未来へ進むと
過去に出会う
そして・・・
トラウマに突き当たると
思考がストップしてた
トラウマの向うに
自分の罪がいっぱい見えた
そして標的を「失敗」に向けていた
決して行くつもりはないのに
さよなら
突破口は小さな満足感
私は義母の
保護者であること
私があるデザインスタジオに勤めていた時のこと。
私はセツの夜間に通っていて、洋品店に務めていたが、「絵の仕事をやれ」と解雇を言い渡された。その頃は転職雑誌の盛んな頃で、「マック教えます」のうたい文句に惹かれ、面接を受け採用された。
杉並区から千葉方面まで一時間半かけて通い、出勤は九時半だっただろうか。帰りは夜中の十二時過ぎてからまた一時間半かけて帰る。帰りの電車の中は、酔っ払いか夜の商売の人しかいない。私はマックを教わりたいから、平気で残業していた。私を教える人もその分、自分の時間を削って残業することになる。タイムカードを押してから、教えてくれたりした。
一番の私のダメなところは、負んぶに抱っこの性格だった。マックは、なかなか覚えられなかった。
社長の経営がうまいせいか、この業界では珍しく残業手当があった。
イラストも一日中描けて、その会社は天国のように思えた。
しかし、すぐどんな会社なのかが分かった。
私と同じぐらいのデザイナーの男性が、社長の説教を食らっていたのだ。朝からみんなの前でたった一人を長い時間ボロクソに怒る。
怒られる人はだいたい胸が凹んで猫背で痩せている。お人よしで性格がいい。気が短かったらとっくに辞めている。辞められない事情があるのだ。
他の人たちも神妙な顔をして、自分も怒られているようにうな垂れる。それで気を引き締めるのだ。
しかし、嵐が去るとみんなは羽を伸ばしたように仲良く仕事をする。そして社長の陰口をたたく。
「この会社の雰囲気悪いよね」
お金は得るが、ここで長く働きたくはないとみんな思う。しかし、条件のいいクリエィティブな仕事はなかなかない。
「あなたがいるお蔭で助かった~」
その人がいてくれるお蔭で、みんなが怒られないで済むからだ。社長は、その人を叱っても辞めないだろうと踏んでいたのだ。社長の説教が終わったらその人も普通にみんなと話をする。決して仲間外れにされない。
その人は、フリーで頑張っていたけれど、時代の流れでマックを買い、百二十万円ぐらい掛かったと言っていた。一人、家で説明書を見ながらやるには、収入が少ないので働きに出た。長年フリーで頑張って来ているので、デザインの実力は確かだ。
その点私は、デザイナーとしては一年も満たないし、イラストしか興味がなかったから、デザインのことは詳しくない中明朝だか、太明朝だか見ても区別がつかない。おまけにマックがさっぱりできない。
社長はイラストレーターだった。仕事で嫌という程イラストを描いてもう見るのも嫌になったそうなのだ。その証拠に社長のイラストの下書きは適格で、私のよりも描き慣れていた。
ある日、イラストの一番の上達法を教えられた。
「イラスト集とかがあるだろう。それを見ながらトレッシングペーパーに同じ大きさにマネして描くんだ。そしてトレッシングペーパーを元のイラストに当ててみるんだ。そしたら自分の間違いが分かる」
私は、その方法に賛同しかねた。そんなことをしたら絵を描くのが嫌になると思った。
一日中イラストを描いて、給料が貰える、やっとやりたい仕事につけたと喜んだのも束の間、二番手の女性に解雇を言い渡された。その女性の独断だと思ったが、社長の意志だった。
「面接で入社する人がいるが、イラストレーターも雇った。若い子でね」と告げられた。
要らないのは、私の方だった。
私のやる仕事の割に残業代が高くついたのだ。
「マック教えます」は、求人雑誌には本当にいいキャッチコピーだ。
この前も後も、たった一人の犠牲者を盾にして、その他大勢にそのトバッチリが行かないようになったことがたくさんあった。
私の悲劇は、このたった一人の犠牲者が私が多かったことだ。
