<明治百五十年に、何が終わるのか?>第十五回

積哲夫の問い

西南戦争ではじめた歴史の闇に光を当てる旅は、どうやらそのルーツに、明治維新そのものに、西洋の悪魔というべき存在の関与があったと推測できるところに到りました。私は、仏魔が入ってきたのと同様に、明治維新によって、日本に一神教の悪魔が入ってきたことが、今日に到る歴史の背後にある学びの対象であることを、はじめから知らされてきましたが、一神教の悪魔を処理するために、日本は用意されたのだとこの二千十七年に到って、やっと、人の世に宣言できる段階に突入したと認識しています。この神の秘密ともいうべき、告知のために、人間の身に降りた神々のはたらきがあったわけですが、この道は、いまはじまったばかりです。これに対応する変化が、精神界でも進行中のようですが、役割を終えたものは去るのが正しい、というルールによって、去るものが出てくるはずです。その場合の神社結界は、どのようになるのか、知らされていることがありますか。

 

マツリの返信

第八回以降、日本の近現代史の闇は想像以上に深いということを実感しながら、返信を書いてきました。そのなかで、後世の人間の思いによって作られた闇も多いことがわかりました。第九回で後醍醐天皇のことを書きました。その後、私が後醍醐天皇の遺した執念だと思っていた闇のエネルギーを分析してみると、その大部分は、後世の人間が作りだした思いのエネルギーだったことが分かりました。

「大日本史」が南朝正統になったのは、徳川家を新田氏の末裔とする系図がつくられて、江戸幕府がはじまったことが一因です。さらに大日本帝国憲法の時代に、天皇への忠義を理由に南朝方の武士が顕彰されたこと、近年では密教の呪術に長けていたという後醍醐天皇のイメージが拡大解釈されたり、明治維新を南朝クーデターとする見方が広がったことが、その要因になっています。

実際の歴史も、そのような想像された物語を含めてつくられてきました。人間の精神の構造や特性を考えると、想像した物語から歴史がつくられた過去も、これから先の未来にそれが起こることも、否定することはできません。けれど、生きている人間が自分たちの都合によいように、神話を利用したり、過去の歴史を作り替えたりすることは、もうできない時代になっていると思います。神功皇后の物語と、豊臣秀吉の時代の文禄・慶長の役、二十世紀の朝鮮併合や大陸への進出を同じ神話のように結びつけるのは、精神界のしくみを知るとおかしいことです。

南北朝正閏論は、朝鮮併合と同じ時期に激しくなりました。南朝を批判する発言をした大臣が辞職に追い込まれるなど、大問題になりました。日本の皇統は「万世一系」で正統は南朝であるから、北朝とふたつにわかれていたことは認められない(つまり北朝は認めない)、というのが政府の見解でした。現代の感覚では「一系」を、ひとつのものがずっとつながってきたという意味でとらえる人がほとんどだと思いますが、当時は正しいものはひとつという意味だったことがわかります。「皇統の万世一系」という概念は、大日本帝国憲法の制定に合わせてつくられたものです。憲法制定に関わった井上毅(いのうえこわし)も、日本書紀に見られない「万世一系」という言葉を使うことには否定的だったといいます。また「幕府は悪」とされたので、源頼朝や足利尊氏が極悪人だとされていました。

明治維新の関係者で、神界に引き上げられていたのは明治天皇しかいなかったと、積さんは以前からおっしゃっています。また、私が精神界から伝えられていたのは、西南戦争で薩軍として敗れた人たちの情報だけでした。これまでの十五回の「積さんの問い」に対する答えをさがすなかで、それは再確認されました。

光があるものとそうでないものは、亡くなった時点で、もしくは生きていた時から、すでにはっきり分けられています。復活した薩軍や先の戦争の戦死者たちのみたまは、別に保存されていたのではなくて、はじめから分かれていたようなのです。「右と左に分けられ」ということばのとおりにです。そして、次の世に進むことを希望したものは、すでにその世界へと向かっています。そして「最終知識」に書かれているように、歴史上の有名人であっても、霊の行き先に興味を持つことには何も意味がないこともよくわかりました。

精神界の変化と神社結界については、精神界から「この国の長い歴史では何度も起きてきたことなので」という回答がありました。明治の廃仏稀釈からさかのぼっていくと、中世以降の本地垂迹説、六世紀の仏教伝来、さらにそれ以前にも、何度も日本の神さまの坐すところは、人間の信仰や、その時代につくられた物語によって移動したことがあるようです。名前も、何度も変えられたことがあるようです。なかには、お祀りや結界という名目で封印されている神さまもいます。「日本は、ことだまさきわう国といわれていますが、言挙げを好まれない神さまも多くいらっしゃいますので」とお伝えください、とのことでした。