歴史から抹消してしまった国防と国益 <特別号>
 ―平成が生んだ風雲児―

 安倍晋三氏が凶弾に倒れたニュースは、世界に激震を与え北米でもトップの速報で流れました。あまりにも、突然のことで、その現実を受け入れられない人は多く、海外に住んでいる日本人も哀しみに包まれました。安倍晋三氏という人は、国内の評価と海外での受け止め方は、まったく違うもので日本では森友問題と加計問題に振り回されて、国内政治は非常に低く評価されてきました。オールド・メディアや野党は、「反安倍・反権力」を掲げて世論を誘導して国益を損ねることばかりして、まともに国内政治をさせないで来ました。
 海外の捉え方は、安倍晋三さんが第二次政権を取った時に、どん底に落ちていた日本を立直して、戦後初めて政治の力で世界の中心に日本を押し上げた人でした。民主党政権は、日本の国益を日増しに落としていき、世界の餌食になりかけていました。海外に住んでいる日本人は、母国が沈没していくその姿を愁えている人が、多くいたことは間違いありません。
その一例は、トヨタのプリウス事件(2009~10年に起きた暴走事故問題)です。あの事件は国内では、正確に報道されず本当のことを理解している人は少ないと思います。あれは、アメリカが国益をむき出しにした経済戦争でした。日本では、トヨタという大企業のリコール問題がアメリカを騒がしていると見ている人がほとんどでした。アメリカのBig3(自動車産業:フォード・クライスラー・GM)と政治とメディアと司法が一緒になって日本車バッシングをして、日本の技術を無償提供させ国家賠償をさせるという、国家間のカツアゲと恫喝した事件でした。当時の民主党政府は、何もせずにトヨタという企業を犠牲にして、日本政府は全く守ることをしませんでした。あのハイブリット技術は、日本人の努力と英知のかたまりです。その状況下で、トヨタの章男社長一人がアメリカに乗り込み必死にアメリカ社会に呼び掛けて、日本車バッシングの火を消して回りました。そのときに、多額の賠償金とハイブリット技術を開示することで、トヨタはアメリカ市場に残ることができました。そのおかけで、ホンダや日産は多くの被害がでませんでした。あの理不尽さを北米社会で見ていた日本人は、なんとも言えない虚しい心境だったと思います。そして多くの駐在員は、日本政府は国民を守ってくれないと実感したと思います。
 偶然かわかりませんが、ときとしてまったく同じ時期に2010年9月7日に尖閣諸島漁船の衝突事故が起きました。あの事件は、外国人犯罪者を日本の法にかけることなく丁重に中国に戻し、何もなかったことのようにして事件を強制的に終わらせてしまいました。それと全く同じ時期に、北米では何が起きていたのか。ほとんどの日本国内の人は知りませんが、あの事件以降北米の各地で慰安婦像の設置運動がはじまり、日本人差別運動がはじまりました。この状況を体感した日本人は、国家が弱体化すると身の回りの生活が不安定になり危険とのとなりあわせということを思い知らされました。民主党政権になったとたんにはじまった日本差別運動は、たった8年間で北米の各地で慰安婦像が設置されました。これは、安倍政権に変わってもすぐに火を消すことが出来ませんでした。

  • 2010.10:ニュージャージー州 バーゲン郡 パリセイズ・パーク – 公立図書館脇 慰安婦碑
  • 2012.6:ニューヨーク州 ナッソー郡 – アイゼンハワー公園内の退役軍人記念園 慰安婦碑
  • 2012.12:カリフォルニア州 オレンジ郡 ガーデングローブ – ショッピングモール前 慰安婦碑
  • 2013.3:ニュージャージー州バーゲン郡ハッケンサック – 裁判所脇 慰安婦碑
  • 2013.7:カリフォルニア州ロサンゼルス郡 グレンデール – 公園 (慰安婦像と碑文)
  • 2014.1:ニューヨーク州ナッソー郡 – アイゼンハワー公園内の退役軍人記念園 慰安婦碑 <2012年に建てた慰安婦碑の左右2カ所に追加>
  • 2014.5:バージニア州 フェアファックス郡 – 郡庁敷地内 慰安婦碑
  • 2014.8:ニュージャージー州ハドソン郡 ユニオンシティ – リバティプラザ市立公園 慰安婦碑
  • 2014.8:ミシガン州 デトロイト市 – 韓国人文化会館前庭 (慰安婦像)
  • 2018.5:ニュージャージー州 バーゲン郡 フォートリー