ひどい時には、その他大勢すらその犠牲者を一緒になってやっつける。誰も庇ってくれない。
そんな目に遭った一番古い記憶は、小学校の時に遡る。
私の担任だった先生が弟の担任になり、弟は目の敵にされ、学校の帰りに遊び仲間と一緒によその畑でみかんを盗んだ。
先生は、グループにもかかわらず弟だけを犯人にし、あろうことか、姉の私を呼び出した。
弟のクラスの中で姉の私が代わりに説教を食らったのだ。
もう一度やったとかで、今度は放送で呼び出され、また弟のクラスのみんなの前でコンコンと説教を食らった。
その遠い原因は、私のクラスの担任だった時、私の家の印鑑を先生が失くしたことがあることではないかと思う。私は、印鑑を持って行く時、机にある出席簿の上にそっと置いた。先生には声をかけなかった気がする。想像だが、だから先生は失くした。もちろん兄弟で苗字が違ったり、母子家庭でややこしい書類や手続きがあった。
それにしてもそのことを思い出すだけでも、悲しい思いをするのだ。別の考えや私の落ち度も考えつかなかった。
今でも、通らなかった分、自分の主張を曲げない所があることも自分でも分かっていて、反省することしきりなのだけど。成長がそこで止まってしまったのも確かだ。自分が正しいは逆さまだってことの意味もやっと腑に落ちた。そしてそれは癒されてから解けはじめるのだと思う。
今、言えることは、たった一人の(運の悪い)犠牲者を見て見ぬ振りしないで皆で庇うようになったら、世の中がガラリと変わるだろうなと思えたことだ。
なぜ私たちでなくあなたが?
あなたは代わって下さったのだ
代わって人としてあらゆるものを奪われ
地獄の責苦(せめく)を悩みぬいて下さったのだ
ゆるして下さい らいの人よ
「無菌地帯」(大竹章:著、草土文化)より
「一人は万人のために、万人は一人のために」
一人は万人のためにの意味は誰でもよく分かっていたりする。でも、万人は一人のためにの意味が私にはよく分からなかった。
そうか、このことかと腑に落ちた。
他人事として、切り捨てていたこと。
次の日、テレビを見た。米軍基地の沖縄の人たち。
沖縄の決起集会が日本全土のデモだったらアメリカ軍を追い出せるんだろうなと思えた。
この前、佐藤優著の「3・11クライシス」という本をちらっと見て、正しい者が罪を着せられて捕まったんだと理解した。少数派は切り捨てられるのだ。
また、伊集院静著の「いねむり先生」も読むつもりだ。人生の最悪期にきちんと誰かが面倒を見てくれる。その時だけでいい、雄々しく立ち直れる人なのだから。
最近の私の楽しみは、お気に入りのテレビドラマを見ること。
それも、昼間のテレビを観る習慣がこの前までなかったから、よく噂で耳にしたのを一回でもいいから観てみることにした。
その中でいたく気に入ったのが、「のだめカンタービレ」で、芸術を表現する俳優の芝居のうまさに感動した。
それが終わったら、今度は「相棒」となった。
主役のキャラもさることながら、脚本がうまいなと思ったら。何人もの作品であることを知った。
そしたら、私は見始めたら最後まで見なきゃ済まない性格なのを改めて実感した。
レンタルCDも五枚で千円なら、初日に全部観てしまう。
小学校の頃も、ロードショーを、眠い目をこすり最後まで観ていた。
不思議とストーリー展開が読めたり…。
本当に面白い作品に出合ったら、後引いて、笑みが出て来る。日々の楽しみがこういうのもありかなと思う。
最近は、義母を月の半分、ショートスティに預けて、半分家で看ている。
家の私の料理は、少々ワンパターン化して、よく残す。だから家にいるとだんだん歩けなくなって、痩せてくる。それで預けると、ふっくらして帰って来る。
やはり「歩かせて貰えない」のと「追い出される」感覚が好きではないらしい。
でも、半分楽しないと疲れて歩けなくなるのだ。説明しても理解がだんだん難しくなる。
ゴールデンウィークに合わせて預けた。
