コロナ後の日本の姿  Ⅲ
―この武漢熱で壊れたもの―

 日本の社会構造は、この武漢熱でさらに加速して大きく変わることは避けられなくなりました。産業構造の変動によって、社会の仕組みが変わり家庭環境も変わる時代が到来しました。そして、敗戦後に作ってきた日本社会も、次世代には通用しない仕組みになろうとしています。多くの人は、潜在意識の中で限界を感じ、この状態では先のない人生であることをわかっていながら惰性で生活をしています。大きな流れに巻かれている自分の姿を自覚しながら、何をすべきかがわからずに一歩踏み出せず、踏みとどまっている状態になっています。
 2021年からは、個人が意思を持って現実に立ち向かわなくてはいけない分岐点になっていることは避けられません。人によって直視する時期、乗り越える壁も違いますが、遅かれ早かれ大きな流れは押し寄せ決断をする時期は必ず来ます。昭和・平成に作られた帰属社会は、75年の歴史を持って幕を閉じ、サラリーマン社会でない日本社会に移行することは間違いありません。そして、社会構造は無主社会に変化していきます。いままでは、帰属社会の中で組織(企業・団体・公務事業)に属して労働集約型の集団で作業をして労働対価を作ってきました。それが、労働者の集約から個人が主体となる労働体系に移っていきます。一見、労働体系が個に委ねられ、個人が尊重され自由拡大したかのように見えますが、実際は個人の能力と責任が求められる結果中心社会に突き進んで行くと思います。いま風の言葉で言えば、フリーランスでありフリーターという労働システムなのかもしれません。少し厳しい見方をすれば、プロスポーツの世界に似た結果を重視した労働社会になっていくと見ています。結果と実績と信用でつながる社会になり、誤魔化しが効かない社会になっていくと思います。仕事の評価がなければ、労働力として不要になり会社や組織に席を置くことは出来ないでしょう。いままで、組織で守られていた人が減っていく社会になっていくことは間違いありません。
 その反面、組織に依存しないことで実力と日本型の個の時代になっていく側面もあります。それは、職人社会のような個人の技術や能力と信用で繋がっていく社会になっていくと見ています。その社会に進んでいけば、仕事と生活の時間を自由自在に操ることができ、自己決定と自己責任の労働体系がはじまります。コロナ以降はじまる社会は、長年続いてきたサラリーマン社会が崩壊し、次世代型に社会変革として起こったと見た方がいいのかもしれません。
 明治維新のときには、侍社会が淘汰されました。侍だった人たちが路頭に迷い、時代の波に飲まれていった歴史があります。それと同じような状況が、サラリーマン社会に直撃し帰属社会の中で働いていた労働者が路頭に迷う時代がさらに進むでしょう。いま、その現実を受け止められない人が大半だと思いますが、2025年までには昭和・平成に作られた労働システムが古い体系になっていきます。その現実をどのように捉えて、次の世界をどこにつなげていくのか、すべての現代人に問われています。

 日本社会の地殻変動は、たった3つの仕組みが変わるだけで、日本の生活が大きく変わります。これまでに、このテーマで書いてきましたが整理をする意味で書いていきます。

1. 学歴社会と企業社会(サラリーマン社会)が、日本経済の柱になり景気循環をしてきた仕組みが中心ではなくなっていきます。
2. 終身雇用・年功序列賃金体系と住宅ローンで、日本経済を支えていた仕組みが中心ではなくなります。
3. ほとんどの人が、フリーランスのスタイルの仕事に変わっていくので、都市集中型の人口集約の経済の仕組みが中心ではなくなっていきます。

