コロナ後の日本の姿 Ⅳ

 

<不況はさらに続くが、精魂は甦る>

 いま多くの人は、将来の不安と先行きが見えない状況に対して、次をどう踏み出していいのか解らない心境になっていると思います。とくに、新卒で定職に就くことができない人や、社会に復帰が出来るのか解らない人は、過酷な状況の中で早く回復することを願っていると思います。少し現実的な話しをします。北米の状況から見ると、世界の景気回復は年内には厳しいと見ています。日本だけを見ていると、いまは閉塞社会で厳しいと思いますが、さらに厳しい状況なのが先進国の状況です。ほとんどの国は、主要都市はロックダウンをして日本の3~4倍の規制と制約で閉ざされた中で生活をしています。仕事が無いどころか外出するにも規制がかかり、仕事先に行けない状態が何カ月も続き、経済循環が止まっている状態になっています。いまは、財政出動を最大限使いながら市中にお金をバラまいて、どうにか貧困と暴動が起きないようにして経済を支えています。
 先日(2月上旬)、カナダ政府は企業に対して従業員の75%の助成金(すべての企業ではなく、売上が落ちていることが前提と幾つかの既定があります。)を8月まで延長することを発表しました。それに加えて、個人の確定申告の申請期限の延長もきまりました。去年の3~9月に、個人を対象に助成金(2000ドル/月 ✕最大4ヶ月)を配布しましたが、その金額が所得になるため所得税の支払いが始まろうとしていました。しかし、政府はそれを延長して問題を先延ばしにしました。企業の助成金の方も(従業員の人件費の75%をサポートする助成金)、いままでは2~3ヶ月おきに延長をしていたものを、今回は半年先まで延長しました。その状況を察すると、夏まで通常の経済と生活に戻ることはなく、年内の景気回復は見込めないとカナダ政府は決断したと見ています。
 アメリカは、さらに深刻な状態が続くと見ています。カナダに比べて人口(カナダ;3800万人 アメリカ; 3億3000万人)が10倍なので、社会福祉と公衆衛生が隅々までケアーが年内に出来るのか疑問視しています。以前にも書きましたが、アメリカの深刻な問題は、不法滞在者が一体何人いるのか把握できていないことです。表の数字では300万人と言われていますが、裏の数字は1000~1500万人とも言われています。(住民票や戸籍が無いため、正確な人数を把握することはできません。)その不法滞在者に、ワクチン接種をどのように打って、集団免疫をしていくのか道筋が明確になっていません。そのプロセスが立たないと、アメリカ経済の通常運行は出来ず、事あるたびにロックダウンや緊急事態宣言をして、経済を停めて感染拡大防止を繰り返し続けていくことになるでしょう。その現状を見ると、北米経済の正常化は2021年には厳しいと見ています。北米経済の景気回復の兆しの分岐点は、カナダとアメリカの国境が開いた時が正常になったときです。日本では、国境が開くか開かないは庶民の日常生活には関係ありませんが、陸続きの国家は経済・国防(疫病から国を守る行為は国防の概念になる)と生活が一体となっているので重要な意味を持ちます。国境が開かないということは、公衆衛生の政策が上手くいっていないことであり、どちらかがリスクを持っている意味でもあります。(蛇足ながら、日本ではすぐに中国との国境を開きましたが、海外の危機管理から見ても、あり得ないことをしています。カナダとアメリカは、軍事同盟国であり経済共同体でもあります。その国家間でも国益<国民の生命を守る>のためなら、国境を封鎖することで自国民の生活を守っています。それが、世界の常識であります。日本を見ていると国全体が、国防という意味が解らない国家になってしまった。)

