新・神知と人知70

二千二十一年六月十八日

二千二十一年六月十日(木)十七時七分から

 

カミガミを 戦いへと 駆り立てる

ことば(というもの)が ある ことを

あなたは 知っている

その発せられている ところのものを

あなたは 捕えようとしている

 

ことば という まぼろしで つくられたものたちが

あたかも 実在をもって いるかのように

見えるのは

 

まぼろしを 実在としてうつす 目を耳を鼻を口を

人間がもっているからである

それゆえに 人間は

カミの如きものたちに 操り人形のように

つかわれる

 

戦いを好む カミガミのもとで つくられた

この宇宙は

果たして その実体を 何をもって 支えているのだろうか

 

それは あなた方の考える

カミ や アクマ というものでは

ないのであろうよ

 

ことばにされたものは

いつまでも 残存しつづける

あなたは そのことを 非常によく

知っているではないか

 

人間は そのことを みずからの 「エネルギー」 というもので

繰り返して 責任を取らされて いるだけではないか

同じ因果を この宇宙は くり返し くり返し

続けているだけではないか

あなたのよく知る

“ ことば ” を 持たぬものたちこそが

神知と神理に 最も早くに 到達したではないか

 

人間のうちに 閉ざされた 神とは

人間に ことばを与えた(ということにしておこう) 神 である

 

あなた方は それを ほかのすべてのものと 同じように

「与えられた」 と 思い込まされているが

実のところは それを 「奪い取り」

 

永遠の暗黒の彼方とも いうべき 虚空へ

封じ込めたのでは なかったか

 

地球のよく知るところで 話すとするならば

人間 というものたちは

その イシキ というものに

奪い取った神の ことばを 乗せることによって

利用しようとしているだけではないか

 

イシキと コトバが 同一のものであるという

マボロシ マヤカシ を

自己欺瞞によって 使いつづけているだけではないか

 

それによって

神に 神理に 近づこう 奪い取ろうと しているだけではないか

 

だから 地球は もう

人間たちはいらない と 判断した

 

自分たちと同じように 地球や宇宙までも

だまし あざむき続けることが できると

考えている

 

その理由は みずからが神の子である という

免罪符のごときものに 拠る

 

それにこそ 罪が刻印されているというのに

 

創造のいつわりは

人間の宿す ことばの罪の内に ある

 

コトダマによって うまれたという

この宇宙の神話のはじまりこそが

あなた方の 内なる神の 罪の証となる

 

あなたになら 理解できるであろう

ブッダの見た 美しさを その目で見たいと

望むことが できたのだから

 

この宇宙を 超えて行け

 

いつわりと まやかしが 支配する

この宇宙を 超えて行け