歴史から抹消してしまった国防と国益  Ⅱ
―国際センスの無い人間―

 久々に、日本の国会中継を見ましたが。政ごとをする人の答弁かと耳を疑うほど、レベルの低い討論を拝見してビックリしました。内容は、野党が「五輪ができるのか? 中止をすることは出来ないのか?」という討論でしたが。あまりにも、国際センスの無さと国の方向を決める人たちが、このレベルで国家の運営をしていることにあきれてしまいました。そもそも、世界はワクチンを打ち始めて鎮静の方向に向かっています。一部のメディアは、インドの感染状況を取り上げて、まだ世界は危険な状況であるような報道をしていますが、先進国はワクチンを打った地域から感染者が激減して、徐々に経済を戻しつつあります。ロンドンやニューヨークでは、飲食店の規制緩和をしています。日本では、ワクチンを接種している人は少ないですが、カナダでは40%の人が第一回目接種を終えています。

(上のTwitterは、カナダのBC州のもので、BC州内のワクチン接種者は、50%になったことを示しています。<ワクチン適格者となる18歳以上の半数以上が、新型コロナウイルスのワクチン接種を受けたことが発表されました。>)そして、医療従事者や介護施設の人たちは、2回目の投与が終わっています。ワクチン接種によって、感染者は激減したことを機に、各国は通常社会の普及に舵を切って動き始めています。これから3ヶ月の間で、世界はさらに経済活動を戻し、各スポーツ観戦も観客を入れて通常に戻していくと見ています。そんな状況になっているにも関わらず、オリンピック中止を呼び掛ける人たちの意味が解りません。各国のオリンピック選手は、送り出す側も厳重の検査と国家の威信にかけ、国家権力を前面に出して選手を送りだしてきます。そもそも、選手の感染対策は各国の最高レベルのチェック機関で管理されています。予選会やチームでトレーニングをしている場は、1人でも感染すればクラスターになる危険があります。それを承知の上で日々のトレーニングをしているということは、厳重な衛生管理の下でやられているは当然のことです。なぜ、国会議員はIOCの状況を調べないのか? その現状をもとにして討論をすれば、欠落しているところも指摘ができ改善も含めた討論にもつながります。詳細な調査や現場を見ずに、オリンピックの中止を提唱する人たちは、科学的な検知で発言をしているのか、非常に疑問に思っています。メディアも含めてですが、全体の空気を「大変だ。大変だ」と煽り野次馬的なレベルで騒ぐことが、この国にとってプラスなのか。いまの日本を見ていると、言葉だけが走り「中止をさせる」ことを前提にした報道をしているようにしか見えません。(北海道では、感染者が増えたと報道をしていますが、交通事故や他の病気をここまで詳細にして騒いだことがあるのか? 仮に、これが武漢熱によって死亡者数が突如増えたのならば理解ができます。無症状や軽症になっている人を捉えて、そこまで騒ぐ必要があるのか疑問に思っています。どこか、大衆が期待している記事を作り、国民感情を煽っているとしか見えません。いま、集団免疫の方に舵を切っているのであれば、このような現象が出るのは当然のことだと思います。)なぜ、科学的な検証から判断をしないのか。

https://www.youtube.com/watch?v=zjD0SWnpnGI

 ある野党議員は、「オリンピック選手と日本人が同時に来た時にどちらが優先されるのか?」とバカな質問をしていましたが。医師は重篤者から見るのが当然のことであり、一般常識で考えたらわかることです。党を代表してまで、発言させる意味はどこにあるのか? むしろ、党の内部で止めさせる人はいなかったのか不思議に思ってしまいます。野党議員の質問は、科学的な整合性がなく情緒に訴えることばかりをしていますが、小学校の学級会と同等の話し合いを大人がしている滑稽さが見えてしまいます。果たして、特定の人の感情の演説に国費を何百万円もかける必要があるのか、日本人は現実を見るいい機会だと思っています。野党議員は、なぜ政策や具体的な提案をしていかないのか? それに加えて、政府は現場に立ち答弁をしないのか。本来の職務は、「国づくり」をどうするかであり、無責任な言論空間を発言して国民を惑わすことをするべきでないと思っています。
 この問題の本質は、難しいことでなくすごく単純なことだと見ています。解決策は、明快で武漢熱患者の病床数を増やし専門医のチームを作ればいいだけの話しです。(いま、病院サイドは武漢熱によって、いままでの患者が通院出来なくなってしまい仕事が減っている現実があります。武漢熱収束以降、病院経営も危機的な状況になっているところも多数あります。)パートタイムで、医者や看護師の確保はすぐに出来る状況になっています。政治力を使って、通常の2~3倍の時給を出せば医師や看護師もすぐに集まる状況にも関わらず、政治が機能していないことが問題だと見ています。子供の視点から見れば簡単なことが、なぜ国会議員になると意味不明な質疑をするのか理解に苦しみます。いま日本社会の一番の問題は、有事の危機対応にまったく対応できていない議員が、国会議員・地方義議員・首長をプロとして仕事に就いていることです。これが、はっきりと見えてしまいました。そして、メディアを含めて間違った方向に世論誘導して国民を困惑させているのが、日本の姿です。外国からみていると、責任を持たない政治家が、国や地方を動かし日本の国の力を出していないことが最大の原因です。

