歴史から抹消してしまった国防と国益 XⅤ
-ウクライナ侵攻で見えてきたリアリズム-

2月 北京オリンピック
3月 韓国大統領選
7月 参議院選 (日本)
中国共産党大会 (習主席 3期目の政権継続かを決める共産党大会)
11月 アメリカの中間選挙

 今回のウクライナの侵攻は、ロシア単独の行為ではなく中国が深く関与してロシア・中国・北朝鮮が北京オリンピック後に、歴史転換を図るためであったと見ています。そもそも、ロシア一国だけでアメリカと西側諸国の対峙をして歴史的変換を出来るほど世界秩序(パックス・アメリカーナ)は簡単に覆すことは出来ません。それは、プーチン大統領も解っていたと思います。ロシアと中国と北朝鮮は、隣国の侵略を同時多発にしてアメリカ覇権を終焉させて、パワーゲーム(核抑止力による力の均衡)を作り変え独裁国家優位の世界にする野望があったと見ています。そのシナリオは、ロシアがウクライナを数日で制圧して傀儡政権を作り、西側陣営が動揺をしている間にパラリンピック終了と同時に、中国が尖閣諸島と台湾を制圧して冷戦後に出来た秩序をすべてひっくり返す構想があったと推測しています。クリミア半島や香港の制圧のときは、西側陣営は何も出来ないまま領土と主権が奪われてしまいました。それと同じようにして、ウクライナ侵攻と台湾制圧(尖閣諸島も含む)をハイブリット戦(インフラ破壊・情報戦・軍事力)で陥落させ、中露主導の第2極を作り民主主義の対極の世界を作る構想があったと見ています。北京オリンピック以降に、台湾では3月に大規模な停電が起こり台湾のインフレが奪われた状態が続きました。そして、日本の海域では北朝鮮のミサイルが頻繁に撃ち込まれました。これは、何を意味するのか。ただ単の偶然なのか?
 このウクライナ侵攻を中国側から見ると、幾つものことが見えてきます。プーチン大統領は、北京五輪に出席して中露の親密さを世界に示すと同時に、習主席と対面での会合をしました。日本のメディアでは、「ロシアの行動を中国は知らなかった」とか「中国はそこまで関与していなかった」ということばかり話していますが、本当にそんなバカなことがあるのだろうか? 常識的に考えれば、最後の対面でお互いが確認をしていたと見るのが普通です。それに加えて、アメリカの軍事オプションが2極同時に対峙することが出来ないことは、軍事の常識であり中露の間では、絶好のチャンスが巡ってきたと見るのが普通です。まさに、西側陣営の弱点を突き独裁国家しかできない特権を活かした軍事作戦であり、オリンピック前の対面は独裁者の本気度の確認しかありません。
 そのパラドックスで見ると、中国に仲裁を頼んで平常時の国際情勢に戻してもらうという発想も空理空論でしかありません。日本のメディアでは、無知なコメンテーターや専門家風情が「中国が仲裁に入って戦争を止めるべきだ」「国際連合が仲裁するべきだ」という情緒論で言っていますが、いままでの経過をみれば子供じみた不毛な論でしかありません。日本の有識者やキャスターは、日本国憲法の中に組み込まれた武装解除を基とした「みんな仲良く」とした発想で、国際情勢を語ることをしていますが、極めて危険であり民族の自滅装置が働いているように見えます。日本の世論が、いつも国際社会とズレが応じるのはここに原因があり、多くの日本人はその事実を理解していません。国家観や民族観や宗教観を持たない社会は、民族紛争を理解することはできません。いまだにWGIP(敗戦責任洗脳プログラム)が体の髄まで浸透して、日本人がまっとうな感覚を持っていないことが、ここでも証明されてしまいました。
 話しを戻しますが、中露朝の権威主義と独裁体制は西側陣営の常識では解読できない理論と国家で成り立っています。それに加えて国際社会は、「盗った、盗られた」の腕力の世界で成り立っている部分があり、日本人が考える「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持」するという相互秩序で国際社会はなっていません。強いて言えば、荒野の中に「小さな灯火の倫理」で、どうにか理性を保って平和の中で国際社会が成り立っているのが実体です。日本人は、国連をはじめ世界各国は理想と理念に溢れ「共助・互助」を柱にして世界秩序が成っていると思っていますが、それは日本独特の情緒論であり桃源郷を見ています。世界は、ドライなリアリズムの中にあります。今回のウクライナ侵攻は、1つの事例であり国際社会の残虐な側面が表面化しただけです。そして、独裁国家の正体が明確になりました。独裁者の意思決定は、民意や民族の意志とは違う方向に国が進み、残虐な行為が平然と出来てしまいます。そこでは、1人によってすべての権威と権力を集中させて、平和な社会を作ることは望んではいません。日本のメディアでは、「プーチン大統領が非道だとか精神疾患になっている」と言っていますが。そもそもプーチン大統領の国家観は、ソビエト連邦の復活であり。それを阻むものには、殺戮を厭わないことが前提にあります。ウクライナ侵攻は、プーチン大統領の本望であり歴史的な必然性でもあります。悲惨な現実ではありますが、これが国際社会のリアリズムです。そして、一度独裁の権威と権力を手に入れたら、自ら手放すことはありえません。独裁者は、権威の拡張か自滅の二者択一しかありません。「プーチン大統領が非道だとか精神疾患になっている」という日本の言論空間は、パラダイムも解らない平和ボケした桃源郷の話しでしかありません。国際社会は、その大惨状も含めたうえで自国民の生存のために民族の生存競争と国益のリアリズムの中で生きています。

