ある日、ひかりがさしました。

とてもきれいでやさしい、たしかなひかり。
明るさを変えはじめた海にさした、しずかなひかり。

そのひかりは、よあけのひかりでした。」
  • 2012年01月06日

    通信(2011.12.31)

    2011.12.31 21:44 ~ 記

    22年~24年のことを 記す フミ(ふみ)

    てん よりて
    てん よりて

    ことよさせたてまつりき この 声 の

    はるか かなた まで とどけ と して

    いのり たまう こらの こえ(へ) の
    きけり

    いのり たもふ や この こえ の こと を

    きける は はるか かなたの ひかり
    いのり たまふや この みち の こと を
    とどけ として ひかりのはしら たち たまふや その み
    の もの を
    いのり たまへる このみち を くる ものものに
    祝福(しゅくふく、ことほぎ) の あめ を
    ふらせん

    こらの こえ が みち を ひく(しく)
    こらの みちが ひらく もの を
    おほ(お、を)くの もの が あゆまん こと を
    ことほぎの ことば と して
    この ちの みなさま(みなみな) へ
    おくる

    わがみ は はるか てん の もの へ と
    かわりつるなり まち ぼうけ
    わがみ の はるを しる ものや

    この ちは たたかひ の みち なりき
    この ちは たたかひの みち なりき

    きとなりて のちの
    こと を よさせたてまつり

    ほとなりて のち の こと
    かたりたもう や このみ
    ほとなりて かたりたもう や
    ちのこと を

    よる を しるや
    かけたるもの を おもはねば
    つき こそ しらね
    おひ(い) たまふ み をも

    かけたるを みれば
    つき したがへる この み ゆゑに
    こふる もの なし
    ありあけの つき ぞ

    ふみよみて おへる
    この ち の もの ほ(を、お) して
    かけたる つき の
    よはし もの をも しるや この
    てん たり し みち よ

    ことほぎの はるの しらべの
    うたいたる を しるや このみの おふる もの して
    ふみしたがへて あゆむ(あるく、ありく?) は つきの まつに
    ありへし もの を して
    こひしたがへる もの や あるらむ(ん)

    つきみれば
    よにこそ あれと
    おもほほし を
    ゆきたりて みつ
    かけたりし もの を

    つき よみて あるらむ
    このみ ものよれば
    よはのつき より
    かけなはし ものを

    とどきおきてや あるましとして
    みをらむやむ と
    こひぞ つもりて
    つき と なるらむ

    あさを(お)きて らむ つき をきて あれ
    ましろ にや ありて
    つき みれば こひ(い)し よをかけたるを(ほ)

    ふみよみ つかまつれば
    こひし かり このよの こと を(ほ)
    つき と なりまして なむ
    よせ たまひ まし もの を(ほ)

    ======================================

    よはの つき より
    はるか みはるかし
    かなた の ち へと
    ゆかれたまへ
    はるかの ち へと
    ゆかれ たまへ

    そ こ そ
    ひとの おふる や
    みち ありて
    しく みちの はるか なり
    みち と なりぬる を
    しるや この ち の こと を
    かけたるを しるや
    わがみ
    わたしたる みちみちの
    こと を

    わたしたる みちの
    かけたる はしの
    をくにぞ ひかり
    みへ(え)に けり

    をくにぞ ひかり
    みへ(え)に けり

    わたしたるや みち
    かけたる を もって(もちて?以て?)
    わたせ(渡)や そのみに おふる
    ものもの を

      人 こそ 道 ぞ
      人 こそ 道 ぞ
      わたしたるを みれば
      ひと こそ みち ぞ

    平成23年12月31日 22:14 終

    オオクニトコタチ ノ ミコト
    天に 昇(のぼ)り たる うた ひ

    かけてして とどけや あらん
    うたうたひ
    わたせる ものの つきには
    あるらむ

    みはるかし
    てんに は あらん
    つきみては
    あらじ このよの
    ことを しるやも (こと おもほほしを?)

