自立することが、最短ルート

今回の死んだらチャンネル(第188回)を読んで思った事です。

 

この死んだらチャンネルの何田さんの質問への会長からの返答

自分も救えない人間が、他の人間を救えるわけがないでしょ

これを最近、自分も思うことが重なっていたので、私なりに思った事を書きたいと思います。

 

「人の為に何かしたい、救ってあげたい、助けてあげたい…」

こういったことを、今複数の人から相談を受けていました。

そんな気持ちを持つことはとても良いことだと思います。

「でも、どうしたらいいのかわからない、うまくいかないんです。」

そうですね、実はこの質問をされてくる皆さんに、実は共通した状況があります。

ご自身が抱えている問題があって、それが解決されていない、または置き去りにされている、目を背けられている、ということです。

だれかの助けになりたいという気持ちはわかりますし、人の為に働くことはとても気持ちがいいことです。でも、自分のことがままならず、問題から目を背けていたら、ほぼ間違いなくうまくいきません。なぜなら人は「類は友を呼ぶ」だからです。人は同じニオイの人、言い方を変えると似た波動を持つ人のところに引き寄せられます。自分の問題を置き去りにして、人の問題に手を突っ込むというのは…

自分の子供のしつけや教育もままならないで、「子育てや躾や教育で困っている親」に教育論を語っている人、のようなものでしょうか。

人にアドバイスをするというのは、自分がその問題を一旦片付けてからでないと、できないことだと思います。いいアドバイスであれ、失敗した経験談であれ、その問題に対して適切な方向性を伝えられるというのは、とても難しいことです。机上の空論を語っても、それはむなしく消えてくだけで面白いくらい上滑りし、空回りした言葉として消えていきます。(経験談です)

何よりも、自分が一度クリアできていたら、自分の経験をどう活かして、同じ問題で困っている人の役に立てられるか?という考えになると思います。それは救うとか、助けるという発想ではなく、「自分の経験を参考に、お役に立てたら幸いです」くらいのものになると思うのです。

誰かが誰かを救う、助ける、というのはちょっと違って、人が人を救うことはできません。
自分しか、自分を救えません。

でも、地獄の苦しみから抜け出す、その手掛かりとして、自分の経験ではこうだったよ。だから、「こんなことしてみたらどうだろう?」「こんな風にやってみたらどうだろう?」「一緒に伴走しようか?」と、そんな声をかけることはできると思うのです。光を見せる事、伝えることはできても、その光をつかみ取るのはその人しかできません。人の悩みや苦しみに手を突っ込むのであれば、それだけ関わる覚悟をもってやらなくては、それは相手にも失礼なことでしょう。

だから時には、切ってしまうことも必要になります。

これ以上やっても相手が変わる意思がないとわかったり、自分への過度な依存が問題を助長するのであれば、それは相手にとって害悪でしかありません。適宜状況を見極めて対応できるというのは、自分がクリアして経験しないと見えてこないことが往々にしてあります。

人の役に立ちたい、人の為に働きたい、光のものとして働きたい、そう思うのであれば、その最短ルートは自分の問題を解決していく事です。次々に難題は降ってきます。その度に目の前にぶら下げられるお題を死ぬまでクリアし続ける事が、自分のステージアップと同時に働くための武器を手に入れていくということです。

 

進んでいく中で、自分のやりたいこと、やるべきことが見えてきて、そのためにどうしたらいいのかという考えが浮かび、それを一つずつクリアしていくために試行錯誤して、前進していく事が光の人として働く事でしょう。

なんだかすごく偉そうな文章ですが、多分そんなことわかっている人の方が大半ですが…
一応文章化してみました。

後々に、人の役に立ちたい、人を救いたいと、悩んでいる人が出たときに向けての文章です。

お粗末様でした。