「一日ぐらいは草津で泊まりたい」と旦那の要望で当日電話を掛けまわった。私は電話の向こうの感じで民宿に決定した。ホテルだと、若くてそつのなさそうなのより、心のこもったおじさんの一声に人間味を感じたのだ。
結果は大当たりで、部屋は掃除の行き届いた広めだったし、食堂には薪ストーブが燃えていた。料理は、おいしい家庭料理でほどよい量だった。
宿の主が「草津の湯」について力説していた。
「草津の湯は殺菌力がものすごい、草津の温泉に浸けると病原菌なんかも十秒で死滅する。擦り傷もすぐ乾いてカサブタができる。それに草津には○○がない、それは何か?」
クイズまで出していた。
「眼医者」
旦那が答える。
「そう、眼科がないんです。つまり、湯気に当たっていると目が悪くならない」
「へぇ~」
食堂全体がそんな雰囲気になった。
そう言えば、昼に賽の河原温泉で旦那が駐車場の鎖をまたごうとして引っ掛かって、転んでできた膝小僧の生傷はいっきにカサブタが出来上がっていた。
「それを見るために、転んでケガしたんだよ、きっと」
「そういう考え方もあるよね」
旦那の取材中、私は車の中で上昇をしていた。目を閉じると真っ赤で、お湯につかっている時は、ちゃんとできたのだがなかなか上昇できない。赤や、赤黒い時は引き込まれるから気をつけた方がいいと聞いていた。これでは進めないので、積さんに問い合わせた。
「なんで私がこんな目に遭うのって日本中がなっている」
赤でも恐れずに上昇しなさい。そのうちに白になるということだった。
そうか、私はその度に中断していたなと悲しい。
その後、地区の運動会があって、予定になかったのに、急きょ一種目出る羽目になった。六十過ぎのおじさんたちはことのほか健脚で、日ごろの運動不足の私のみが転んだ。ゴールを見てしまうと足が止まる気がする。
旦那と同じように今度は、私が膝を擦りむいた。
「草津の湯の花、買えばよかったな~」と言っても昔の円錐の湯の花は売ってなくて、高かったから諦めたのだ。
それで、最新式の防水のバンドエイドを買った。密閉させて体液の自然治癒力を利用するものだ。治りが不思議に早い気がする。
ものごとの観念て、こういう風に一足飛びにかわってしまうのだ。
私はこの連休中に主人と遠出した。
100年以上も昔に、浅間山の噴火が引き起こした悲劇があった。
高台の観音堂に逃げた人たちだけが助かったのだ。
3月の地震と津波のあとだけに、心なしか来館者が多かった。
その火山の記録を伝えるある資料館で、「5月10日は地質の日」のポスターを発見して私は、釘づけになった。
もしかして、国土や、ハザードマップを知ることはとっても重要ではないかと思えた。
自分の家が、過去どんな土地だったのかと図書館に古地図を見に来る人も多いことだし。
その昔話を今に伝える人が、観音堂の脇に毎日、お茶を接待してくれるのに驚いていた。
その生き残った被災者を大笹の大金持ちが雇って温泉を引く工事をしたそうだ。
移動して、静岡でも大金持ちが私財を投じて水害の多かった土地で、治水工事をやった書いてある碑があった。
昔のお金持ちってそういうことに私財を使っていたりするのだ。
久々に何回も見てしまうDVDに出会った。
「食堂かたつむり」
一日一組限定の予約制で、食堂バージョンのSBMだなと思った。
食べると幸せになる。
やはりそこには、祈りがあった。
私は仕事を辞めて、朝は旦那が出し、二度の義母の食事を作っている。その方が、ヘルパーさんに来てもらうよりも落ち着く。
基本、具だくさんのお味噌汁とごはんともう一品。あんまり出しても、食べない。
ショートスティから帰って来て不機嫌そうだった。(体が思うように動かなかったり、施設で車いすだけとか。自分で好きに歩かせてくれなかったり、家に帰る時、追い出すように車に乗せられるとこうだ)
基本、家がいいみたいだ。
でも、体がだんだんいうことをきかなくなるので、動かすこと自体が苦痛に見えるときがある。
次の日、茶色と白のまだらな頭を白髪染めをするのをやめて、カットすることにした。
「髪の毛切ろうか」
「うんと短く切っとくれ」
