やっと来た。この時代に。ずいぶん遠回りしました。隙間だらけの家に住み砂で絵を描いて遊んでいたころ無知すら自覚はありませんでした。外に出て大きな岩を回り込んで視界が急に開けた瞬間がありました。視界を妨げていたものは岩ではなく自分の勇気の無さです。
解ったこと、歩かなければ風景は何時までたっても変わらない。何度でも失敗しても途中でへばったとしてもまた起き上がれば良いのです。
特別な何かではなく、普通に人間としてあること、そしてそこにも光が差します。
自覚が無かったとしても人間は常に際どい岩場の位置に立って居て、そこには見えないそよ風も強風も光も闇も交差する全てが交わる絶妙バランスの点。
ある時、砂漠の国から東に向かう集団があり私もそれを追っていました。
その集団は東の山の中で仏教を学んでいました。
やがて集団の一部は更に東の国を目指しました。
※迷っている方にヒントになるかどうかですが、
会が公開する情報に触れて、私は昔の記憶にあるゴータミーの嘆きやスジャータの歌詞の意味について深く考えさせられました。むしろ長年の疑問は氷解したと言ってもいいでしょう。
これからもまだまだ学ぶべきことやることはいっぱいありそうです。
あのシンプルなお札の感想
最初、お札の両面から白い円錐状のパワーを感じました。
外見はお札ですが、技術者としては興味深々どうなんだろう今までみたことも無い技術なんでしょう。
おでこに当てればなんだか前頭葉の辺りがくすぐったく、脳内が内側から照らされます。
手に当てれば暖かく感じます。
いろいろなパワーがありそうですが、アンカーというかスタビライザーのような感じもあります。
※以上は、私の個人的な感想です。こんな感じ方をする人間もいるんだな程度に受け止めていただければ幸甚です。