 上記の3つの既存の経済の仕組みが変わるだけで、お金の流れ・経済の仕組みが変わり、これまでの日本の生活様式まで変わってしまいます。そして、多くの人たちは、まだ遠くの話しとして「自分は大丈夫」という認識で日本社会を見ています。旧態依然の仕組みに乗り、まだ壊れないという暗示と漠然とした意識の中で生きています。しかし、現実はすでにはじまっていて、侍社会の復活がなかったように、社会イノベーション(刷新)は過去に戻ることは決してありません。
 令和という時代は、新しい仕組みになり、日本人の意識が過去にあるところからスタートし、意識改革がなされないまま、精神と現実が繋がっていない状況が、令和という時代の幕開けになりました。
 その実態は、過去に引きずられている中年層や壮年層に多く、親の世代から続いた成功体験と、いままでの自分たちの生活空間が成立していたので、その感覚が「サラリーマン信仰」となり、安定・安心・安泰という「心のシェルター」を作ってしまいました。その「心のシェルター」は、絶対的で永久不滅のものとして精神の中に入り込み、サラリーマン信仰を壊すことすらできない状態になってしまいました。多くの日本人は、目の前の現実を受け入れる精神にはなってはいません。しかし、必ず壊さなくてはいけない時期が来ます。そして、意識改革を出来るヒントは、どこにあるのか? それを探ることが出来る人から、次の世界に行けます。もう少し、噛み砕いて論理性と整合性の中で話しをしてみたいと思います。 

1. 学歴社会と企業社会(サラリーマン社会)が、日本経済の中心にならない単純な理由は、企業が年功序列と終身雇用が出来ない仕組みが、労使関係の大きな溝を作ってしまったからです。
 まずは、労働者側から見ると若者自身が企業に対しての帰属意識が薄れてしまいました。新卒社員の離職率は高く、2~3年以内に30~50%の離職してしまい過去の体制では成り立たない時代になってしまった。そして、若年層は会社を自分の経験値の踏み台にしか使わなくなってしまった。いまの労使関係では、学費と4年間の時間の費用対効果が新卒にとって回収が出来ない労働市場になってしまいました。
 企業側から見ると、かつては新入社員を学歴と学校名(高学歴・ブランド校)でふるいに掛けて採用して、社内教育によって戦力を育ててきました。新卒社員への投資と熟練社員の高単価労働で、社内循環の投資と回収をしてきました。しかし、平成の半ばから採用基準が機能(有名校・成績優秀者の新卒を基準にしていた)しなくなり、企業慣習や集団行動が出来ない社員に対して、過去の判断基準では戦力社員を作ることが難しくなってきました。採用時にかかるコストと育成費ばかりがかさみ、企業にとっても人材の投資と回収が出来ない循環になってしまいました。
 昭和・平成に作り上げた日本経済の景気循環は、学校利権と企業利権で社会を回してきました。20代前後の若い子が、500~1000万の金額を学費に投資をして、2~4年間しばることによって大学に付随する産業にお金が落ちる景気循環を作ってきました。そして、学校は就職斡旋とエイジェント業務をして、卒業書を手にしないと有名企業に入れないという、職業選択の利権を牛耳って学校利権を作ってきました。その利権構造が、壊れて機能しなくなったことを10~20代の世代は理解して、次の世代の働き方をしています。

2. 終身雇用・年功序列賃金体系と住宅ローンは、企業と銀行の利権構造が機能しなくなったということです。かつては、年功序列賃金体系と終身雇用で住宅ローンを組んで、返済をしながらマイホームと生活の幸福を信じていた社会構造がありました。企業が、雇用体系と賃金体系が壊れたことによって、住宅ローンが幸福でなく社畜の鎖になってしまいました。このシステムによって、離職をしない1つのツールとして企業は使ってきました。社員には、転職は減給と不幸のはじまりという強迫観念と洗脳をして離職させない社会にしてきました。
 それに加えて、平成中期まであった土地神話は近年の地価下落によって、資産価値の目減りが資産運用の崩壊にもなっていきました。近年、はじまっている固定資産問題は、次世代の社会問題になっています。長年住めば、家のメンテナンス費用の増額と収入の不安定がローンの返済にも響き、固定資産を維持することが出来ない人たちが出てきています。いままでは、プラスの資産としていたものが、マイナス資産に計上されてきています。さらに、家を購入することで新しい生活スタイルや移住の障害になり、負債を軽減しようとしても身動きが取れなくなっています。

3. 武漢熱によって、リモートワークや在宅勤務が普通になり、都市型の生活に意味を持たない時代がはじまってしまいました。業種によっては、企業の正社員として帰属する意味を持たなくなり、離職をして自分の技能を活かす起業や独立の動きが活発になってきています。自宅を仕事場にすることによって、通勤時間が無くなり家族や自分の時間が増えたことで、仕事の概念が変わってしまいました。30代を中心に、都会の生活から地方に移住する生活空間に移行する人たちが増えてきました。仕事中心の時間配分から、生活空間とゆとりの時間に日本人の生活スタイルは、大きく変わってきていると見ています。昭和・平成に作ってきた企業社会(同じ場所・同じ時間での就労・集団作業)が、意味をなさない時代になりました。