新聞紙を広げてケープを巻いて、カットすると上品な白髪になってご機嫌さんになった。ついでに、足湯をして、聖別された塩を入れた。足がむくんでいる。上にマッサージして、顔にローズのオイルを塗ると、されるがままになっている。
「ありがとうございます」
小さな声で言った。
やはり、女性だなと思う。
食堂かたつむり
私も知っています。
それから かもめ食堂
料理本のタイトルで
かえる食堂
なんだかとても、いとおしい名前です。
お義母様、きっと気持ちよかったのですね。
かもめ食堂も大好きでした。古いものでは、バクダットカフェ。
いとおしい言葉っていいですね。
人をまるごと、どっかへ連れてってくれますもん。
私がテレビを見ていると、それにかぶるように旦那が新聞などを読み上げる。
私は聖徳太子のような、いい耳を持っていないので、どちらかをチョイスしている。
そしてそれ以外をシャッターを下して、まったく聞いていないことが多い。
「で、なんだったっけ?」
と改めて聞いている。
そう言えば、私はよく聞き役になる。
旦那は富士山周辺へ行って帰って来ると、まことによくしゃべる。
後輩からでも「年上なんだけど、言い易い」とよく話を聞かされる。
「ラジオで聞いたんだけどね。とても優秀な介護福祉士がいてね。地震のあと、居てもたっても居られず、震災の地へボランティアへ行ってね」
「ふんふん」
「その人の言葉はすごくてね。(震災前から)寝たきりのお爺さんに向かって、『あなたは、立てるわよ。立ちなさい』って言ったらね、立って歩けたんだって!みんなびっくりしちゃって」
私は思わず、つぶやいた。
「イエスみたいな」
「言葉って力があるんだよ」
「うん」
とある商店のレシートを集めて、合計一万円分になったら、三角スピードくじを引ける抽選がある。私は旦那に任せている。当たると、大喜びをして、とってもリアクションが大きいのだ。私のように、当たってもはずれでも、「ああ」と、淡々としていては店の人も面白みがないだろう。
「ぜったい当たる」
そう言いながら旦那が箱の中から一つを取り出して、くじを開けると、「キムチ鍋のスープと干しうどん」が当たった。
これはさずがにすごいと思った。
「言葉には力があるんだよ」
「そうだね」
幾度となく、やってしまう。私のネガティブな言葉の響きにも、気を付けなければいけないなと思いました。
言葉のちからって、大きいですよね。
そのちからの強さや、意味を知ることって、きっと愛や勇気を知ることに近いのではないでしょうか。
そうですね。
震災後の日本人の動きを見ると、素晴らしいと感嘆しております。
東北の人は、感謝の言葉が多く、穏やかな人が多いなと驚きました。
私は、某ホテルの中のテナントでエステをやっている。
地震で、電車が動かず大量のキャンセル
つまり大量の空き部屋が出るのだが、
この空間が震災にあった人にあてられればと思ってしまう。
船で移動すれば、
一時期だけでも。
菓子折り
『うないっぱい』と言う、お菓子がある。ホテルのフロントの人が推薦してくれたジョークのようなお土産品だ。うなぎパイをもじったネーミングなのだ。味もどう違うのかわからない。
それを出勤してホテルに鍵をもらう時に、二つ購入した。二割引にしてくれた。
そのフロントの人とは、親しかったので「今日で、私は辞めることになりました。御世話になりました」と小声でご挨拶をした。その人の目がいたわりの眼差しになった。
朝礼が終わると、お二階のエステの人が話かけて来た。
「お仕事、いつまでですか?」
私が辞めるということをとうに知っている。
「今日まで…」
「まあ、お疲れさまでした。昼間、ヘルプの人が来てくれるんですって」
私の知らないうちに二階の人にまで、これからのことが広まっているのだ。
ホットキャビンにおしぼりや、丸パフや、チーフをいれてスイッチをオンにする。それ以外はお客さんが来るまで電源を入れない。今のご時世は節電だ。
ホテルのチェックイン時に、お客さまに『1000円引き券』を配って、今日したことを書き込む。