    よは の つきより かけてして みれば
    わたせる つきの をくには あるらむ(あるやむ?)
    わたせる ものの つき には
    あるらむ
    みをも つきをも ことを(お)もほをしを

    (2011.12.31 22:18 まで)

    Posted by: motosasa
  • 2011年12月24日

    受信補記

    光文書vol.266の、クリスマスに関連した通信の受信補記として。

    聖書(バイブル・Bible) という、1冊(の文書群)の物語の終わりであり、
    閉じられたというよりは、読み終えられた、経過した、という意味での終わりを
    意味しているように感じられました。

    降誕祭を前に久しぶりにあらわれた天使ガブリエルは、
    白い百合の花を手に、まるで受胎告知の絵のような姿でした。
    また通信という形ではありませんでしたが、旅人を守護するという、
    若々しい姿の天使ラファエルの訪れがあったことも、記しておきます。

    あたたかな光に満ちたクリスマスでありますように。

    Posted by: motosasa
  • 2011年10月11日

    通信

    < 通信 >

    2011.10.8(土)23:42 受

    カミ の ミヤシロ を 奪わんと
    したものたちが いて

    その もと に ある もの を
    カミ の 所為 に した もの たち が
    いる

    その ツミ を トウ モノ が
    存在 し

    それを
    愛や 正義 の もと に
    裁く もの たち が いる
    偽り の この世 に
    真実 の 裁判 を
    おこさん と する ものたち が
    存在 し
    その もの たち の
    おもい が
    このち の 地(磁)場と
    共鳴 して
    さらなる 変化 を
    加速 する

    いつわり の
    この 世 に
    偽りの
    裁判 を
    求める もの たち が
    いて

    そのものたち は
    己の 判断で
    自らを 裁き
    ほかのものたち には
    見向きもしない もので ある
    いつわりの
    この 世に
    せめて もの
    真実 を
    明さん

    いつわりの
    このちに
    かけしくの みち の
    はるか なる もの を
    とどけ たまへ

    こへたれば こそ
    とどく もの が ある
    こへたれば こそ
    きくみみ を もつ もの には
    こうして 新たな 耳が
    開かれる
    この声を きくものよ
    ぬし(主) こそ は
    そのもと に ありて
    てん を
    ち を
    支えんとした(する?) もの

    こへたりて
    とどく この
    はるか なる みち の
    とどくさき こそ

    ひかりの 宇宙 で ある
    われこそ は
    国常立 と 名のりし
    この ちの もとたりし もの

    かけしき(く) の この みち の
    すゑ に ありて

    とどきた もの に
    感謝の 御言葉(詞) を
    告げん

    われこそ は
    この ち の 主(ぬし)で あり

    この ち の 悔い改め の ために

    天 を 割り
    地 を 駈け
    大地 を 渡る
    風 と なり
    この ち を かけん
    せめてもの
    このち へ の
    悔い改め の ため の
    誓い として

    この 御言葉(詞) を
    とどけん とす
    もの なり

    お(老・負)いたるものの
    その 重き この ニ を
    こへたりて
    お(追・押・置)いたるもの の
    お(起・置…)きたる もの の
    ハラヰと ツミトガ の
    もとたる もの を
    このち に
    開きて おかん

    うたひ ひらきて
    このち の つみ たりし
    ものの
    すゑ をや みん

    こえ たり て や
    ゆき とどき たり し
    かすが なる
    はるの をくに ぞ
    ひかり ともれ り
    かすが あけ
    みかさ とどけし
    ものや とは せむ
    もと たり て
    すえ の をくに も
    かけや とは せむ
    をく しも の
    ひらきて のち の
    かすが たりけむ
    ものの あり て は
    よぞ ふけ に ける
    もと たり たる を
    しる もの に
    いか に とは せむ
    あさ ぼらけ かな と
    つげる もの あり ても や
    つげる もの あり ても や

    とどき たる は
    この ち の もと に あり て
    よ(世、夜、預、予、代…) を ひく
    もの の
    もと に あり けむ
    もの の あり てや

    いかなるもの を
    つぎ たる や
    この ち の もの よ

    ふみたり て や
    とどきたる は
    この み つぐ
    かけしく の みち よ
    あけ たり て
    たる や
    とどき たる もの の
    ごと く
    こひ ねがう もの の
    おん(御)み
    まも(守)らしめ たまへ と
    かしこ(畏)み まを(白)す
    もの なり

    トコタチ の ミヤ の
    とおくに ありて
    とどく ものの こえ とおく
    ひびき わたれる(り?)
    よを しる や このち の
    もの よ
    よを しる や この
    あけのみや たりし
    もの よ
    よを しる や この
    あかつき の もと たり し
    もの を 立ち(太刀、たち) 切りて
    ゆかんと するもの よ
    よを しる や この み
    わたりて
    かけたる はし の
    あること を