 世界経済の中心であるアメリカ経済が回復をしないということは、日本の景気回復にも関係し年内にコロナ前の経済に戻るのは厳しいと見ています。その上で個人が出来ることは、過度な期待をするよりも情報を精査しながら世の中の動きを見て、いまできることを行動することだと思っています。社会や国に頼っていても、個人の生活の環境は変わらず、さらに貧困者が増えて偽装中流(いままで、中流家庭と思っていた人が、知らぬ間に下層社会に入ってしまうこと)に自分たちの家族が入ってしまう状況にすらなっています。
 2021年という年は、個人にとっても家族にとっても大きな分岐点であり、家庭環境や子孫にも大きな影響を与えます。この1~2年に、人生の下地を作るか作らないかで「人生を上昇させるのか? 暗黒に向かうのか?」一人一人の行動と人知によって、まったく違う人生になります。いままでのように、周りと同じことをしていても普通の生活ができない時代に、さらに加速していきます。
 いま、個人レベルで出来ることは、現実と思い込み(先入観)のズレに翻弄されないことであり、悲観や深憂から精神のダメージを負わないことであります。精神から来る絶望感と挫折感の扉を開けたとたんに、未来や希望が描けなくなります。
 この時期を無心にして、一度自分の過去の感情を滅私する必要があると思います。(今風の言葉で言えば、アインストール<ソフトやデータの削除>になるのでしょうか。「過去の考えや思い込み」を真っ白にして、ゼロからはじめること)それをするためには、努力を必要とします。自然環境の中に生活を移し、いままでの生活と断絶することで過去を払拭する方法や、1~2ヶ月休職してスケジュールを真っ白にすることなど。それぞれの人生や環境があるので、自分に合ったものを見つけるべきです。いま必要なのは、過去に引きずられない思考を作ることです。
 苦境の時こそ、個人の人間力が試されると思います。個人の力は小さく、大きな流れを変えることは出来ませんが、心と魂が壊されなければ持続的に社会を変えることができます。いまは、平常心を保ち精神的なダメージを最小限に抑えて、良識的判断と行動力が出来る状態にしておくことです。これからはじまる大きな波は、恐慌に類似する大不況の荒波が来ると見ています。そのときに、過去に生きている人は、経済的要因で精神を直撃しマネーによる閉塞感の圧迫で平常心が失われるでしょう。そして、精神の崩壊が思考回路を停止して、現実と未来をつなぐ発想が出来ない状況になっていくでしょう。この1~5年は、昭和・平成に作られた仕組みは壊されて混沌とした時代が続きます。いままでのように、自分の労働が評価されず鬱積することもあるでしょう。そのときに、発想の転換と「自分は何で生きるのか」という覚悟だと思います。それが、明確な意思になれば心と魂が壊れることなく、持続可能な希望という光に進んでいくと見ています。

 

<発想の転換が、希望になる>

 いま必要なのは、未来に繋がらないものを修復することではありません。過去と未来をどこでつなげていくのか、 発想を柔軟にして「心の檻」や「過去にこだわらない」体に変えていくことです。淘汰される社会に依存しても、「過去の栄光」や「社会に責任転嫁」にしかならず、自分の立ち位置を理解することはできません。現在の立ち位置が解らなければ、未来を描くことは出来ません。いま必要なことは、現実を受け入れて自己否定(過去を捨てる)することです。そして、不安に打ち勝つための勇気と体力を持つことです。
 キーワードは、「自分は何が出来て、何を作ることができるのか?」という発想に変えるべきだと思っています。目先のキャッシュを追えば、過去の仕組みに戻されて、さらに時代錯誤に陥り負のスパイラルから抜け出せなくなります。ここで必要なのは、童心に立ち返り「自分が何をしたいのか?」「なんだったら夢中になって仕事ができるのか?」という心を揺さぶるような好奇心だと思っています。
 確かに、子供の時のように純粋に夢を見ることが難しいことはわかります。現実という壁を目前にすると、尻込みしてしまう現状も理解できます。特に年齢がいってからの人間関係は、体裁や見栄や利害関係などが邪魔をして、人との関係を損得勘定で天秤にかけてしまう人のサガもあります。それを承知した上で、「自分には何が出来て、何で社会とつながるのか?」 基本的な思考に戻すことです。
 私は、海外から見ていて、はっきり言えることがあります。それは、日本社会には幾つもの「宝物」が転がっていることです。その宝とは、「勤勉・勤労」という価値観で働きながら、「時間をお金に変える装置」であります。その価値観は、人と人をつなぐツールにもなり個人を独立させてくれるものでもあります。いま日本社会の大きな問題は、「勤勉・勤労という精神-内側―」と「時間をお金に変える装置-外側-」が噛み合っていないことです。この装置(行為)は、産業にもなり労働にもなり文化にも変貌して、日本人の血液になっています。平成に作り上げた社会は、この装置を誤って使ってきたことで、デフレ脱却も出来なければ国体を壊し民族弱体に導いてしまいました。まずは、この装置の使い方を見直すところからするべきです。拝金主義のお金をかき集める方法ではなく、子々孫々に日本の人知をつなげるためのお金を循環させる装置に戻すべきであります。それには、国内改革だけでは無理であり、1度海外にその装置を設置することで、その装置が正常化に戻ると見ています。私がなぜ、「北米に日本の仕事を作るべきか」「日本の技術を輸出するべきか」という根本の問いはここにあります。バブル期のように、拝金主義にまみれた企業指針ではなく、日本人の勤勉・勤労精神を開花させる労働の仕組みを北米に作り、ゼロから立てるという発想です。いま、日本にある既存の社会や既得権益は、自ら壊して新しくイノベーションすることはできません。アメリカのように、ダイナニズムの中で新しい発想と新産業が生まれる土台にはなっていません。
 暴論になることを承知で言います。この発想は、式年遷宮にナゾラレタ日本文化の大きな人知でもあります。「勤勉・勤労文化」を北米で建て替えることで、昭和に作られた日本人の勤労と技術は継続して残し、そして日本国内の新産業がイノベーションしたときに、「勤勉・勤労精神」を取り戻すという発想です。俗世間的な経済の話しをすると、北米には競争相手も無く、自分たちの技術や労働を正当な対価に戻してくれます。いまの日本には、「勤勉・勤労」を否定する社会構造にしかなっていません。昭和後期までは、勤労さえしていれば普通の生活が出来ていた時代がありました。それに似た世界が、北米社会にあり土台があります。