受付カウンターで本を読むのは禁止だが、人もいないので、東北関東大震災で亡くなられた方を光へ送る御言葉を何度も読み上げた。
しばらくしてお腹が空いたので、更衣室で、お弁当を食べることにした。
そこへ、エリア担当の人がやって来た。
私を面接して採用してくれた人だ。給料の明細を持って来た。開けると溜息の出るような額だった。
「やはり、辞めてよかったって思うよ」
相手も責めない。彼女ももうじき辞めるからだ。めまいや吐き気に悩まされている。
「会社、これからやばいですよ」
「私もそう思う」
拡大路線で、新店ラッシュをしたのに、震災で自粛ムードが広がって、計画停電でホテルのお客さんが激減した。
しばらくして、お二階のエステの人がうちに昼間にヘルプが来ることを知っていたと告げた。
「まあ、噂って早いね。でもヘルプをあちこちでいっぱい頼んでみたのよ、ヘルプに行ってもいいって人が出て、でもあの来月のシフト表を見ると、行かないって」
昼の十二時から夜の十時過ぎまでの長時間働いて、六時まではほとんど立っているだけだ。エステの実働はもっと夜が更けてからだ。
私のいなくなった、四月のシフト表は、二人ともフルで働かない。六時からしか働かないから、ヘルプよこせというシフト表を送って来たそうだ。
ひと目で「自分さえよければ他人はどうだっていい」という思考回路の人間だということがわかる。長時間労働は大変だが、働くなら平等にやるべきだ。誰が二人の自分勝手に付き合い、利用されたいだろう。
今日だって、本当は辞めた後に、私が、無料で出ているのだから。会社のために。
最後は惜しまれて辞めたかったが、二十代と四十代の二人に邪けんにされていた。
「これ、お菓子を渡そうかと思って買ったんだけど…」
「私だったら、出さないけどな」
「旦那も同じこと言うの、『お世話になりました』って、絶対言うな。言ったら負けだぞって」
でも、つい二箱買ってしまったのだ。
「じゃあ、お茶しよう」
私は、ハーブティを入れて、そのエリア担当とパイを二人で食べた。
富士宮は、二階が水浸しで、ガラスも割れて大変だったの。しばらく営業ができないのだ。
「私の知り合いのいわきのエステティシャンの話では、建物は大丈夫なのだけど、風評被害で当分閉鎖になり、みんなは『どうして会社から何も言って来ないのだろう。冷たいのね』って、さんざん言ってたの。その担当者、仙台に出張して一緒に避難して連絡が取れなかったんだって。わかったらみんな、な~んだって」
言葉は一人歩きをする。
私は箱を片付けて、バッグにしまった。
「これ、やっぱり旦那と食べることにする」
彼女は、笑った。
「モバイルのパソコンも携帯電話も会社に返すから」
エリア担当者は、プライベートの携帯番号を教えてくれた。いろいろ世間話もして、時間もなくなった。
「七月には、お店をオープンすると思う」
「また~」
「またね」
ニコニコして別れた。
やがて、五時近くなって、四十代の女性がやって来た。
着替えると、カウンターに立ち、私は連絡事項を伝えた。さっそく「もう帰っていいですよ~」と言う。10分も前で、私は居心地が悪い。
「じゃあトイレ」と言って、着替えた。
更衣室から出ると、習慣の「お疲れさ…」まで言い終わらないうちに
「じゃあ、お元気で」
私が笑顔で言ったので、相手は「ま」と言うのをひっこめた。
私は、とっとっと階段を下りた。
お二階のエステに、お菓子を持って挨拶にいったのだ。笑顔で。
たまたま男性の上司がいた。私はここで再就職を狙って、お菓子を渡したのではない。
うちの会員候補にそのうち誰かを誘うつもりだからだ。でも、どうも勘違いされている。
菓子折りも、お世話になりましたもなしで、旦那は、「それでいいんだ」と言った。
社会通念からしたら、外れている。でもどこか小気味いい。
そんなことぐらい自分で決められないのかと思うだろうが、私の方法で行くと、いつも同じことの繰り返しだった。支配する人と支配される人。私はいつも支配されてしまう。
