歴史から抹消してしまった国防と国益 25
-日系人から学ぶもの-

 先日、Vancouverでお世話になっている知人のお孫さんが、日本に行って勉強したいという話しが面白かったので紹介をします。その子は日系3世で、アメリカ生まれのアメリカ育ちでほとんど日本語は話せず、アメリカで大学を卒業して地元で仕事をしていました。その彼が、すべての生活を捨てて日本に行くことを決断しました。だいたい英語圏の人が日本に行くときは、英語を武器にして日本の大学や英語を使った職に就くのですが、彼の選択は全く違うモノでした。彼の訪日目的は、徳島の田舎に行って藍染めの勉強をしに行くという日本の若い子でも選択をしない道を選びました。祖母にしてみたら、「何でまた? せっかく仕事にも付けて、ようやく自立できたのに。」という想いがあったようです。
 そのお孫さんとは偶然にも面識があり、去年私のワークショップを受けてくれて、日本のことにはすごく興味をもっていました。そもそものきっかけは、Vancouverで懇意にしていた方で彼にとっては祖父に当たる方が他界し、その遺留品として日本の高級包丁を何本か彼ら兄弟は受け継ぐことになりました。そして、祖母の意向で「自分たちでメンテナンスをしなさい。」ということから連れられて、私の店にきて3時間ばかり包丁の研ぎの勉強をしにきました。そのときの印象は、すごく熱心に日本文化の話しを聞いてくれて、すごく有意義な時間になりました。
 海外は、包丁のメンテナンスをしてくれる人が周囲にいないので、自分たちですべてやらなくてはいけないという現状があります。祖母は、その状況を理解した上でワークショップを受けるように彼らに勧めました。

 そのときに、「なぜ、包丁のワークショップを受けたの?」と聞いたところ。
 「祖父が残した日本の包丁に興味があり、自分の手で研ぎたいんだよね。」
 さらに私は
 「そもそも、コンピューターの世界にいたのに、アナログの世界に興味があるの?」と聞いたら、もう1つ意味深な答えが返ってきました。
 「自分は、日本人のDNAを受け継いで日本のアイデンティティにすごく興味がある。日本のものづくりに、シンパシーを感じるんだよね。」という答えが返ってきました。
 そんな彼は、30歳のニューメキシコでグラフィックデザインの仕事をしている好青年でした。日系人と言っても、アメリカ生まれのアメリカ育ちなので彼のアイデンティティはアメリカ人です。その彼は、趣味で革の鞄や小物を作って、知人にあげたりしてもの作りには興味があるとのことでした。裁縫の方の興味は、母親が生地の仕事をしているのも関係しているのかもしれません。
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 その彼が、なぜ突如「藍染の修行に行くのか」詳しい心境はまだ聞いていませんが。祖母の話しによると、2~3年間は徳島の職人さんのところで藍染めの修行をして、その生地を服やカバンに使い自分でデザインしてニューヨークで販売するという壮大なプロジェクトが彼の中にあるようです。ここで面白いのは、伝統工芸に興味があり藍染の勉強することもですが、それに以上に面白いと思ったのは伝統工芸を現代のカタチにしようとしていることです。日本の職人世界は、1つの仕事しかしません。長年私も携わっていて、日本の職人社会の弱点にもなっているのは次世代に繋がっていないという根本の問題があります。(包丁職人・漆器職人・和紙職人・藍染職人のすべてに言えるのは、作ることが目的になってしまい次世代の産業になっていない現実があります。ほとんどの職人は、キャッシュフローの問題で現斜陽産業になり後継者が育たない状況になっています。)
 しかし、その彼のミッションは藍染めの技術を修得することが最終目的でなく通過点であるということ。あくまでも自分のホームグランドであるアメリカで、日本の伝統工芸と現代をつなげて市場の拡大をするという発想であることです。
