が生れるほど、自分たちで息苦しい社会を作ってしまいました。企業レベルだけでなく、個人も閉塞感と創造性のない社会を作ってタコ壺化の社会に安住したのです。
 広い視野で見ない世界観は、自ずとドメスティック(国内市場)しか見ずに世界との対比の中で未来を先見する思考すら止めてしまいました。平成という時代は、常に「効率とマネー」ばかりを追求して新しい価値を生まないまま、今日まで来てしまいました。しかも、いま日本の閉塞感と疲弊感は、経済活動も人間教育もすべて内向きで、既存を壊すことや改革する原動力を育ててきませんでした。
 この閉塞社会から脱却するには、大きな視野で世の中を見ていく精神から変えていく必要があると思います。家庭・学校・職場まですべて日本的な型にハマることを卒業して、大きな歴史のロジカルに考える癖をつけることだと思っています。
 これまで「世界に日本人は出ていくべき」という主張をしてきた理由は、日本人のDNAには先入観に捉われず実行能力と次世代に繋げていく力を持っていました。この力は、白人優越主義の世界でも対等に世界と渡り合ってきた能力でした。いまなお、日本人には潜在的能として潜んでいると思っています。しかし、その宝である能力を自ら閉ざして世界と渡り合うことをしなくなりました。内向きの精神は、閉塞社会に合す教育と経済構造が、その能力を閉ざして大きな視野で見ることをしなくなりました。いまの日本の国づくりは、その能力を柱にした教育・経済システムになっていません。ある意味、日本の悲劇はここからはじまっています。そして、いまだに教育界も政財界も誰もその問題に着手する人がいません。

 

―歴史を価値あるモノに―

 日本社会には、既得権益が時代錯誤になり国づくりを邪魔している装置があまりにも多く存在しています。それをどのように捉えるかによって、人生観や世界観が大きく変わってきます。特に、国内の既得権益を壊そうとすれば、改革勢力と維持する勢力で消耗戦をして日本人同士の不毛な戦になり国力を落とすことにしかなりません。(これは、刃物業界の組合や互助会を見ていても、縄張りと各地方の不毛な権益が産業構造を弱体化させていることがわかります。)しかし、この古い構造の枠に捉われないで海外市場という巨大な視野に目を移せば、世界観と市場メカニズムがまったく違うモノになって、閉塞感と不毛な競戦から抜け出ることが出来ます。いままでの既得権と販売規範が、くだらない問題に映り過去の産物になります。
 いま、必要なことは日本人同士の消耗戦でなく、世界というブルーオーシャン(競争相手がいない、未開拓の市場になっている。)に市場を広げて広義に捉えることです。いま日本の賃金が上がらない問題の根幹は、各産業が外貨を稼ぐ力がなくなっていることです。湯船に小さな穴が空いていて、国内から海外にお金が出ていく複合的な要因(留学・行政の海外プロジェクト・多国籍企業)が、日本経済を弱めて若年層が貧困になっていることが原因です。(次回、日本の国策やサイフォンのように海外にお金が出ている仕組みについては書こうと思います。)   
 話しは戻しますが、これからの日本人が最短で経済的な自立と幸福度を個人レベルで取り戻せるには、どうするのか? そのヒントは、日本の職人文化に隠されていると思っています。平成という時代は、モノ作りを軽視した時代がずっと続いてきました。特に伝統工芸や技術を修得する世界は、古い産業とされコスパが悪く非効率産業として扱われてきました。それによって、担い手も生まれず職人の空洞化がはじまって、職人文化がなくなろうとしています。職人世界の現場は、「きつい」「汚い」「金にならない」という職人世界の3Kになっていて、多くの課題が山積しています。それに加えて、職人世界は入門しても技術を修得するのに数年もしくは10年という歳月が必要です。
 ただし、それは平成までのという時代で見たときの話しで、価値観は大きく変わりサービス産業は衰退して終身雇用システムは終わろうとしています。そして、未来はアナログ対デジタルという対極の時代に入り、個人がどちらかを選ぶかによって生活スタイルや人生観がまったく違う分岐点になろうとしています。

 「なぜ、ITの進行しているさなかに、デジタルとは対極にある職人世界が日本人の未来につながるのか?」

 これからさらに、ヒューマン(Human)と機械化された社会で、どう精神が整合性をもってその社会と共存していくのかがキーワードになっていくでしょう。そのときに、精神の支えになるのは人間らしい仕事で、モノと人の対話の中に自分を見つけていく時代になると思います。個が、社会・仕事・個人をつなげて自分の存在を確認する社会に益々なっていきます。社会は、機械化されて画一的な社会にむかっていくでしょう。さらに歯車化された教育や労働は、閉塞感と孤独感をさらに強めて個人の尊厳を重要視しない社会に向かっていきます。そのときに、機械化でなく職人の多面的なモノを作ることができれば、個人の多様性と個の精神の自立にもつながります。職人技術は、技術の修得に時間がかかると同時に、個性が出るので自分にしか出来ないモノ作りの世界があります。その世界なら、技術を一生自分の財産として身にまとうことができ精神と体が一致して社会とつながることが出来ます。
 これまでの職人世界の問題は、市場が小さすぎて古い体制の中でしか経済活動をしてこなかったことです。新しい市場を作らず、固定観念で続けてきたので年々収縮していました。しかし、時代はネット社会に変わり世界に販売できる時代が到来しました。前回、刃物業界を例にして2008年までは斜陽産業で、淘汰されることを待つだけの産業という話しをしました。それが世界に目を向けただけで、何億の市場規模に膨れ上がり、これまで金銭面で苦労していた業界は、一瞬にして成長産業になってしまいました。たった1つの先入観を変えただけで、一瞬にして既存の権益の枠が壊れて固定観念も古いものになったのです。実は日本には、それらの仕事がゴロゴロと転がっています。
 ものづくりの面白いところは、日本人の作ったものが欲しいという人たちが世界の至るところにいることです。別の言い方をすれば、日本人がモノを作れば、その地域で重宝がられる存在になるということ。ある意味、この国に生まれただけで他民族との差別化になり日本というブランドを誰もが持っているということです。
 多くの人は、その意味と価値を理解せずに生きています。いま日本に蔓延しているマイナスの精神から逆の発想にして、潜在能力と対話をすれば一瞬にして人生観が変わります。その簡単なロジックを教えずに、いま学校や巷では平成のサラリーマン社会の沿線上の仕事ばかりをスタートアップ事業として騒ぎ立てていますが、果たしてそこに日本人の未来があるとは思いません。