 

<中年層と壮年層が時代を変える>

 多くの人は、会社から干され仕事がなく時間をお金に変えるすべを持たない人たちが、悶え苦しんでいると思います。特に、中年層や壮年層という年齢を迎えた人たちが、先の見えない人生に諦め、惰性で生きるしかないと思っている人も多いと思います。昭和や平成は、50代以上は人生の後半戦と言われてきました。定年まで仕事をして、後は自分の好きなことをするという人生設計で歩んできました。しかし、人生は100歳時代と言われ50代でも若いとされ、60代でも現役で働ける時代になりました。
 社会風潮は、高齢者や年齢をとった人を揶揄し排除する傾向があります。「古い」とか「ダサい」などの言葉が夥多し、歳を重ねた人の人知や経験値を卑下する社会になった日本の姿があります。その非論理性と根拠のない否定は、人知でもなければ人がつながる言葉にはなりません。いまの日本人の姿を見ていると、人を揶揄することで自己表現をして、過去を否定した断絶社会になっています。そんな彼ら彼女らが、子々孫々に人知をつなげていくことが出来るのか? 非常に疑問に思いながら見ています。先人を敬うことができなければ、敬うという行為を伝えることもできず、自分たちも下の世代に敬われない人間関係になっていくでしょう。いつしか、日本社会は「先人を敬う」という人知を失った世の中になっていきます。
 20~30代は、時代に敏感で新しい社会を受け入れていく順応性は、40代以上よりも優れていると思います。ただし、若年層は決定的な弱点を持っています。それは、平成に作ってきた歪んだ価値観で育っていることです。学校教育・家庭教育に至るまで、日本民族に適さない「凹凸のない社会」と「平等と個性」の価値観を精神の中に入れて人間形成を作ってきました。矛盾する価値観は、日本社会に適合しない思考を教育の柱にしたことで、日本人が日本社会にマッチングしない社会を作ってしまいました。
 敗戦後75年の教育(WGIP-戦争責任・情報操作洗脳プログラム―)は、歪な思想を唱えてきたことによって、人工的に平らな社会を作り、それによって常に平らな社会が普通だと思い込む洗脳がはじまりました。結果として、世間に出て凹凸社会を否定することを、是とする社会人を多く生産してきました。個性を持つこと(周りとは違うことをして、人格は突き抜けろという教育)と平坦な社会にする教育は、矛盾した世界観を育て状況に順応出来ない人間を作り、人格破綻した人間を作り続けてきました。
 その結果、凹凸である社会を見ることができなくなり、常に平らな状況で生きる権利があるという洗脳だけが備わってしまいました。それによって、凹凸社会との上手く関わる知恵を持つこともできず、自分だけの主張をすることが個性だという勘違いの人格者たちを作ってしまいました。いま、世代間を超えて付き合うことの出来ない人は、同年代や狭い世界観(ネットや趣味)でしか繋がることしか出来ず、閉塞社会の中でしか生きることが出来ていません。その弊害は、平らな社会を教育の中で教えてきた結果です。コミュニケーション能力が低下しているということは、日本社会の最も深刻な闇の世界です。