 なぜ、この話しを取り上げたか? 私たちの世代も含めて、多くの日本人は単発でものごとを見て現在にしか焦点を合わして生活空間を作ってきませんでした。昔の人たちが作ってきた生活モデルである、過去と未来をつなげて仕事にしていく土壌をすべて壊してしまいました。それによって、伝統工芸という時間軸の英知の結晶を自らの手で消滅の危機まできてしまいました。現代の日本人は、時間軸で仕事と捉えることをしなくなり、断片的な社会システムを作ってしまいました。
 その身近な例は、語学留学が代表です。英語の修得は、人生のどこに位置するのか多くの日本人留学生は、答えが無いまま数か月数年勉強をしてドブに時間とお金を捨てています。個人の出費からみても国家単位でみても莫大な金額が海外に流れています。と同時に、若い人たちの貴重な時間も無駄になっています。他国の留学生たちを見ていていても、こんなに無駄にしている民族はいないと思います。他民族は、その国に英語を勉強する先に人生をもって留学をしています。例えば、現地の資格(会計士・医師・弁護士・エンジニア・車のメカニックなど)を取ってその技術でどこでも生きていける土台を作ります。日本人の若い人たちのドブに捨てている勉強時間と金額を総計すると、日本が世界の中で断トツにトップだと思います。別の見方をすれば裕福になったということでしょう。先進国で、こんな時間とお金を使っている若者は見たことがありません。
 そもそも語学の修得は、下地がなければ修得するには難しいです。いまの日本人の発想の貧困さは、「学校に行けば何とかなる。」という発想と、いままでの経歴や経験(職歴・専門知識)をゼロにして、単発の経験値を作って時間を浪費していることに気が付いていないことです。本来重要なことは、いままでの自分の経験こそが価値があり、その経験を元に自分の心の対話がはじまり、「自分が何をしたいのか?」「何ができるのか?」 過去・現在・未来という時間軸で人生観を組み立てる力こそが生きる上で一番重要なことだと思っています。いまの日本人は、その貴重な時間と与えられた機会を理解していません。私たちの先人(第一次移民でブラジル・アメリカ・カナダに渡った移民)は、金銭的にも職業の選択もないなかで生活力と景況感はありました。自分たちの先祖の知恵と現在をマッチングしながら、生活空間を作っていました。実は、この英知があったからこそ明治維新という激変の時代を乗り越えることも出来たし、敗戦後の日本の復活を成し遂げることができたと思います。日本人の本来の知恵は、時代や環境が変わっても柔軟に生きるたくましさを持っているということ。しかし、いまの日本人の問題は自分たちの民族の専売特許を捨ててしまい、「短絡的な自由を謳歌することが最大の権利」というおかしな価値観に変えて、それが人知だと思っていることです。いまの日本社会の価値の中心は、「いまだけ・金だけ・自分だけ」です。すべての年代がこの思考を柱にしているから、時間軸の空間デザインが出来ない民族になってしまいました。
 話しを戻します。彼の人生のユニークさは、まったく日本語が喋れないのに徳島のド田舎に行って職人世界に入る行動力です。いまの日本人の発想であれば、まずは学校に行って現地の言葉を修得して、それから目的としたし世界に入るプランを立てるでしょう。日本的な杓子定規の時間の使い方は、目的に着くまでに時間と労力を浪費してしまい人間力のベクトルを弱めてしまい「自分がしたいところまでいかない。」という悪循環な人生設計になっています。彼から学ぶことは、時空間をデザインして瞬発的な突破力をどこにぶつけているのか? これが明確になっていることです。そして、彼自身が日本人のDNAを受け継いでいるという、人生観と歴史観と民族観というプライドを持って信じていることです。
 私が不思議に思っているのは、日本人の中から出てくるのではなくアメリカのニューメキシコという田舎から、このような発想が生まれてくる偶然性に驚いています。彼の複合的な環境が要因になっているのかもしれませんが、強いシンパシーで日本の伝統工芸に引き込まれて人生が共鳴していることは間違いありません。祖父の魂が呼んでいるのか、よく解りませんが過去の経験と未来を時間軸でつなぐ人生をしようとしていることに私は共感します。 