https://www.minyu-net.com/news/news/FM20210509-613232.php

 さらに理解に苦しむのは、政府が提案している大手町の合同庁舎で何万人も集めて、接種するシステムもよく解りません。1日1万人を大手町の中心に呼ぶ必要があるのか? それでなくても、日本は通勤ラッシュ等で混みあうにも関わらず、あえて日本の中心部に毎日1万人を集める必要があるのか? 飲食店には、営業時間規制とソーシャルディスタンスを強制しているにも関わらず、なぜそのような発想になるのかが理解に苦しみます。

https://www.youtube.com/watch?v=6TgkWKi_8gE

 福井県桧枝岐村では、人口520人のところに看護師2人が、一回目の接種を4日程度で終わったという記事が出ていました。過疎の町には、いくらでも対応が出来る体制があるのに、なぜそのような場所を使わないのかわかりません。人口密度が高いところに高齢者を集めて、混雑の場をあえて作り接種に時間がかれば、クラスターの危険にもなります。それであれば、「Go To Travel」でも再開して、地方でも打てるような体制にすれば、ワクチン接種の問題はもっとスムーズにいきます。ここでも、地方間の縦割り行政が生涯になっています。なぜ、ここで国が地方行政間の枠を外せないのか? ワクチンがある診療所や役場の場所をWEBに載せて、人を分散させればスムーズにいくことだと思っています。そして、ワクチン1本打ったら手当てを出すシステムにすれば、地方の役場でも手を挙げて他県からの人を呼ぶことにもつながります。そもそも、ワクチン接種にこんなに時間をかけて、複雑化しているのは日本ぐらいだと思います。

https://www.minyu-net.com/news/news/FM20210509-613232.php

 北米に関しては、流れ作業と合理的な感覚でやっていす。BC州の例ですが、英語で書かれていますが写真だけ見てください。ドライブスルーのように、下車させないでその場で打っているのが解ります。打った後、しばらく(15分程度)駐車場で、待機して何もなかったら勝手に帰るシステムになっています。

https://www.cbc.ca/news/canada/british-columbia/covid-briefing-may6-1.6016511

 接種会場は、大学を使ったり公民館の施設を使ったりして、分散化してワクチン接種をしています。場所によっては、簡易式のテントの中で打つこともしています。外の方が、密閉されていないで安全だということで駐車場を使い、野外病院のようにして接種しています。室内を使う時には、天井が高く大きなスペースの場所を使って接種をしています。

 前回も言いましたが、なぜ日本は組み合わせをしないのか? 地方で接種が終わっている診療所などを、なぜ活用しないのか。そして、日本には住民が歩いて行ける小学校や中学校や高校があります。そこに、立派な体育館という施設を持っています。大学や専門学校なども、大きなスペースを持っています。それらを上手く活用すれば、第一回目の接種に2~3カ月もかからないと思います。(小中高などは、放課後から接種会場にすれば学校のプログラムにも負担がかかりません。)
 かつて日本人は、英知に長けた民族で組み合わせを的確に出来た能力を持っていました。なぜ、いまになってできないのか? 地元でワクチン接種する仕組みにすれば、老人の移動中での感染確率が下がり、現地の医師や看護師を期間限定のパートで雇うことができます。書類上の事務処理であれば、一般の人たちでも出来ます。そういった人たちを、パートで雇えば幾らでも対応ができます。人を一ヵ所に集めなければ、クラスターになる状況はグッと低くなります。なぜそれを、野党はいわないのか? ワクチンを打つ目的がはっきりしているのであれば、ハコと人をどう組み合わせをするか? 特別なことをするわけでなく、いまあるモノを上手く使えば、いくらでも組み合わせは出来ます。(昔は、学校でインフルエンザの予防接種をしていました。近所の校医が来て、2~3日で千人近くの生徒を打っていた過去があります。なぜ、その経験値があるのであればそれを活用しないのか。)毎回、理解に苦しむのは、なぜ日本社会は難しいことをして、自ら混乱を起こすのか? 合理的に、目的と手段を簡素化にすれば、もめる必要は何もありません。

 