人に親切にするのは、嬉しい。だけどいつの間にか、いいように利用されていることに気づくことがある。前世で、クリスチャンだったせいか、とことんボロボロになる。こんなひどい状況は自分が招いたのだから、自分の責任なのだけど、辛いのを消化しきれずに、闇をギュウギュウと押し込めてしまうことになる。
それでは、決して解消されない。
だから、いつでもリングが用意される。ボコボコにされる予感がある。
私はいつも、過去に理由があると思っていた。
「あの日、あの時、あの人が…」
でも、今、突き付けられているのだ。
「さあ、立って向いなさい」と。
喧嘩はしない、だけど、負けない知恵。ひらりとかわす術。
「ああ、流れ星が飛んで来たら、頭をよけるポーズ」昔、そんな絵を私は描いていたことを思い出した。
その日は、旦那の誕生日で、私のささやかで実用的な誕生日プレゼントを喜んでくれた。
ずっと前に、買って置いた米粉のリングケーキを泡だて器で卵白を角が立つまで混ぜ、オーブンで焼いた。
そして、停電用のろうそくを一本ケーキに差して、火をつけて電気を消した。
「フー」
二人でパチパチ手を叩いて、食べた。
「やっぱり買ったケーキよりもおいしい」
「うん、おいしい」
この感覚は、似たもの夫婦だと言える。
いわきの知り合いに、聖別した塩を送ろうかと思ったので、電話をかけてみた。
塩はいっぱい送られて、もういいそうだ。
次の日、また電話があって東京に職場を変えるそうだ。地震、津波、火災、放射能、風評被害、人間は、どれだけ耐えればいいのだろう。
「今は大変かも知れないけど、日本はきっと立ち直るから、いい国になるから。これをきっかけに、どれだけ多くのボランティアの人が立ち上がったことか」
「そおぉ?」
「うん!」
私は、自分でよく落ち込む癖に、どん底の人を慰めるのが好きだ。
次の日、あの人はどうなったか?気になる人がいた。
前の職場のホームセンターの人で、ちゃんと手順を踏んで辞表を出していて、私よりも先に退職するはずだった人だ。
私は研修の日程がもう迫っているからと、強引に辞めた。その人は、その部署がダメなら、他の部署にと変えられて、「はい」と返事をしてしまったのだ。
私の一番仲の良かった人に久しぶりに電話をかけて聞いてみると、「その人は、まだ辞められない」そうだ。その条件で引き受けたのだから、辞めたいのに辞められない。辞める理由が見つからないのだ。
優しい人は、操縦され易い。
「人はずいぶん、少なくなったわよ~、店の中を歩いて貰えばわかるけど…」
「私は、あれから買い物に行かないから、わからない」
この前、園芸用コーナーで、プランターと土を買っただけだ。
「お米も、乾電池も入荷したらすぐ、なくなるの」
どんどん、人を減らせて、仕事を増やして行く。その重荷に私はめげていた。
苛める人と苛められる人の構図が見えてくる。クッション役の人が転勤になると、やられる人が一人になって、集中砲撃される人。
やられる人は、「人がいい人」、「仕事ができない人」のようだ。
私はここで、たった四時間のパートでも、疲れ果てていた。
電話の彼女は、私と同い年で、とても私に親切にしてくれた。右も左もわからない時、そっと手助けしてくれた。
「辞める時にも、ちゃんとタイミングがあって、その機を逃したらなかなか辞められないのよ」
それは、私にも言える。
「また四月から、昼間に働かない?」と引き続き仕事を勧められたのだ。
きっぱりと断った。
昼間だけ働いても、エステはできないだろう。ただ、立っているだけだ。助けるつもりでも、あの二人には、感謝もされないだろう。ちょっと親切心で一か月だけとか働こうものなら、抜けられないのは目に見えていた。それでは、自分の店をオープンできない。
電話中に義母がキッチンを歩いてて、ドタッと大きな音がした。静かなので、「お母さん倒れたから切るね」一度電話を切った。仰向けになっているのを抱えて起こした。
「ありがとう」