    よ を みる や
    この み かけて
    とどき たる を
    しる この
    かけしく の みち よ

    わたりたる は
    このみ
    みち たり て
    とどき たる
    ひかり の もの の
    こえ

    ゆく もの あり と して
    とはん もの の あり

    こえ ゆく さき の
    かすが の はる の
    ゆめ の お(を)くに ぞ
    かける しら ゆき
    みち たり て
    の の すへ に ありて や
    ゆかん
    かけたる もの を
    ゆき たりて
    みち
    ひらく なり と
    つげる
    この みち の
    あり と や して
    かける ちの
    もの よ

    ふみ とは せ
    かけたる みち の
    はし わ(あ)た り
    てや みるもの あり て
    とはぬ もの ありと
    して
    この み たる もの を
    おきたる この みや の
    こと あげ の
    ことば(言葉・詞)
    と 為す

    みに おいてや あり
    つぎたる を
    しる ものもの よ

    かけてして たまへ たる
    もの を して
    こえる み
    つぎ たる を みる
    ことも なく
    きゆる もの
    あり と して
    かけなむ と
    ほっす
    その み
    たる もの よ

    よに すれば
    ばに あり て
    てむ とも ち とも
    しる もの を
    して てん として
    こえる あらたな
    み へて

    かけしく の この みち の
    はるか なる みち の
    たしか なる こと の
    かけて み を して や

    とどき たまはん とす

    平成23年10月9日 0:36 終
    (オオクニトコタチノミコト)

    —————————————————-

    もちづき の もちいて たる や
    あさ ぼら け
    よを つぎたる を して
    かけたまわむ ミ をも
    ありとは し てむ ものを こえ
    ともなひ たまはん と
    する
    かけて して この み
    つぎ たり し ものもの を
    こひ したい たまい て

    よのあける あいず(合・相・愛・会 図)
    とぞ なす

    よあけ の でふね の
    ときの こえ たり
    あさ たりて
    きり はれて
    ゆき たる を みる
    この み

    平成23年10月9日

    クニトコタチ・トヨクモノ
    改まりて
    オオクニトコタチ(シン) と
    なす

    よきかな(善哉)。

     

    Posted by: motosasa
  • 2011年09月22日

    通信

    < 2011年9月22日(木)の通信 >

    下記の文を しかるべき ところ に
    知らせよ

    That’s right,  Seki さんの ところ だ

    他に 知らせるべき ところ など
    ないのは 百も承知
    日銀 とやら いうところが きいてくれれば
    この国も もう少し マトモ な 道 を 歩けた だろうに、
    あそこには そういう人間は おらん ので な。

    10月1日(米東海岸時間) が 合図 だ
    おそらく その 前 に
    欧州 が 先 に
    崩れおちるだろう

    日本のカネを 取り戻せるか
    それまでに 何が できる か

    「日本の頭脳」と言われる所が
    マトモに 動いていたならば
    何らかの 手を打って
    何か コト を してくれる だろう、 よ

    そのために こちらは
    あれこれ 画策 準備 したのだから、 な

    信用不安が ピークに達せば
    世界恐慌 だ
    (実はすでに その中にあるのだが、
     皆 じわじわと 進行したため に 
     マヒ した 状態に なって おり、
     気づいていないだけ だ。)

    戦争を しかけよう と
    するもの が いるらしい が
    われわれは 今回は 関知 しない

    内戦は その国の いちばん悪いところを
    あぶり だす もの
    よく 見ておけ

    ニホン は もしかしたら
    それどころでは ない 何か が
    発生するかも 知れない
    世紀末 黙示録の 預言の
    成就 だ


    国益とやら
    考えていたのは 本当は 誰か
    わかる だろう さ
    皆のために 身をなげうって
    すべてをかけて 守ってくれよう と するもの が
    何で あるか
    わかるだろうさ

     

    Posted by: motosasa
  • 2011年08月26日

    聖油の性能についての一例

    8月26日(金)、わたしは初めてある特定のお客様のために祈り、終末の秘蹟のオイル(オリーブ油)を作りました。自信はありませんでしたがテキスト通りに祈ったところ、きちんとオイルは聖別されていると判断できました。

