幼少期は肉体と精神の不整合というか、肉体の中に宿る精神とはいったい如何なるものか他の人たちはそのことに不安や疑問というか自分のいう存在を不思議に感じないように見えることが違和感に感じておりました。それ以外は何処にでもいそうな普通のおとなしい子供でした。
ただ精神は常に宇宙や森羅万象に向けられていて、地学的な観点というよりは星そのもの生成や星の終わり(ブラックホールや巨星など)に興味が向いていました。
最初に選んだ読書はフランダースの犬、父親が与えた最初の本はシートン動物記でその後読んだジャン・クリストフには難解ではありましたが命の在り方について大いに考えさせられました。
中学になると永久発電機関に興味を持ったりしました。不思議と左翼思想には本能的に警戒感が生じたのもこの頃で良いことばかり言っているけど実はという感じで受け止めていました。
高校に入ると勉強に身が入らず成績がどんどん下がり(笑)上の学校に行ける気がしませんでしたが、担任の先生のご指導でなんとか上の学校を受験しました。
大学では偶然のきっかけで「光」について個人的に独学で学ぶことになり、それと同時に卒業後の目標もイメージできました。
きっかけとはある高山でキャンプ中、谷に滑落して臨死体験の場面に遭遇したことでした。
死とは本当に直ぐ隣にあって、死の前では如何なる虚飾、自己弁護、嘘誤魔化し、強がりも剝がされて丸裸になるというか自己の人生の真実に全面的に向き合うことになるということです。
これは誰もがいずれは体験し逃げられない事象なのです。
話は戻りますが無事社会人になってからは仕事にも光を応用しようと研究を続けながら、もともとの不器用さもあって人間関係に悩んだり、仕事で行き詰ったりということが続き挙句の果ては上司から「君は開発に向いていない」という三行半を頂きました。
こういう判断は良くあることで、人事部としては優秀な学生として採用して研究部門に配属させてみたものの当時の上司には良い人材には見えてこなかったし自分もいい結果をすぐに出せなかったという経緯もあります。こういう時特に若い時期は本当に自分がダメと思って落ち込んだりしますが、実は上司も同時に試されていると思った方が良いでしょう。自分のことばかり見ずに上司のことも周りのこともよく見ていないと無用な苦しみを得たりします。
苦しんでいる人に多いパターンですが、自分の出すエネルギーが自己という空間に集中しすぎてある種の鬱血状態にあるということです。ちょっとその自己集中状態を解除して他の何かに向かうことをすると思考する空間の自由度が高まります。
自分も上司の判断に一時的には怒ったものの直ぐ次の職場や仕事に気持ちを切り替えて挑むことができました。
結果的に自分の甘えや視野の狭さに気づくことも出来、人間関係も広がったと思います。
様々な経験を積んで研究+事業化という志向もイメージとして光で描くことが出来るようになります。
人間は何かを創造するとき必ず光でそのものの姿、特性、実際の動かし方使われ方などをイメージします。そのイメージは精神の世界では実体と生命を持っており、その寿命はイメージした人のイメージ自体の正確性と精度、イメージの完結性や強さ純粋さなどに依存します。
これは人間が神というモデルから造られたということからも類推できるでしょう。
そのイメージを一旦昇華し光に満ちた空間に浸し、それを具現化するプロセスに移行します。
正確性が大事ということは商品を実際に試作してテストする時、動作の不具合や仕様上の不整合が生じることを事前に極力少なくするためです。
光というものはこの時、あらかじめ問題となるであろう事象すらもシミュレーションして事前に消去しておく手順として必要となります。そのシミュレーションの網を光で創り出すと言っても良いでしょう。もちろん光に劣らないだけの実際に汗をかいて実作業をこなして行くことも大事であり、精神と肉体の2重作業となることは言うまでもありません。
もともとの生真面目さと新しい上司の指導力、一発逆転のチャレンジ精神もあってこつこつ成果が出てくるとより大きな仕事を任されるようになります。
途中経過は省きますが、結果的にとあるプロジェクトのとりまとめを任されます。
避けられない状況下で、乗るか反るかについては余り選択の余地はありませんでした。
一般論ですが自分の才能や人の可能性はむしろ何も解っていないと考えて、人に何かを言われたとしてもそれを絶対視しないことです。また人の運命も予想も予言も本来簡単にはできないものです。
自分に変な枠を被せず素直に努力して頂いた方が結果的に良いと思います。
若年時に言われがちなネガティブな決めつけや予言などを安易に信じるべきではないでしょう。
むしろこの時代は従来の運命論や占いなどの枠が大きく逸れて、現時点での既成概念や一般通念だけで正確な未来予測など個人についても社会や国家間についても無理だと思っております。
まず日本から始まる変化で個人ができるであろう可能性の枠組みは精神の世界でも実世界でも今後著しく拡大していくと思っております。
さて本題に戻りますが、事業を起こすことには成功しましたが、精神学について学んでいる途中の今の自分から過去を振り返りますと同じ事業に注いだエネルギーにはずいぶん無駄や過ちもあります。
エネルギー量に至っては実際1/4程度で良かったのではないかと振り返っています。
現場に消費されず余ったエネルギーは不要な作用を起こすようです。それは今だからこそ実感できます。
光のあるところ闇も明らかになる、そのことも現時点でも過去での現象の新たな正しい解釈が進みだしています。先に進みますが長くなりますので今回はここまでとさせて頂きます。
ありがとうございます!