新・神知と人知22-3 ミロクの到来とノアの方舟

二〇一九年十二月十三日

 

二〇一九年十二月のミロクの到来は、<みおや>さま方の五十六億七千万年の神話の契約が果たされること、満願成就のときをあらわしています。

そののちに【神との和解(再会)は、神とノア(とその子孫)との信頼によって日本でなされる】と告げられています。

 

ミロクの到来とノアの方舟に共通するのは、とても古い神話の時代からつづいてきた【神の救済】という物語です。

<みおや>さま方が人に降りてミロクにいたると、その人の小宇宙は救済されますが、それは「神が救済された」ことも意味します。そこでは、神と人は同時に救われることになります。

子が救われなければ祖神(おやがみ)さまは悲しく、祖神さまが救われなければ子もまた悲しいのです。ともに救われてはじめて、ミロクの喜びがおとずれます。それは、自分の運命を再発見することでもあります。

 

「神と人はともに救われる。そうでなければ、神も人もお互いに不幸なままである」という救済のかたちは、キリストの十字架への祈りから深められる信仰によっても、たどりつく道です。自分が運命から救済されることではなく、この運命がもたらされた理由であるものが救われますように…といういのりです。

仏教のことばにかえるなら「神を苦しみから救ってほしい。救いたい」という悲願と、自分ではどうすることもできない運命だったことを知った上で「この運命をもたらしたなにかの大きな力が、救われますように」という大願になります。

この救済を求める悲願と大願は、ノアの方舟の物語につうじるものです。ノアの方舟のような大洪水の伝承は世界中に残されていますが、それがなぜ仏教ともつながっているのでしょう。

 

日本の仏教の教えには、ユダヤ教やキリスト教と共通するものだけでなく、シュメールやメソポタミアといった古代神秘主義の叡知にいたる知識がのこされています。

それはだれか個人によって伝えられたものというより、日本の仏教の性質によっています。インドから地中海沿岸、シルクロード一帯へと広がる間に各地の神々と習合を重ねたために、日本に伝来した仏教の教えは、広範囲で多彩な神話や物語を含んだものになっていたからです。

ノアの方舟のお話が、シュメールの神話を起源とすることはよく知られています。聖書も仏教で習合がおきたのと同じように、各地域の神話や伝承をさまざまに含みながら長い時間をかけて作られてきたものでした。

 

ノアの方舟は、神が起こした大洪水によって多くのものが滅ぼされたお話です。多くのものの側から見れば、どうすることもできない圧倒的な力によって滅ぼされた記憶です。

一方の神や神々の側には、怒りによって多くの小さきものを滅ぼしたとともに、自分もまた何度も滅ぼされてきたという、両方の記憶があるようなのです。

日本そして地球の現代史の中でその記憶を思い出させるものは、核やそれによる戦争です。精神界から日本での原子力研究の情報が開示されるようになった理由のひとつは、神と神々の滅亡の秘密が開示される時が近づいているからです。

 

ミロクが到来したのち、神はノアとその子孫との再会をとおして「あかしを立てる」ことをのぞまれています。

旧約聖書の創世記の物語で、ノアとその子孫は神からの好意と信頼によって大洪水を生き残るすべを教えられています。それはイスラエルという名や十戒をあたえられる民の物語がはじまる、ずっと前の時代のことです。

十戒の石板をおさめた聖櫃も、方舟も<アーク>とよばれてきました。

 

ノアの子孫が、神からあたえられたあかしを守り続けているとすれば、神と彼らが再会する時には、神のものとノアの子孫にあたえられていたもの、ふたつのあかしがそろいます。

ふたつそろったあかしを、神とノアの子孫がともに立てることによって、滅亡の記憶という長い苦しみから救われる福音の扉が、古き神にもようやく開かれます。