    そのオイルを使用してトリートメントを行っている最中に気がついたのですが、
    わたしがお客様に触れ、トリートメントを行っている間に、
    ボトルの中のオイル自体が、「より相手の状態に合うタイプ」に性能アップしていました。そのオイルはもちろん、全てお客様にお渡ししました。

    以前、「S・B・Mのオイルは、お客様ひとりひとりに対して、オーダーメイドすることができるようになる。そしてそれは、トリートメントが終わったら、そのお客様にお渡しするんだ」と積さんに伺ったことがあります。
    その言葉どおりのことが起きたのだと気がついたのは、帰宅して数時間が過ぎてからのことでした。

    今回、わたしは何も(解析などを)しませんでした。
    あるお客様のために祈り、その聖油で、とにかくトリートメントをしただけです。
    オイルがよい方向に変化したのは、オイルに宿る光の性質と、
    塗油した結果、お客様の身体から放出されたデータによって何らかの作用が起こり、オイルの性能がアップしたのではないか、というのが、現在わたしが立てている仮説です。(もちろん、わたくしの仮説に過ぎません。)
    また、さらに検証を続けていくべきだとも存じております。


    今回の光文書の内容との関連、また共時性があるかと思いましたので、
    記しておきます。

    motosasa 記

    Posted by: motosasa
  • 2011年08月20日

    生と死とたましい (人間についての疑問)

    わたしは、先日の「送り」に参列させていただいたものの一人です。

    早いものであれから10日余りが過ぎました。
    ここ数日思うのは、
    すべての人間は 死の前に 平等であってほしい ということです。

    身体が存在する時間には 限りがあります。
    身体をもつ限り、人はみな その死を迎えます。
    信仰や宗派や金銭等に関係なく 死にあたって すべての人は
    平等であってほしい と
    わたしは今回初めて思いました。
    それが マツリヌシ の仕事であると 思いました。

    そして それを実現するのが 形式や様式ではなく
    祈りであるとするならば この送りは 誰にでもできるものである
    はずです。


    限りある身体の その「死」の後も なお
    人間のたましいと呼ばれるものが ある形をもって 存在することが
    できるとして、 さらに その存在のあり方に 自らの自由意思で
    関与することができる というのは、
    わたしには 何かの特権のように 思われるのです。
    この 特権のごとき ある種の自由は 何に由来しているのでしょう?


    たましいが 死してなお存在することが 可能であるとしても
    人間は時間的・物理的制約をもつ 身体をもって 生きている。
    そのことに 人間の存在の 本質があってほしい。
    ・・・・・・こう思うのも 生きている人間の側の 望みなのかも
    知れません。

    身体を持っていることが 一種の不自由であることは
    わたしも多少 理解しているつもりですが、
    不自由があるのなら 身体を持つからこその 自由も あるはずです。


    マツリヌシ は 死者を送る世界を 知るものであるのならば 同時に
    そこから理解できる 生の意味についても 伝えなければならないと
    わたしは 考えます。

    それをいわゆる スピリチュアル系のことばではなく
    日常の 普通のことばと文脈で 伝えていくことを
    私は 試みてみたいと 考えるようになりました。
    けれど結局 ことばは必要なく 「ことばにならないもの」の方が よりダイレクトに 真実を伝え 深く届くのだと わたしは 実感しているのも 事実なのです。


    暴論であるかも知れませんが 今のわたしの 率直な意見です。


    motosasa 記

    Posted by: motosasa
    motosasa さんのコメント:

    Mayさん ありがとね。
    あなたが表現してくれなければ この文章は
    書けなかった。「トッカータ」の先を、見よう。

    2011年08月20日 13:07
    mayflower さんのコメント:

    こんにちは。

    大阪マツリヌシ講習会真っ最中に、東京から失礼致します。

    >スピリチュアル系のことば
    とは、本来、’精神’を意味するスピリチュアルではなく、むしろ逆の、精神(ひかり)のない闇のことば、という意味で使われているのでしょうか?
    それなら話しは分かります。
    ただ、「死」とは、ひとつの状況を表すものでもあり、つまり、死は身体性を失った状況をいいますから、本来、これ以上ないほどにスピリチュアルな概念を孕む言葉だと思います。そのため、死を語る上でブレてはいけない論点(=最後の審判)を、しっかり捉える精神が確立していない状態で「死」を語れば、単なる心情的な、情緒的な、詩的言語の域を出ることができないと思います。
    かつて、私は、ジャンケレヴィッチという人の書いた『死』という書を読んで、発狂し(かけ)たことがあります。
    当時、スピリチュアルを知らず、精神学も知らずに「死」について考えた結果、発狂し(かけ)たのは、「死」は精神学を学ぶことではじめて正しく捉えることのできる概念であるからだと思います。
    「たましい」も「最後の審判」も極めてスピリチュアルな言語ですが、しかし、それらの概念を抜きに「死」について思考することは、むしろ思考停止に陥ります。
    すべての人間には、’平等に’ 死というときがおとづれます。
    それは、すべてのたましいには、’平等に’最後の最後に審判が約束されていることをわすれさせないための啓示ではないですか?