 いまの日本人は、徹底的にその力を失い、歴史と自分(現代‐いま‐)をという視点で世の中を見なくなってしまいました。日本には、至る所に歴史(伝統)があり、自分たちの人生と繋げることが出来る機会がそこら中にあります。世界に、こんなに面白い国はありません。今回、この話しをしたのは、アメリカ人である彼が「伝統と文化に吸い寄せられたこと」「シンパシーを感じたこと」が特殊だという話しではなく、実は日本人であれば誰もが持っている潜在的な能力だと思っています。心が振動して、ものづくりで自分の人生観を持つという英知は、日本人の本来持っている能力だと思っています。実は、日本人のオリジナルの人生観はここにあると見ています。

 手前みそになりますが、日本の包丁を生業にして17年が経ちました。その当時は、日本でもVancouverでも日本の包丁を商売にするなんて人は誰もいませんでした。世間は日本の包丁にはまったく興味がなく、そんなものが売れる要素は1つもありませんでした。私が、この商売をするといったときには、Vancouverの日系界隈ではあいつは頭がおかしくなったぐらいの扱いでした。
 日本国内の包丁の業界はどうだったのか? 日本ではバブル経済がはじけたことで、料理業界は利益の出ない産業になり、若い料理人は包丁を買わない時代に進んでいました。かつての料理人は、数年経つと包丁を新調して包丁自慢をしたものでした。少ない給料でお金をためて、また新調するという楽しみが料理人にはありました。しかし、それらの慣習もなくなり料理学校で揃えた安い包丁を何年も使い、自分たちに合った包丁を捜すこともしない時代になりました。さらに次の20~30代は、会社の包丁を使う時代になり伝統に触れ合うことすらなくなりました。それに輪をかけて、一般家庭では料理をする人は減りスーパーやコンビニでお惣菜や出来合い物を買うことで、家庭での包丁の使用度は減り100円ショップの安い包丁でもいいという人たちが大半を閉めました。それによって、家庭でも包丁が売れない時代が来て伝統に触れることすらなくなってしまいました。
 同時期の海外状況は、「何で包丁(道具)に200~500ドルもだすの?」とういう感覚でした。彼らにしてみたら日本の包丁が何で高額なのか、まったく意味がわからなかったと思います。
 いまでも思い出すのは、最初に来た客は値段を見て引き返す客がほとんどでした。そもそも食文化が希薄な社会に、包丁(道具)に高額を出す思考すらありませんでした。そのときの彼らの心境は、その金額をみて狐につままれた感情だったと思います。当時の包丁は、5~10本の包丁セットで30~40ドルが一般的だったにも関わらず、1本200ドルって彼らにしてみればカルチャーショックのなにものでもなかったと思います。
 しかし、時代というのは面白いもので1年経ち2年経つうちにお客さんが増えていき、いつの時代か日本の包丁は高級ということが一般的に認知され、いまでは市民権(誰もが知っている常識)を取るまでになりました。日本の包丁が売れる時代が到来した要因は、複合的に幾つかあります。ただし、多くの日本人や包丁業界の人が理解していることとは私は違った見方をしています。
 確かに日本食のブームや食文化の発展が、世界一律に共有してレベルが上がったことは間違いありません。それに伴い日本食品が注目されたことも事実です。食文化の水準が上がったことで、日本の包丁が連動して売れたというのが巷の意見です。
 実は本質は違うところにあります。たった20年弱で日本の包丁文化が多文化に浸透していった要因は、「よく切れる」という前提があった上で、道具という概念から歴史と伝統という時空間を越えた英知(文明)を使いたいという異文化の人たちの意識が変わったからです。日本の包丁は、モノや道具でなく神格化されたれたモノとして扱われ、他国の人たちはそこに触れたいという感情が芽生えたからです。本質の問題は、異文化を乗り越えて彼らの心(精神)の中に浸透していったということが一番の理由です。この意味をほとんどの日本人は理解していません。これが、伝統が時空間を越えて波動になって多民族に浸透していくという、日本人が持っている英知です。実は、日本には幾つもの異文化の壁を打ち破り、世界を設計するモノが転がっています。早く日本人は、その意味に気づき時間軸と心をつなぐ作業をすると、次のステージが見えてきます。