<明治百五十年に、何が終わるのか?>第一回

積哲夫の問い
西南戦争の死者たちの復活をさせるべく、私(積哲夫)を導いた存在がありました。そこで、私が出会ったのは、一寸法師のように小さくなった西郷隆盛でした。死後の人間のエネルギー体が、そこまで小さくなるということは、普通は転生前の姿なんですが、光のエネルギー供給で一気に復活しましたね。私が奄美の龍郷の愛加那の子孫であることを知って大泣きしていましたが、受信者としての情報回路に、この西郷復活の意味は、どのように伝達されていたのでしょうか。

マツリの返信
はじめに、西郷さん復活のきっかけを記します。それが、幕末から今日まで続く、日本と諸外国との関係性と、日本国内の歴史の流れを端的にあらわしているからです。

二千十三年八月の終わりに、積会長と精神学協会の正会員数名が、東北地方でご神業を行いました。その際に、硫黄島でアメリカ軍と戦った海軍の市丸利之助少将が遺した「ルーズベルトニ与フル書」という手紙へと導かれたのは、当時の光文書に書かれていたとおりです。
このご神業をきっかけに、西南戦争で敗れた西郷さんをはじめ、幕末から敗戦までの期間の戦死者や国事に身を捧げた人たちの復活が起こりました。
私がそのご神業のことを知ったのは後日でしたが、八月三十一日の午後に強い霊的なエネルギーを感じたことはよく覚えています。

西郷さんの場合は、西南戦争で戦死した薩軍の人たちと共に集団で復活しました。
亡くなった人間のエネルギー体が、生まれかわる(転生)前に一寸法師のように小さくなるということを、私はその時まで知りませんでした。最初は、何か霊的なものとして近くに存在しているらしいとは感じられたものの、彼らはとにかくずっと泣いてばかりでした。無念の涙だったのではないかと思います。
私はどうすることもできず、「彼らに光が届きますように」と毎日お祈りをしていました。ひと月ほど経った頃から、みんな少しずつ元気を取り戻しましたが、西郷さんはひとりで最後まで泣いていました。負った罪の重さを、西郷さんはよくわかっていたようです。
薩軍は死してもなお、一切の私心なく、名誉や栄達も求めず、まわりに流されることがない、さわやかで立派な人たちでした。

西郷さん復活が意味すること

ひとつめは、千八百七十七年の西南戦争から一三七年後の二千十三年から十四年にかけての復活が、彼らの知らないところで約束されていたということです。
同じように約束されていて、千九百四十五年の敗戦から七十年後の二千十五年までには、明治・大正・昭和の数多くの戦死者が復活しました。
日本をまもるために命を尽くした人々が復活し、高次の存在によって、光の世界へと引き上げられていきました。それによって彼らが経験したことが、今の時代を生きている人間の意識や世界情勢にも、反映されるようになりました。

ふたつめは、旧日本軍、特に陸軍の基礎をつくったのは、西郷さんと西南戦争だったということです。西南戦争の経験が、その後の陸軍の戦いと精神の礎となりました。
また「政府に尋問の廉之れ有」と、陸軍大将西郷隆盛として問おうとしたことは、今も同じように存在していて、その意味を後世に生きている私たちは考えなければならないと思います。

みっつめは、西郷隆盛という人が、菊池一族の系譜を継いでいたことにも何らかの意味があったのではないかと思います。国が大きく動く時には、まず自らが動かなければならないという宿命のようなものを持っていたのかも知れません。
復活した戦死者の中には、死しても神々のワケミタマとしての特性や輝きが全く失われていないたましいが存在していましたので、人間が想像するよりもはるかに高次で強い何かが、たましいや意志というものの中に秘められているようです。