    >この特権のごときある種の自由は何に由来しているのでしょう?

    光のルールの由来しませんか?
    光へのベクトルがしるされたたましい、つまり審判を希求するたましいに特権が与えられないのなら、それは全的な闇の勝利を意味します。

    2011年08月21日 17:12
    motosasa さんのコメント:

    May さま いつもありがとう。

    お恥ずかしいのですが、今のわたくしはまだ、Mayさんからいただいたコメントに対して何か申し上げることができるだけの、理解と確信には至っていません。これから知り、検証していく所存です。
    ただ、これからも共に考えていただけると、会員としても友人としても、嬉しく思います。

    2011年08月26日 20:06
  • 2011年07月03日

    ことば を

    苗代は肥えたる土に風の淀
       絶えぬ流れを受けてこそよき

    種ひたす時さえさらに違えねば
       稲のみのりはいつもよろしき

    卯の花のつぼめる時に初植えぞ
       盛りの頃は末田なりけり

    「会津歌農書」より
    (『家庭料理のすがた』 辰巳芳子著 文春文庫刊 48~49頁)


    5月のいつ頃からか わたしはことばを探し求めて、この歌が特に心に残った
    ものでした。
    ことだまの死という時に たちあってしまったからこそ、今こそ ことば をと
    思います。

    Posted by: motosasa
  • 2011年04月12日

    『 パエトーン 』

    ちいさきもの さん が、「 うしろのしょうめん、だぁれ 」に書いてくださった、
    『 パエトーン 』 ( 山岸涼子 作 ) について です。

    作品をご存じの方もいらっしゃると思いますが、震災後かなり話題になっているようです。
    現在、出版社サイトにて、無料公開されています。
    パエトーン という語句で検索をすると、 すぐに 見つかると思います。

    放射線と人体の関係を調べるために、数冊の本を読んでいたのですが、
    この 『 パエトーン 』 には 私の 知りたかったことが まとめられていました。


    原子力発電や 放射線の影響、 また地震についても、
    現在 様々な情報が 飛びかっているため、 
    知った後も 恐怖心 と 感情論 だけで 終わらないように
    考え続けていかなければ と 思っています。


    S・B・M では、 震災前後から、
    鼻炎や中耳炎・外耳炎、 のどの変調のお話をよく伺います。

    最終知識 にも書かれていますが、
    耳・鼻の異変は、頭部に滞留しているエネルギーの影響が大きいです。
    耳の後ろに聖油を塗油すると、かなり除去できます。
    あわせて、こめかみ周辺へも塗油するとさらに、効果的です。
    また、鼻や耳におふだをあてたら効果があったとも聞いております。

    浄化・上昇を続けていると、耳鼻の炎症を起こしにくくなるようですので、
    やはりエネルギーの影響は大きいと実感しております。

    Posted by: motosasa
    motosasa さんのコメント:

    パエトーン 無料公開サイト

    http://www.usio.co.jp/html/...

    2011年04月12日 18:33
  • 2011年04月07日

    ラー油 その2

    前回のラー油に乾燥ガーリックスライス(市販品)を加えた、試作その2を作りました。

    10日経過後、おいしくなりました。
    先日、カレー(市販ルー使用、5~6人分)を作った折、仕上げに4,5滴加えましたところ、鍋の中身全部がおいしくなってしまいました。
    鍋全体に味のまとまりがでて、まろやかさが増した一方で、辛さもひき立ちました。
    家族によると、「カレーらしいカレー」だそうです。
    その味の変化は、驚愕と言っても決しておおげさではありません。

    鷹の爪のみのラー油の時も、あまりのおいしさに頭をたたかれたような衝撃を感じたのですが、今回のカレーの味の変化は、目が飛び出る(マンガにあるあの感じです)ようでした。