まっすぐに立って、つかまる場所を見つけた。
それで、義母の場合はいいのだ。自分でなんとかしようとする。今は、ショートスティと在宅の半々で、いい感じだ。だんだん弱りながらも。
心配するから、また電話をかけて続きを話した。
「お母さん、大丈夫?」
「うん、大丈夫。でもやっぱり、辞めて良かったよ」
今の時間じゃあ、私はいなかったから。
ごはんも私が準備する。ヘルパーさんだと夕ご飯の時間が早くなる。
実は、この長時間労働が功を奏して、旦那の理解と協力を得られるきっかけになったのだから、『人間万事塞翁が馬』だ。会社には感謝している。
辞める時に、お菓子を置いて帰らなかった話をしたら、
「私なんか、以前の会社でね、さんざんおかしな使われ方をしてね、辞める時、『お世話になりました』って、菓子折りを渡したらね、私んちの玄関にそのまま返されたことがあったのよ。私の手紙をビリビリに破いてね」
「まあ」
彼女は普通にこう言った。ツワモノだ。
その上司に命令されて、配った人が後で謝ってくれたそうだ。
話は地震のことに移った。
「ホテルの支配人に、避難民をしばらく滞在させてあげたらどうかって、お手紙書いて置いて貰ったの。
そしたら『参考にさせていただきます』って言われたの。客数が激減したからね、今少し戻って来ているみたいで」支配人とはいえ、一存では決められないだろう。それから、市会議員とか、県会議員にも手紙や、メールを出してみたの。でも、選挙が近かったのよ。知事は、岩手へ行ってる。伊豆半島で一万二千人だか、千二百人だか忘れたけど、引き受けるってね。稲取ではもうやっている、一人三千円から五千円以内らしいけど」
ちなみに、「今回の災害も、自然災害に似せた兵器があるらしい」と言ってみたら、驚かなかった。
彼女は、ネットはやらないけど、今度、『最終知識を』貸してみようかと思う。
「私は、エステ辞めたの。でも自分のお店をオープンするかもね。そして、場を設けたいのよ。いろんな人が居るけど、いい人はきっと居るはずだから」
「うん、エステやって貰いたいよ」
静岡で二人目の会員候補だ。
これを書いている時に、二十代の女性から慌てた感じで電話がかかってきて、「今日の昼間時間がありますか?」と聞かれた。
「やることがあるから、行けない」と答えた。
その後、頭痛がひどかった。
いわきの人の最悪期に電話で感じた時よりももっとひどかった。さっぱりわからなかったエネルギーも感じられるようになったってことだ。このことは歓迎する。
弱くても、立たなくてはいけないのだ。
勝たなくてもいいから、負けないことだ。
2011年03月30日
菓子折り
『うないっぱい』と言う、お菓子がある。ホテルのフロントの人が推薦してくれたジョークのようなお土産品だ。うなぎパイをもじったネーミングなのだ。味もどう違うのかわからない。
それを出勤してホテルに鍵をもらう時に、二つ購入した。二割引にしてくれた。
そのフロントの人とは、親しかったので「今日で、私は辞めることになりました。御世話になりました」と小声でご挨拶をした。その人の目がいたわりの眼差しになった。
朝礼が終わると、お二階のエステの人が話かけて来た。
「お仕事、いつまでですか?」
私が辞めるということをとうに知っている。
「今日まで…」
「まあ、お疲れさまでした。昼間、ヘルプの人が来てくれるんですって」
私の知らないうちに二階の人にまで、これからのことが広まっているのだ。
ホットキャビンにおしぼりや、丸パフや、チーフをいれてスイッチをオンにする。それ以外はお客さんが来るまで電源を入れない。今のご時世は節電だ。
ホテルのチェックイン時に、お客さまに『1000円引き券』を配って、今日したことを書き込む。
受付カウンターで本を読むのは禁止だが、人もいないので、東北関東大震災で亡くなられた方を光へ送る御言葉を何度も読み上げた。
しばらくしてお腹が空いたので、更衣室で、お弁当を食べることにした。
そこへ、エリア担当の人がやって来た。