 帰属社会で生きてきた人たちの否定をしているのではありません。社会の仕組みが変わったことで、過去と現在と未来を、どのように繋げて日本の現状を客観的に捉えるのか? 個人の自問自答だと思っています。そして、何を残して何を削るのか、これが問われていると思っています。3つの仕組みが変わったことによって、必ず不要なものが出てきます。過去に作ってきた財産(お金だけでなく、価値観・人生観・社会観・企業慣習)が、次の時代には意味をなさないものに変貌するものもあります。何を柱にして残すのか、個人の英知と人知が問われます。この数年は、激動の時代になり昭和・平成の価値観では、計ることの出来ない社会になっていきます。壊れていく社会を全面否定するのではなく、社会の地殻変動に寄り添いながら、意思を持って向き合うことから始めることです。
 別の見方をすると、この地殻変動によって社会に大きな空白ができ、一人一人にチャンスが到来します。そのときに、波に逆らうのではなく波に乗りながら、過去の自分と未来の姿にどこで自分を現実につなげるのかだと思っています。現状を受け入れて、時間のデザインと自分の能力(過去に積み上げてきた生身のボディ)を人生というレールに乗せて空間デザインをすることです。
 過去を引きずって生きている人は、次の世界の創造が出来ず経済的な圧迫と精神の閉塞感が弊害になり、自暴自棄のスパイラルに入っていくでしょう。大切なのは、肉体のボディ(能力・実力・経験値)と頭の精神(過去を切り離せる頭脳)の組み合わせを時空間でデザインすることです。それをするだけで、人生観が大きく変わって見えてきます。

 

<20・60>

 この数字を見て、何を意味するか解る人は時代に敏感な人なのかもしれません。ほとんどの人たちは、就労開始年齢と退職の年齢だと思っているでしょう。ヒントは、100歳時代です。これを言っても理解しない人が多いと思います。この数字は、日本社会に大きな社会変動を起こす数字になっています。先に、この数字の答えを言います。20という数字は、企業や会社の寿命です。そして、60とは何か? それは、個人が生涯働く年数です。
 いままでは、20歳前後で仕事に就き、60歳前後で退職をして余生を自由に生きることが幸せだと信じてきました。しかし、人生100歳という時代に迎えたときに、60歳で退職をしたときに40年という時間だけが残ります。昭和にあった地域社会や家族制を壊してしまったところで、壮年になった人たちはどこに帰属しながら生きていくのか? 切実な問題がはじまろうとしています。心のよりどころもない人間関係が、孤独と寂しさの中で生きていくことを強いられる世界がはじまろうとしています。これまでの日本社会は、孤独とは無縁の社会で成り立っていたので、多くの人は想像ができにくい未来だと思います。
 これからはじまる孤独社会は、人との関係の希薄さがもたらす閉塞社会を作っていきます。誰からも相手にされず、心の空洞化が、大きな闇の世界に、個人を引きずり込んでいきます。自分の存在が集団の中で認められなければ、寂しさから孤独という感情に変わり、攻撃的な人格に変貌していくでしょう。それらの人が、壮年層に増えていけば社会そのものがすさんでいき、地域社会は成立しなくなるでしょう。
 さらに、経済面でもこれまでの社会の仕組みでは解決が出来ない時代になっていくと見ています。昭和や平成の働き方では、家計が行き詰りマネーにだけ執着した高齢者は、調和の取れない家族を作っていき家族崩壊を引き起こすでしょう。
 働き盛りの20代以上の人たちにとっても、労働の仕組みが大きく変わります。会社の寿命が20年とするなら、生涯3回の職を変えなくてはいけなくなります。はじめの定職は、新卒時の20歳前後になり、次は40歳前後就き、最後に55歳前後に就くという労働の仕組みがはじまろうとしています。年齢が上がれば、自分だけの条件だけではなく家庭の条件と収入が現実の問題として突き付けられます。そして、転職をするときは数年前から準備が必要になり、人によっては資格を取るために学校に通う状況にもなります。平成に作ってきた家庭環境とは、違うものになっていくでしょう。
 いままでは、20~30歳で定職に就くことが安定と安心という社会慣習がありました。これからは、40歳代50歳代になっても転職をしなくてはいけない時代がはじまります。平成までに続けてきた、予測ができる家計と家族設計では人生が歩めなくなります。
 社会変革がはじまったということは、転職だけの話しではありません。帰属社会でなくなることで、収入と勤労時間のルーティンが不定期になり、毎日のサイクルが不規則な生活になることも想定しなくてはいけなくなります。さらに、仕事と収入の不安定は、ときに空白の時間が恐怖に変わります。そのときに、メンタルをどのように平常心で保つのか? という精神状態の問題も出てきます。その複合的な状況も含めて、個人が人間力と労働を創造する時代になったと見るべきです。その点から考えても、自営をしようが会社員になろうが、安定と安心という尺度で計れない時代がはじまりました。
 繰り返しになりますが、敗戦後の日本人が信じてきた「学校を卒業して企業に定職に付いたら、ほとんどの職業の選択は終わった」「自営は危険で、会社員は安泰」という時代は終焉しました。これからは、3度大きな人生の分岐点をむかえて、個人の能力と実績が問われる労働環境になっていきます。そのときに、高齢でも職に就ける自己形成が必要になり、「年季と熟練」という価値に注目をする必要があるのかもしれません。
 次の時代は、多様社会になることは間違いありません。個人の人間力が問われ、相手が一緒に仕事をしたいと思うような人格形成が問われていくと思います。労働技術も含めて、結果責任の就労型に変わっていき、人の再編から仕組みが変わっていくと見ています。
 この事実を踏まえると、家庭での子育てや学校教育は重要になり、次世代に何を知恵として持たせるのかがいまとは変わってきます。親自身も意識改革をしなくてはいけなくなり、すべての日本人が現在と未来を結ぶ現実に向き合っていく時代がはじまりました。