上記は、設置されたところだけですが未遂で終わったところは多々にあり、バンクーバーでも慰安婦像がバーナビー市(バンクーバーの隣の市)の公共の敷地内に設置する一歩手前までいきました。この銅像の恐ろしさは、日本人が海外で平穏の生活が出来ず、つねに差別され卑劣の民族として扱われることを意味します。大阪のニュース・アンカーでは、青山繁晴氏がロサンゼルスのグレンデールのことを取り上げて、駐在員の子供たちが学校で差別を受けている実態が明かされました。なんの責任もない日本の子供たちに、「女性を性奴隷」と「女性を拉致」した子孫として、クラスの前に立たされて学校という公の場で民族差別がされました。その実体に多くの日本人は、どこに問題解決があるのか解らず、やり場のない怒りをただ単に我慢して差別社会の中に邦人が放り出された状態になりました。これは、トヨタと同じ状態で邦人1人1人が、犠牲になった事件でもありました。
 そのときに、安倍政権が出来て、まずしたことは、グランデールに飛んで現地の現状を聞くことからはじめました。そして、多くの邦人が慰安婦によって差別されている状況を知り、外務省に通達をだして情報収集と大使館・領事館に窓口を早々に作りました。そして、いままでは民間人だけで慰安婦像の設置反対していた状況から、国が動き始めたことによって、いくつもの箇所で設置の保留や中断されるまでになりました。このときに、国の力・安倍首相の手腕に北米に住む多くの日本人は助けられました。

 さらに安倍晋三氏は、第一次政権のときに「戦後レジュームの脱却」という政治指針を掲げことで、アメリカの保守からリベラルにいたるまで徹底的に潰された反省を活かし、第二次政権になったとたんにアメリカ人の心を掴み、見事なまでにアメリカの国内の空気を変えてしまいました。その当時のアメリカは、親中派とチャイナ・マネーに侵食されてアメリカが中華化される一歩手前まで来ていました。その中での奮闘ぶりは、すごいモノでした。あの親中派のオバマ政権下で、アメリカ上下両院合同会議で安倍首相が演説をして、一瞬にして日本の土俵にアメリカという国を乗せてしまいました。たった一人でアメリカに殴り込みをかけ、バタバタと首脳陣が安倍カラーに染まっていく姿は、痛快でした。日本国内では、日本の首相がアメリカ議会で演説をしたぐらいにしか受け止めていませんが、あそこを起点にしてアメリカ国内の中国化の動きが鈍くなったことは間違いありません。
 さらに、策は演説だけにはとどまらず、硫黄島の記憶を呼び起こし、アメリカ自身の戦後レジュームを解いたことでした。進藤孝義議員(栗林忠道陸軍大将の御子息)とローレンス・スノーデン元中将(硫黄島の戦いに従軍した中隊長)の手を握りしめた姿は、戦後アメリカが日本に対して抱いていた恐怖心からの解放でもありました。あの光景に多くのアメリカ人は、心を打たれ両国の英霊によって過去と現在が融合された瞬間でもありました。
 安倍晋三氏の天才的な政治手腕は、クワットや対中政策のような政治手法だけでなく、過去・現在・未来の時空間を越えた世界観を持っていたことです。そして、リアリズムの世界の中に英霊を巻き込んで政治をしたことでした。その姿は、人類の未来を憂える姿であり晋三イズムという哲学になっていました。海外から見る安倍晋三の姿は、政治と哲学と日本文化が混ざった初めての首相でした。その姿に、世界の首脳陣は魅了され安倍晋三の虜になっていました。これほど世界の中心に立ち、世界を動かした日本人は過去にはいませんでした。まさに平成が生んだ風雲児であり、世界の中心に立った人であることは間違いありません。
 安倍晋三氏が残した魂は、多くの日本人にも受け継がれ、日本人が覚醒する大きなきっかけを作ってくれたことは間違いありません。