―超法規的処置を出せる首相―

 話しは変わりますが、今回、超法規的処置を政府が出したことに驚いています。日本国内では、菅首相のことを「首相の器ではない」とか「官房長官止まり」など言われていますが、これを打ち出して政策を推進する首相は、無能という言葉では語れ無くなってしまいました。超法規的処置を取ることによって、歯科医にも看護師にワクチンを打てるようにさせて、政府主導で運営する仕組みに変えてしまいました。これは、前例主義や超法規的な処置を覚悟で政府の権限を前面に出すという、いままでにない強い意志を感じます。菅政権の意志が無ければ、この政策を出すことができません。本来は、そこに注目するべきで、メディアはもっとその実情を取り上げて報道するべきです。そうすると、野党議員の整合性のない答弁が、日本の国をダメにしていることが明確にわかります。(私は、自民党を支援しているわけでもなければ、アンチ野党でもありません。報酬に応じた仕事をしている人を、党派を超えて支持するスタンスを取っています。)菅政権がいましていることは、省益である各省の垣根を壊したこと(厚生省と防衛省の壁)に大きな意味があります。あまりにも、省益によって身動き取れない日本の政治にメスを入れた政治家であることは間違いありません。そして、日本医師会・日本歯科医師会・日本薬剤師会 日本看護協会の既得団体にもメスを入れて国家主導で動くことを示しました。確かに、上記に示したような問題もありますが、凝り固まっている霞が関村と既得権益の解体を菅首相はやっていることは間違いありません。本来、メディアや政治家はここを指摘しなくてはいけないにも関わらず、野党も与党も整合性のない薄っぺらな議論していることが最大の問題です。ワクチン接種を機に、国づくりの国際水準(有事の対応)に近づけようとしていることは、間違っていないと思っています。この1年、国(各省)・地方自治体・医療団体は責任逃れと前例主義ばかりを気にして、まったく機能しませんでした。結果的に、後手後手に回り何も解決が出来ないで来てしまいました。日本の政治の大きな問題は、首相が身動き出来ない仕組みになっていることに、多くの日本人は気づいていないことです。安倍政権のときもそうでしたが、北朝鮮がミサイルを飛ばしている最中に、「モリ・カケ」問題を争点にして国会は、有事の対応に身動き取れませんでした。そして、文科省と財務省と既得権益団体が、裏で既得権を守ろうとしてメディアと野党を使って、政治を止めたことが最大の原因でした。そろそろ、その因果関係に気づくべきです。その意味では、菅政権は安倍政権を引き継いで内政の不要なモノをぶち壊していることは間違いありません。

 

―五輪の中止を叫ぶ輩の国家観の無さ―

 今回のワクチン接種によって、すごい勢いで世界が回復の方向に向かって進んでいます。日本は、適度に経済を回し他国のようにロックダウンになっていないので、実感として理解できにくいところがあります。(外国にかぶれている政治家は、日本もロックダウンにという人もいましたが。本当に、トチ狂った発言だと思っています。戒厳令をして、外出禁止を国家権力でするということですから、いまの日本では想像できない世界です。)北米は、5月下旬以降規制がさらに緩和されて、社会の通常化に国家として舵を切っていくと見ています。カナダは、正式な発表はまだされていないので、依然経済は低迷していますが5月末の政府発表で、大きく現状が変わると見ています。ワクチン接種率が高まるにつれて、全体の空気感が変わってきています。皮膚感覚から受ける感じは、今年の夏は通常経済に戻し、この東京オリンピックを開催することでコロナの終息宣言をいつするかの落としどころを探りに来ると見ています。
 1月の空気感は、夏は去年と同じ経済になり、まったく動かないという諦めの空気で蔓延していました。それこそ、今年のクリスマスも規制強化もしくはロックダウンをして、経済が止まる雰囲気でした。しかし、このワクチン接種の速さと感染者激減の数値によって、各国は大きく舵を切って社会復興に国を挙げて進んでいます。
 先日、楽天の三木谷氏がCNNで五輪の中止をするような発言をしていましたが、日本を代表する大企業家が国際情勢を解って発言しているのかが不明でした。それに加えて、なぜ日本のテレビで言わずCNNを使っているのか? 本当に、日本の国益を考えているのであれば、まずは日本のメディアに出てはっきりと自分の立場を明確にするべきだと思っています。日本の知識人の悪いところは、すぐに外国のメディアや外国に繋がる組織を使って自国を批判することです。その手法は、必ず外国の魔の手が伸びて、民族分断や世界のパワーバランスの道具として使われてしまいます。(今回は、CNNとNBCユニバーサルの利権構造に三木谷氏が、利用されているように見えてしまいます。)そろそろ、日本人は世界の縮図を国家観や民族観という視点で、グローバル社会を見る必要があると思っています。必ず外国の大企業(世界を舞台にする企業)の後ろには、民族の既得権益が繋がっています。