 

―この武漢熱によって、見えてきた小さな光―

 武漢熱は、人の人生を壊し多くの家庭を崩壊させたことは間違いありません。ただし、武漢熱によって日本の国体を考えるきっかけになり、平成に作られた日本を振り返る大きなきっかけになったことは間違いありません。平常時では気づかなかった奥底の病を炙り出し、本来の姿と現実に向き合わせたのも武漢熱によってからです。武漢熱がなければ、日本社会を侵食する大きな流れに気づくこともなく、日本の国体は再起不能になっていたと思います。コロナの難局によって機能しない社会になったことで、国体が再起不能になる前に気づくことができたことは、甦る機会を得ました。
 いま、日本人が向き合わなくてはいけない現実は、壊されたものを非難するのではなく、「あぶり出された病を取り除き、何が残ってどこから立て直すのか?」と言う発想や精神改革をすることです。一番すべきことは、不要なものを取り除き、国の仕組みをスリム化にすることだと思っています。いま各国は、社会のイノベーションをして、古い体質や次世代に不要なモノを捨てて、残すものと作り変えるものを分別する作業をしています。日本も同じように、過去の否定と肯定の分別をしなくては、これからの民族生存競争に残ることはできません。令和の上半期は、過去と未来をつなぐための翻弄する時期がしばらく続くでしょう。いままでの既得権が大きく変わり、社会の仕組みと人間の精神が変わるタイムラグがどうしても必要になります。この数年は、ひとつひとつ問題を解決して次の社会に変えていく準備期間です。いままでのような、凹凸のない平らな社会づくりでは変革の時代を乗り越えることは出来ません。
 一度立ち止まり、時間空間(歴史や過去・現在・未来)と世界空間(民族や人種)からみると、別の世界が広がります。多くの人は気づいていないと思いますが、これからは日本人の得意とするロジカルに社会を作り変える世界に入ったと見ています。大半の人は、先が見えず不幸な時代のはじまりだと捉えていますが、実はそんなことはありません。いままでの歴史を振り返ると、日本という国は国難のときこそ大きなイノベーションが起こり、新しい国づくりをするという民族の習性を持っています。この人知は、大陸文化の民族にはない発想で、日本民族の特異体質だと思っています。世界各国は、イノベーションをしていますが、次の社会にいち早く脱する国は日本だと見ています。