新・神知と人知73

二千二十一年十一月二十九日

二千二十一年十一月二十六日(金)十六時十一分から

【弥勒の疑問に 釈尊はおこたえになられて 久遠の請願について お話になられた…】

彷徨の時代のおわり それまで みずからについて 知ることがなかったものたちが
みずからを 知ることを 志すようになる

みずからについて 知ることのないものたちが 道を成すことなど ありえず
釈尊ただおひとりの知られた 世の不可思議を みちゆきの 妙なることを

 

(現代語訳)

自分さがしの時代はおわり
自分さがしをしているあいだは 真実の自己にたどりつくことはない
いいかげんになさいな
自分をごまかし、いつわっている その目のくもりを いいかげんに はらいなさいな

(まあ、それはつまり “ 審判 ” であることだよ)

『ああ わたくしたちは なんと悟りからとおいところに生まれ
悟りからとおい道を 生きているのであろうか
そのことから 目をそむけさせる 華美な装飾の なんと多いことか』

ということは 諸仏も 諸神も 人間も 動植物も 皆同じ立場にあるのですよ
その立場で 神がえらいとか 仏がえらいとか あの人がえらいとか
いうても しようがないではありませんか
みずからの業にむきあうしかないのです

わたくしのこの話は 諸神 諸仏の 思い上がりに 少しでも届きますかな