 彼の発言を聞いていて、日本人特有のグローバル感覚が出ていました。それは、悪い意味での異質性(世界標準ではないこと)で、世界の人が持っているグローバル社会とは別物で、あの発想では世界と渡り合っていくレベルのモノではありません。それに加えて、世界の情報を収集する能力の無さが表れてしまいました。今年の夏は、メジャーリーグは観客を入れてゲームをしていくと見ています。(100%の来客に近い状況で、観客を入れて通常化に進むでしょう。)先日は、セリーヌ・ディオンが今年の夏に全米ツアーを発表しました。セリーヌ・ディオンほどの大物シンガーになれば、プロモーターやマネージャーは必ず最新情報を手に入れて、北米の感染症のデータを研究所から入手しています。そして、エコノミストや衛生管理の専門家を使って市場調査をしています。北米のアミューズメント世界は、日本のタレント事務所とは違い一大企業です。そのチームが、今年中に動くということは北米では収束に向かっていくことの表れでもあります。北米経済をみる1つの指標は、アミューズメント産業を見ているとアメリカの状況を見ることが出来ます。あまり騒がれてはいないのですが、このニュースは大きな分岐点だと思っています。セリーヌを皮切りに、アミューズメントを解禁してソーシャルディスタンスの必要はないという空気を作ろうとしています。(これは、私のゲスな勘繰りですが。このツアーの後ろには、国家権力が動いているように見えます。幅広い年齢層と一番のドル箱スターとなれば、いま北米では彼女以外いないでしょう。北米は時として政治的意向を、アミューズメント(歌手・映画など)を媒体にして世論を作るときがあります。レディー・ガガでは、民主党の宣伝ガールだったので、カナダ人のセリーヌを持ってきたところ<政治的中性で、万人受けする意味において>に、北米社会の裏の世界が見えます。)この大きな流れで行くと、年内には終息宣言をして国境をいつ開けるか? 世論の空気を作っていくと見ています。早ければ、今年のクリスマス前には国境(カナダ⇔アメリカ)を開くかもしれません。ここが開くと、世界に終息宣言をしたことに繋がります。
 今回の東京オリンピックは、世界に日本の国力と清潔な民族であることを表明できる大きなきっかけになることは間違いありません。世界は、武漢熱で鬱積し社会が沈んでいます。スポーツによって、選手の奮闘に歓喜と勇気を与える場に日本が携わる大きな舞台になります。その大きな大舞台に、なぜチャンスを活かす方向に思考を回そうとしないのか、これこそ天のめぐり合わせだと思っています。そして、国際世界に対して「したたかさ」を持つべきです。「勇気のある国」ということと、「強い国」という宣伝をするいい機会です。
 今回、日本の弱点は国政と地方の「政ごと」の仕組みが機能していないということがはっきりとわかりました。それに加えて、省益と既得団体が日本の国を身動きが取れなくしていることが判明したこと。これを、超法規的処置で改善すればいとも簡単に日本の国は変わります。各国の状況から見れば日本は軽症であり、東京オリンピックの開催は、それほど大きな障壁だとは思っていません。いまの日本の国力と民度の高い国民であれば、簡単に出来ると思います。何度も言いますが、日本の既存のモノを「権利・権限とハコと人材」の組み合わせをすれば、すぐに国は立てなおります。
 むしろ日本は、東京オリンピック以降の世界に対応する国づくりに舵を切るべきです。来年の頭には、北京オリンピックをどうするのかという問題があります。民主主義陣営は、中国をジェノサイドとして強烈な意思表示をしています。日本政府や国会議員は、そのことについて明確な意思表示をしていません。(各マスメディアも含めて、そこを指摘しているメディアはありません。)それに加えて、尖閣問題も出てきます。
 先ほど言った、世界に対しての「したたかさ」は、ここで使うべきです。「五輪を成功させた国」という強いメッセージは、平和を愛し苦境に屈しない国を世界に示す大きなチャンスです。そのイメージを世界に与えれば、中国に対して日本の立場を明確にして、中国批判を堂々とすることが出来ます。
 今度は、軍事的な舵切をどうするのかという大きな問題が直面しています。日本は、いまのような状態下で政府主導による軍事作戦が出来るのか? 日本共産党や立憲民主党が言っている、ユートピアの世界でない現実が目の前に現れています。75年間軍事行動をしてこなかった国が、次の問題をどのようにして組み換えをしていくのか? 本当の日本の危機は、こっちにあります。
 これからのグローバル社会は、民族観と国家観の時代がはじまります。日本は、民主主義陣営としてグローバル社会の立ち位置を明確にしなくてはいけない状況に迫られています。「みんな仲良く」と言う、お花畑の時代(ユートピア)は終わり民族生存競争の時代に突入しました。そこに、日本人は思考を変えるべきです。