 その経過を踏まえた上で、今後の日本は国際情勢をどのように捉えていくのか? ウクライナの問題は、ヨーロッパ圏の遠い国の話しではなく、いつでも日本は戦時下になるという危機があることを認識する機会になりました。国際世論は、ロシアの侵略行為を糾弾しウクライナ情勢ばかり注視していますが、日本は独自の国家観でこの情勢を見なくてはいけないと思います。なぜなら、日本は近海には独裁国家が三か国も隣接しているからです。そして、中国で行われていた人権問題や覇権問題や北朝鮮の拉致被害がなくなったわけではありません。このウクライナ侵攻は、独裁国家が武力侵攻をすること誰も止めることが出来ず、国連の集団安全保障の継続が出来ないことが証明されました。この事実は、世界秩序の大きなモデルチェンジになり、冷戦後に続いた安定した国際秩序には戻れません。ウクライナでは、いまだに街を破壊され多くの庶民が殺害されていますが、この状況がいつでも日本に起きるということです。 
 いま中国は、沈黙をしてロシアにも付かず西側陣営にも付かず、天秤にかけながらウクライナ情勢を見ています。五輪前まで中露は、蜜月関係をアピールした関係でした。ロシアとの距離を取り西側陣営の制裁過程を見て、泥沼化していくロシアの行く末を遠目で見ていますが、彼らは隙あらば台湾・日本侵攻を考えています。
 今回、ウクライナを見てもわかるように国境に敵軍が配置するということは、いつでも侵略する準備があるということです。ロシアと隣接する国家は、他国のことでなく自国のこととして国益と自主防衛のシミュレーションの中で国防体制に入っています。顕著に出ているのは、バルト3国とポーランドとフィンランドです。陸続きで隣接している関係上、これらの諸国はロシアの侵略と脅威の歴史の中で民族の英知が培われ、ウクライナ支援をすぐに決めました。携帯式の対戦車ミサイルや地対空ミサイルを提供し、ロシアの軍拡をいち早く否定する立場に立ち国政の柱にしました。この脅威と危機は、いまの日本人には理解できないと思います。それは、戦後自国民の血で平和を守ることは実質してきませんでした。別の見方をすれば、平和でいい時代だったことの証であります。しかし、平和を維持するために国民の負担と代償(そこには、国民の命や精神を含むモノ)を深く考えさせない戦後の歴史でもありました。しかし、これからの国際情勢ではいままでのような体制では国を維持することは出来ないと見ています。