 なぜ、中年層や壮年層が、日本という国を作り変えることができるのか。その理由は、敗戦後の悪しき教育を受けながらも、生活の中に日本の国体が残っていたからです。いまの日本は、国体の跡形もない上に実態生活が成り立っているので、30代以下はその意味すら解らなくなっています。まだ、40代以上は日本の国体を感覚として理解をしています。それゆえに、縦社会で繋がっていた世界観もあり、年上に敬意を払う世界観も持っています。時間軸で見ることが出来るので、過去と未来を結ぶ人知を持っているのが45歳以上だと思っています。敗戦後の教育は、世代が代わるたびにWGIPによる人工的なフラットな社会の裾を広げてきました。結果として、人間の深みや奥ゆかしい姿を教育では教えず、成人になっても捉えることができなくなりました。(いま話題になっている、森元首相の辞任問題や石原元都知事の百条委員会問題は、すべてその価値観から来ているような気がします。先人の人たちが作り上げてきた権威を悪とし、薄っぺらな権限と権利で人をつなげようとしている。)
 年月を重ねないと成立しない人間関係や人のつながりがあります。年を重ねた人でないと出来ない、世界もあります。特に人間関係は、年月と苦楽の共有体験で信頼や信用の厚み深みがでてきます。それが、包容力という人知になり即席では出来ない人と人を結ぶ関係にもなります。平成という社会は、日本古来大切にしていた英知を低い価値にして、「平等という平らな社会」で人と人をつなげてきました。
 いま、日本の深刻な問題は、WGIP(戦争責任・情報操作洗脳プログラム)を教育の根幹にした上に、白人社会が作り上げた新自由主義や共産主義などの歴史の浅い人工的な社会思想(民族精神とは反するモノ)を中心に「国づくり」をしてきたことです。それによって、イデオロギーとマネーゲームで作られた社会は、古来の精神では生きられない土壌になってしまいました。ある意味、日本のサラリーマン社会も「凹凸のない社会」と「マネーゲーム」の組み合わせで出来た産物なのかもしれません。(昭和の時代は、まだ企業文化の中に、会社が社員を守るという価値観がありました。社員は、大家族と言う「結い」の社会で働いていました。平成なってからは、企業の家父長制ではなくなってしまった。)
 中年層や壮年層が持っている、経験値や縦社会を重視する社会の復活は急務だと思っています。昭和に残っていた「結い」という価値観は、「責任」と「権限」をもって集団を導くという家父長制のような凹凸社会の仕組みからできています。それを柱にすると、集団の中に中心になる人物が自然発生的に生まれ、結いという価値観で人がまとまっていきます。いまのサラリーマン社会にある、年配であるということだけで権限を与える関係ではありません。
 日本を立て直すのに必要なのは、社会人として20~30年経験を積んで英知を持っている人で、何が不要で何が次世代に必要かを知っている人です。そして、大きな時間軸で見ることが出来き、人をつなげる能力と集団の中から個のポテンシャルを引き出す力を持っている人です。個と個をつなげるすべは、人として包容力や経験値が必要になり、それは年月をかけないと身につかないものです。もう一度、そこにスポットをあてて、「断続から結いの社会」に作り変えていく必要があります。

 

<仕事のマッチングで世の中が変わる>

 IT革命によって、面白い時代がはじまろうとしています。まず1つは、都会に住まなくても地方で豊かな暮らしが出来るようになりました。かつては、都会に住まないと職業の選択ができなかったのですが、地方でも多種の仕事ができるようになり居住空間を選べる時代になりました。いままでは、サラリーマンになり企業に帰属することが一番いいとされてきました。しかし、20代をはじめ多くの人が地方に移住をして、ユニークな生活と多様な働き方になってきています。下記の動画は、面白い起業の仕方だと思って取り上げてみました。 
 平日は、大阪で事務の仕事をしながら、自分たちの将来のために田舎町に山林を買い、週末などを利用してキャンプ場を作っている夫婦の動画です。(個人的には、まったく関係ありません。)