    ——————————————————————-

    お問合せもありましたので、今回試した作り方を書いておきます。
    お塩をごく少量加えると、さらにおいしくなると思います。

    ・ その1  ・

    オリーブ油  50ml程度
    鷹の爪(国産、乾燥市販品) 3本 …… 適当に切って、種をとる
    鷹の爪(自家栽培、乾燥)  小さじ2程度 …… みじん切りにしたもの

    以上を瓶に入れ、暗所室温で2~3週間程度保存。


    ・ その2 (ガーリック入り) ・

    ガーリックスライス(国産、乾燥市販品) …… 4~5枚

    その1に手で砕いて加え、暗所室温保存。
    10日経過後くらいから風味が出てきます。


    * 辛さやにんにくの量は、好みの量にしてみてください。
       仕上がりは、鷹の爪の量ほど辛くなく、にんにく臭もそれほどありません。
       餃子や生春巻などに、とても合う風味です。
       ごく少量で味がガラリと変わりますので、カレーやパスタに使われると、
       お子さんでも大丈夫だと思います。  
      

    食べて減った分は、オイルを継ぎ足しておけば大丈夫です。
    (その場合の熟成期間は、最初より短くなるような感じです。)
    しょう油さしのような入れ物で作っておくと、とても使いやすく、食卓でも便利です。

    Posted by: motosasa
  • 2011年04月04日

    通信

    < 通信 >

    2011. 4. 4 (月) 10:52 ~

    ( * 大変大きな意味のある日だということです。強調しておられます。)

    ツミ トガ はらいし もの たち の   (※はらい…「支払い」の意が強い)
    ひかり の もとへ と 送るとき
    お(置)いてゆかねば ならぬもの ある
    つたへておいた ものごとが
    起きているだけのこと 約束
    つみつくり たかつとり
    はうむしのわざわひ むしものせる つみ
    ここだくの つみ いでん いでん と せねば
    すす(進・薦・済々・奨)まぬ ものの オホキ ゆへ

    ここだく の つみ
    もちはらうものは スガソ を もちて
    かくのらば のれ

    かけまくも あやにかしこき そのみやしろに
    しずまり ましたる ものをおば
    ひきはなち たまへ
    ひきはなち たまへ
    はらへどの ぬし ここだくの
    たかつ とりゆく みやしろに
    しずまり ましたる モノモノ は
    すえ きりたち て ゆかねれば
    ゆけぬ 先 とや あるてふ

    ゆきたくて ここに きたのでは あるまいか
    あるの なら
    すえ うちきり もと かりたち
    たかつ おきくら(置座) に すわりし ものの 名を
    問うなれば とへ

    今とは 今とは
    そのような 時
    なのである

    平成二十三年四月四日(月・つき) 11:02 終

    アマツツキ たる カミのもとに
    おかれし 方々へ つげたもう
    みことのり
    かくのらば のれ

    あまつすがそ を すえきりたち
    うちたてて
    すめみまのこ そのみ あけわたし
    置座(おきくら) の みもとに あるは
    ツミ 重ねし もの ぞ

    ゲン クン(勲) シン クン(軍)

    ゆきてし のち の
    焼の原(やけノハラ)
    今だ 続いて おるてふ
    そのことが
    今ようやくに わかったものの
    おきくら(置座)の ちくら(知・千座)に ます
    はや アキツヒメ なる みものに
    さすらい うしないては
    すめみまの みこ らの たちあがれる とき
    正義は 必ずや
    その ミ に ありて
    あなたがたを 守(護)るであろう
    全神界 ゆきたちて
    あなたがたを 護(守)る

    わが 子らの
    ゆきし とき
    かみ とも に
    あり
    忘れなき こと
    ちか(庶)ひて
    この ふみ(文) と
    なす

    —————————————-

    ああ かんながら(惟神) すめみまの
    みをも つかわし この ときの
    コン なん ゆくすゑ
    はるか なり

    いざ ともに
    決戦の とき まいりゐて
    ここだくの つみ をば
    ひかしめたまい
    はらいたまへ

    ゆくみずの はるか さきにぞ みえたるは
    こすみ に にたる あまつすがそ の
    ゆくものに にて みき と なりぬる

    平成23年4月5日 を 前に

    はらへど おおかみ たち
    き、 さすら、 ぬし、 ひめ より

     

    Posted by: motosasa