殺生石

栃木県の那須湯本町にある殺生石が割れたとのニュースを見て、早速行ってきました。

知ったのは3月5日のお昼過ぎ。3日の14時頃にはまだ割れていなかったという報告があり、そこからわずか48時間以内の出来事のようです。

私が行ったのは6日の10時前。

天気予報では那須湯本町は決して雪が多い予報ではなかったのですが、高速を那須ICの手前2㎞を知らせる看板を過ぎた瞬間、ふわっと小さなものが一つ空から舞ってきて、インターを降りるときにはふわりふわりと増えてきて、町中に入ると降雪量が一気に増えました。

急激に降雪量が増え、坂道の発進が若干危うくスリップしそうな道になったところで、殺生石近くの駐車場に到着。

流石の雪で、人気は少ないものの、それでもSNSで取り上げられてことで見に行く人がいるようで、複数の足跡が残っていました。

雪が降り積もる中到着した殺生石は、案の定雪に埋もれていましたが、割れた岩の大きな方はそのまま残り、断面をさらしていました。

割れた岩と落ちたしめ縄は、雪に覆い隠されて見えなくなっていました。

『殺生石』という言葉から、もっと小さいものを想像していたのですが、あれは人が動かせる大きさではなく、印象としては『岩石』でした。元々亀裂は入っていたそうですが、だからといって動かして割れるというような様子でもなく、これは人の手でどうこうできるものではないな、と。

人は少ないのですが、さすがに地元メディアのカメラマンさんたちはいました。
一人軽装でやってきた珍しい人間(私)を取材をしたそうだったのですが、ソソクサと避けて写真撮影して、上昇して、ソソクサと帰りました。

そこでも少し衝撃的なものが見えたり、いくつかの疑問が浮かんだので、明日の光文書によって何かがわかるのでしょう。
楽しみです。

==========

既にご存知の方も多いと思いますが、この殺生石について少し補足。

この殺生石は、伝説の妖である『九尾の狐』を打ち倒したときに、その亡骸が岩となり、3つに砕けたものと言われています。
亡骸の岩と化して尚、その岩から瘴気が生まれ、周辺に寄る生き物を殺し続けていました。多くの高名な僧侶が鎮めようと行くものの、返り討ちにあっていた中、一人の僧がついに岩を砕き、ようやく瘴気が治まったということです。

この九尾の狐は、日本では玉藻前(たまものまえ)と呼ばれ、平安時代末期に鳥羽上皇の寵姫として大切にされておりましたが、鳥羽上皇が次第に身体の調子を崩し床に就くことが増えてきたため、いぶかしんだものたちによって、その正体が狐であることがばれて、この地で打ち取られたと伝説が残っています。
しかしこの九尾の狐のもとをたどると、その昔、中国の殷王朝の賢君と呼ばれた紂王の后、妲己として召し上げられたのちに、悪逆の限りを尽くし国を滅ぼすに至った狐のモノノ怪であると言われています。
妲己はのちの周の武王に打ち倒されたのち、時代を経て、遣唐使の船に紛れ込み、日本に逃れてきたと言われています。
遣唐使は仏教の伝来とも関わりがありますね。

ただ、この九尾の狐…
日本の伝説では別途『神獣』としての記載もあり、色々と思うところがあります。

さてさて、2月の末に起こったこと、3月の頭に起こったこれ、次々と仏教に関わることが続いています。どうなることでしょうか。