 すごく興味を持ったのは、彼らの仕事と資格の使い方です。仕事もすべて辞めて田舎暮らしをするのではなく、生活費は都会で稼ぎ、休日に肉体労働をして将来に先行投資(金銭・技術・時)をして、少しずつ生活をシフトしていくやり方です。この方法は、日本の働き方のヒントになると思っています。旦那さんの方は、土木工事を専業にするわけでもなく、自分たちのキャンプ場を作るためにユンボの資格を取り、敷地内で作業をしながら技術を学んでいます。奥さんの方は、第2種電気工事士の資格を取って、敷地内の配線工事を他人に委託するのではなく自分たちですることで、お金を流出しないで自己完結していくビジネスモデルにしています。
 自分たちで作業し外注の出費が減ることで、他のことに自己資金を充てる体制をとっています。かつては、その作業に何千万~億かかっていたものが、自分たちの労働と資金を自由に采配することで、現実のハードルが下がりました。
 そして、資格に対する価値観も変わりました。いままでは、電気工の仕事をするために電気工事士の資格を取り、資格と技術でお金に変えていました。これからは、プランを実行するために資格を取り、多様な仕事をするスタイルになっていくでしょう。自分たちが限界を決め、枠から抜けない仕事のスタイルでは、多様化時代には生きていけないと見ています。
 ネット社会によって、YouTubeなどで動画を見ながらイメージができる時代になりました。数年前まで、特殊機材の使い方は難しく、プロしか操作出来ませんでした。なかなか素人が、手を出して操れるものではありませんでした。ネットの情報公開よって、プロと素人の垣根が低くなり以前より幅広い人が使えるようになりました。その結果、パワーツールの操作が女性でも素人でも出来る道具になったことで、日常生活にも大きな変革をもたらしました。いままで、IT革命の意味が解らない人が多かったと思いますが、このように少しずつ自分たちの生活に入り込んできています。

 こっちの動画は、アメリカの夫婦が山林に家を建てていく動画です。彼らは、YouTuberなのかいくつもの動画を上げて世界中の人たちが見られるようになっています。アメリカ版の「北の国から」になるのでしょうか。自分たちで、ストーリーを作り動画にすることによって、テレビの制作会社のようなことまでしています。面白いのは、自分たちのプライベートを公開することで、タレントのような存在になり素人とプロの境が無くなくなっていることです。世界中の人から、課金されるシステムにすることで、個人のテレビ局兼制作会社の仕組みになっています。
 このようにして、仕事の形が変わってきています。

 

<地方は、面白い産業の宝庫になっている>

 日本の山林は、値段も安く開拓されていない無垢の状態で残っているので、これから何を作るかによって面白い産業になると思っています。日本人のほとんどは、キャンプ場を作くるために山林地を買っていますが、北米社会を知っている身としては発想が貧困だと思っています。いまは、日本国内の現状と自己現実から見ると、キャンプ場作りは夢のある現実的な企画だと思います。ただし、多くの人が実行すれば飽和し必ずビジネスとしては行き詰ります。
 少し状況や時間軸を5~10年先に延ばして見たときに、世界観が変わって違うコンテンツが見えてきます。武漢熱は、2~3年後に収束します。そして、日本に世界から旅行客が戻ってきます。そのときに、どんな面白いコンテンツが産業にあるのか? そこを見越したうえで、仕事の組み合わせをすることで面白いコンテンツを作ることができます。
 もし、私が日本に住んでいたら10~15年に設定をしてITを駆使したワイナリー作りをするでしょう。出来上がるまでストーリーをドラマにして、世界中の人たちに発信して「ナパワイナリーを超えるワインを日本で」というタイトルで、15年以内に世界に通用するワインを作るコンテンツを掲げて実行するでしょう。

 「その組み合わせの意味とは?」
 下記のWEBは、Vancouverから4時間ほど離れたオカナガンという小さな町です。30年前までは寂れた町でしたが、ワインを作る人たちが集まったことによって、いまはワイナリーの町になりました。数年前までは、値段は高く味は若くて美味しいものではなかったのですが、いまは味も香りも深みがでて何件かのワイナリーは高級ワインになりました。(そのオカナガンの周辺に、70以上の小さなワイナリーがあります。)

https://www.quailsgate.com/

 ここは、オカナガンでも老舗のワイナリーで、1956年から作っています。白人社会の面白いところは、景観を大切にして街を作っていきます。ワイナリーが、荘園になり町のデザインをすることで、農家というよりは大人の空間であり、隠れ家のようになっています。いま日本の田舎町は、景観を重視する街づくりになっていないので、空間とデザインに力を入れて、自然と人工の調和した大人の遊び場を作ったら、必ず観光産業になります。(昭和の終わりぐらいまでは、景観を大切にした村や町がいくつもありました。先人たちの作ったものを、バブル期に壊してしまいました。)

