みたままつりの前後のこと

選挙中の元首相の事件は相当な波紋を世界中に巻き起こしたに違いないでしょう。

単に日本の非常に世界的に名の知られた人物の死ということだけに留まらず、政治の世界が実に複雑でたぶん非常に誤解し易い要素が多々あるということを思い知りました。

政治はある意味妥協の産物であり民主主義も現時点では欠陥を含む妥協の産物かもしれません。

それでも政治に無関心でいることはある意味悪い流れに沿っていることであり、選び難い候補者であっても一番その中で良いと思われる候補者に投票すべきと思いました。白紙では意味が解りません。

今回の選挙では従来にも増して、世に巣つくう日本の闇の下品さ残忍さの実態が明らかになりました。

そして平和を唱える従来政党の虚しさ苦し紛れの嘘についてもよりはっきり感じられました。

日本の富は今まで年間数十兆という単位で外国に吸い取られています。構造改革、消費税やコロナ、太陽電池、カルト、パチンコ・・・・吸い取られたお金についてはその後の用途は人類にとって余り良いことには使われていません。日本の子供たちへの投資の少なさも含め実態はコールドウォーというか戦時下のようにじわじわ窮乏化政策が間違った政府により強引に進められています。

納税した税金が正しく使われていない。殺人等の重大な犯罪を行っても逮捕されない。

——-

しかし元首相の死を境に何かのムーブメントが静かに起こってきている予感もあります。

会に入るまでは実は靖国神社という存在について、国家の特別な施設という感覚しか持ち合わせて居ませんでした。ある事件を契機に家族帯同でその靖国神社にそしてその「みたままつり」(7月13日~16日)に参加して参りました。

マスコミのばかげた反日意図による取材とは裏腹に、靖国神社という場所は非常に親しみやすい日本人なら誰もが普通に自然に参るべき、”普通”にあるでも重要な神社であることが解ります。

私事ながら遠方より参ったこと非常に良かったと思いました。多くの英霊のみたまとともに。

またこの期間中に日本の為に不当に死に至らされたある方々も無事光に進まれたということも伺いました。改めて一緒に日本の復活に向かえることを心から心の底から喜びます。

またこの日に同じ日に参拝されていた無数の老若男女の方々のそのご存在のことも嬉しく思っております。

最後の最後のどんでん返しで何が起こるかは私には判りません。会の方が指摘されている様にカルマの法則をその原点まで突き詰めて行けばこの宇宙の開闢の目的も明らかになるということ。

今まで伏せられていたことは表面に色々現れて来るのでしょうか。

無神論は空しい原始的な嘘に過ぎない。物質と見えているものは光の集合体であり、その存在には既に固有の目的と固有の複数の波長をもっているということ。

それは自然発生ではなく偶然ですらなく目的を達成すれば消え去ってしまう。見方を変えれば命あるもののようにそこにある。

「わたしに触れるな」とはマグダラ様を拒否したのではなく、物質にも様々な段階というか状態にシフト可能な可能性を秘めているというお話のようにも受け取れます。

ある種の臨界状態あるいはある種の共鳴状態でも物質の姿は変わります。

それほど「復活」をあえてマグダラ様に見せた目的があったとも感じます。

「復活」が奥義であるということ。

「わたしの父の家には、住むところがたくさんある」、そうならば現在の目標をクリアしていくことが更なる可能性へと広がるということ。これは大変大事であり「いまここで」魂の所属というかあり方を選択しているまさに今の今なのであるとそのようにも感じました。

閉ループ系から解放ループ系へシフトするように。

——

靖国神社での一日はとても自然であるがままで居られました。

最後の審判の絵、ダビンチの絵に描かれた人類が抱える問題点というかテーマが明らかになってきます。

復讐ではないもう一つの道に向かって、歩んで行こうとこの日は思いました。