<明治百五十年に、何が終わるのか?>第五回

積哲夫の問い

ここで西郷さんが下野する原因とされてきた征韓論についてです。

現在の日韓関係よりも、もっと悪化した状況が、当時の明治政府と李氏朝鮮の間にあって、交渉に行った日本側の使節団は、みんな強硬な征韓論者になっていくわけですね。その代表が西郷さんのように思われる歴史観を、国民に与えてきたのが、勝った側の立場とすると、これが西郷下野の根本的な理由でないのは明らかです。西南戦争終了後に、大久保利通が東京の紀尾井坂で暗殺され、明治という時代をつくった、長州の木戸、薩摩の西郷と大久保という三傑といわれた人間がみな死にます。ここに、ある種の歴史的転換点があるのですが、普通の人間が知らないことがあるはずです。

精神界の情報で、一般人に開示してもいいものがあったら伝えてくれますか。

 

マツリの返信

人知の側のお話ですが、以前は征韓論というと、西郷さんが朝鮮半島への進出つまり征韓派の中心人物であったような見方でした。残されている当時の資料が詳細に検討されるようになって、この数年の間に、西郷さんは朝鮮への派兵を止めて、まず交渉のために使節として現地へ赴くことを主張したという見方に変わりました。

江戸時代、朝鮮との交渉は幕府が直接行うのではなく、対馬藩が担っていました。釜山には草梁倭館という外交施設が置かれ、対馬藩の役人が常駐して通商などが行われていました。幕末から、長州をはじめとして対朝鮮強硬論はありましたが、なぜ明治六年に征韓論の問題が起きたのかはよく知られていないと思います。

王政復古後、江戸幕府から変わった日本の新政府との国交開始に、朝鮮側が応じない状態が続き、交渉には全く進展が見られませんでした。明治五年九月、新政府の外務省は草梁倭館を管轄下に入れ、旧対馬藩の役人は排除されました。その後、外務省の後援で倭館に入るようになった日本の商人の密貿易が発覚します。朝鮮では、日本を激しく非難、侮辱した内容の文書が掲示され、攘夷運動がはげしくなりました。

その件が日本に伝えられると、六年の夏に外務省から太政官に議案が出されて閣議の議題になり、倭館護衛のために一大隊を派遣することになりました。西郷さんはそれに反対して、兵隊ではなく使節を派遣し、交渉についての是非と大義を明らかにするべきだと主張しました。西郷さん本人を使節とする内勅がおりて閣議でも決定されましたが、その後の「明治六年の政変」で西郷さんは政府を去りました。

西郷さんが重視していたのは朝鮮半島ではなく、近いうちに戦争が避けられないと見ていたロシアの動きでした。この頃すでに、強い海軍を持つイギリスと組めばロシアは恐れるに足りないと述べています。朝鮮への使節派遣の問題に限らず、政府の方針と西郷さんの考えは多くの点で異なっていたので、結果的に官職を辞すことになったのだと思います。

 

維新の三傑と精神界の情報

西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の「維新の三傑」は、それぞれ大きな役割を担っていたことがわかっています。

文政十一(千八百二十八)年に西郷さんが生まれ、二年後の天保元(千八百三十)年に大久保さんが、その三年後の天保四(千八百三十三)年に木戸さんが生まれています。この三人がいなければ、時代の流れはもっと遅くなっていたはずです。

明治十(千八百七十七)年二月に西南戦争がはじまると、五月末に木戸さんが病死、九月末に西郷さんが戦死します。翌年の五月半ばに大久保さんが暗殺され、一年たらずのうちに順を追うように亡くなりました。死の様子は、三人の生き方を象徴するもののようです。西郷さんは西南戦争で戦死しました。三人の中では、悔いはもっとも少なかったようです。木戸さんと大久保さんは、岩倉使節団から帰国して本格的に憲法の構想がはじまるという段階で倒れました。道なかばだった大久保さんは、非常に無念だったはずです。それでもこの三人は、「人間五十年」という時間を尽くして生きたといえると思います。

この時代は、たとえば高杉晋作のように、いい人や有能な人から先にこの世を去っていったのでは…という印象があります。国内の争いのために、人材が次々と失われていきました。日本の精神界では、明治五(千八百七十二)年が大きな転換点として見なされているようですが、六年に政変があり、九年の長州・萩の乱で松下村塾の志が断たれて、翌年の西南戦争では官軍・薩軍あわせて一万四千人が戦死しています。

西南戦争を経て、日本では憲法制定と国会開設をめざす動きが本格化します。その中で、社会に対する政党とマスコミの影響力が次第に大きくなっていきます。三傑の死によるひとつの時代の終わりと、元老の死後に起きた昭和の社会の急激な変化は、重なっていく部分があります。

幕末から敗戦まで、多くの人が命を落としたという事実は、残された人たちや次の時代に生まれた人たちの潜在的な恐怖となり、思考と行動を停止させる原因になってきました。暴力や戦争から生じたエネルギーに一度とらわれてしまうと、人間がそこから脱け出すのは簡単ではありません。このエネルギーは疑心暗鬼を生み、さらに問題を作り出して、真実を深い闇の中に隠してしまいます。今の人間の世界は、このエネルギーの層にとらわれています。

開国以来、日本列島をおおい続けているこのエネルギーの層を突破するために、精神界は動いていて、情報伝達とエネルギーの浄化を続けています。