https://pentage.com/

 ここのワイナリーは、1996年からはじめましたが、大きな規模でなく小規模で少人数でやっています。このように、少人数でチームを組んで25年前に自分たちの理想とするワイン作りをはじめました。日本人が仕事の発想を変えなくてはいけないのは、時間軸で見る投資と未来の実体を発想する力です。仕事と言うと、すぐに現金化して昭和・平成的なスタイルで労働をして、キャッシュフローを考えてしまいます。しかし、IT革命によって個人でも面白いことが起業できるようになりました。5~10年かけて、自分たちの仕事のフラットフォームを作ることができ、タイムラグで本体のキャッシュフローを回すこともできるようになりました。
 起業のスタイルも多様化し、地方の面白いコンテンツを題材にすれば、プロの農家でなくてもビジネスに参入できる時代です。まさに、いろんな仕事を多様化(動画制作・宣伝・農業・加工)することで、多岐にわたる仕事と職種が生れるようになりました。(広告代理店で働いていた人・テレビ局で働いていた人・食品加工で働いていた人・農業従事者などの他業種が、1つのチームになって起業することが可能になりました。) いま、仕事が無くて大変だ。と思っている人は、まずは自分が何をしたいのか? この問いだと思っています。 
                
 ワインを例に挙げましたが、蔵元の酒造でも面白いコンテンツになります。酒造りと映像を組み合わせて、神話や童話を題材にしたストーリーを作れば、神格化したお酒が世界中に動画配信ができ地球の裏側の人にも伝えることができます。
 地方にある古民家にも可能性を秘めています。古民家を改築して、宿泊施設や多目的空間にすれば次世代の仕事場になります。改築模様を動画してドラマにすれば、宣伝を兼ね備えた1つのエンタメにもなり、興味を持った人たちの夢にもなります。明確なゴールと事業体が完成すれば、サポーターや支援者が次にお客さんとして利用をしてくれます。そうなれば、無駄な宣伝費と労力を費やさなくてもキャッシュフローをすることができます。これからは、タイムカードで押すことが仕事ではなく、自分のやりたいことを見つけて、ゼロから作り「人の共感と夢」が産業になっていく時代になっていきます。既存の仕事を枠から外し、組み合わせを変えることで、面白いコンテンツ事業に変わっていきます。さらに、日本人が知らない世界の市場が下記にあります。

 これは、どこにでもある高級宿泊施設に見えますが、日本人の発想にはないコンテンツで事業をしています。この宿泊施設は、大自然の中にあり公道がない場所にあります。地方の空港から、ヘリコプターでそこの場所に行き秘境の地にあります。行くまでの手段と時間で見たら、不便でしかありません。そして、1泊30万円という金額を取っているにも関わらず、4~5年先まで予約が取れない宿泊施設になっています。そこのコンテンツは、釣りを楽しみながら自然の中で満喫し、日常生活(テニス・ジム・プール)もできる施設になっています。そこに来るお客さんたちは、1~2週間をそこで過ごし時間をゆったりと使い、日本人が持っている観光のイメージとはまったく違います。非日常の世界に、しばらく滞在するという発想です。日本人は、もっと他民族の価値観の相違とお金の使い方の勉強をしなくてはいけないと思っています。なぜ、世界の市場を狙うのか? 日本人は、デフレの中で生活をしてきたことで、すべて日本の価値観で労働の仕組みから生活にいたるまで、発想の転換が出来ないできました。何度も繰り返しになりますが、目先の現金を追うことは止めるべきです。これからの仕事は、既存の仕事でも「人の共感と夢」を売る事業体にシフトしていきます。仕事の組み合わせとコンテンツを変えるだけで、日本の生き方も変り若い人たちも働くことに、自信と誇りをもって仕事に就くことができます。

https://sonoraresort.com/the-resort

 武漢熱は、1~2年で収束します。そのときに、どんなプラットフォームを作ることができるのかによって、生き方が全く変わってきます。いまは、400円~500円のお弁当や安いメニューなど、目先の現金を追うことばかり捉われていますが、もう少し時間軸を広げてみる必要があると思います。そして、意識するべきことは世界市場に標準を合わして、コンテンツを作っていくことです。必ず面白い時代になっていきます。