私を面接して採用してくれた人だ。給料の明細を持って来た。開けると溜息の出るような額だった。
「やはり、辞めてよかったって思うよ」
相手も責めない。彼女ももうじき辞めるからだ。めまいや吐き気に悩まされている。
「会社、これからやばいですよ」
「私もそう思う」
拡大路線で、新店ラッシュをしたのに、震災で自粛ムードが広がって、計画停電でホテルのお客さんが激減した。
しばらくして、お二階のエステの人がうちに昼間にヘルプが来ることを知っていたと告げた。
「まあ、噂って早いね。でもヘルプをあちこちでいっぱい頼んでみたのよ、ヘルプに行ってもいいって人が出て、でもあの来月のシフト表を見ると、行かないって」
昼の十二時から夜の十時過ぎまでの長時間働いて、六時まではほとんど立っているだけだ。エステの実働はもっと夜が更けてからだ。
私のいなくなった、四月のシフト表は、二人ともフルで働かない。六時からしか働かないから、ヘルプよこせというシフト表を送って来たそうだ。
ひと目で「自分さえよければ他人はどうだっていい」という思考回路の人間だということがわかる。長時間労働は大変だが、働くなら平等にやるべきだ。誰が二人の自分勝手に付き合い、利用されたいだろう。
今日だって、本当は辞めた後に、私が、無料で出ているのだから。会社のために。
最後は惜しまれて辞めたかったが、二十代と四十代の二人に邪けんにされていた。
「これ、お菓子を渡そうかと思って買ったんだけど…」
「私だったら、出さないけどな」
「旦那も同じこと言うの、『お世話になりました』って、絶対言うな。言ったら負けだぞって」
でも、つい二箱買ってしまったのだ。
「じゃあ、お茶しよう」
私は、ハーブティを入れて、そのエリア担当とパイを二人で食べた。
富士宮は、二階が水浸しで、ガラスも割れて大変だったの。しばらく営業ができないのだ。
「私の知り合いのいわきのエステティシャンの話では、建物は大丈夫なのだけど、風評被害で当分閉鎖になり、みんなは『どうして会社から何も言って来ないのだろう。冷たいのね』って、さんざん言ってたの。その担当者、仙台に出張して一緒に避難して連絡が取れなかったんだって。わかったらみんな、な~んだって」
言葉は一人歩きをする。
私は箱を片付けて、バッグにしまった。
「これ、やっぱり旦那と食べることにする」
彼女は、笑った。
「モバイルのパソコンも携帯電話も会社に返すから」
エリア担当者は、プライベートの携帯番号を教えてくれた。いろいろ世間話もして、時間もなくなった。
「七月には、お店をオープンすると思う」
「また~」
「またね」
ニコニコして別れた。
やがて、五時近くなって、四十代の女性がやって来た。
着替えると、カウンターに立ち、私は連絡事項を伝えた。さっそく「もう帰っていいですよ~」と言う。10分も前で、私は居心地が悪い。
「じゃあトイレ」と言って、着替えた。
更衣室から出ると、習慣の「お疲れさ…」まで言い終わらないうちに
「じゃあ、お元気で」
私が笑顔で言ったので、相手は「ま」と言うのをひっこめた。
私は、とっとっと階段を下りた。
お二階のエステに、お菓子を持って挨拶にいったのだ。笑顔で。
たまたま男性の上司がいた。私はここで再就職を狙って、お菓子を渡したのではない。
うちの会員候補にそのうち誰かを誘うつもりだからだ。でも、どうも勘違いされている。
菓子折りも、お世話になりましたもなしで、旦那は、「それでいいんだ」と言った。
社会通念からしたら、外れている。でもどこか小気味いい。
そんなことぐらい自分で決められないのかと思うだろうが、私の方法で行くと、いつも同じことの繰り返しだった。支配する人と支配される人。私はいつも支配されてしまう。
人に親切にするのは、嬉しい。だけどいつの間にか、いいように利用されていることに気づくことがある。前世で、クリスチャンだったせいか、とことんボロボロになる。こんなひどい状況は自分が招いたのだから、自分の責任なのだけど、辛いのを消化しきれずに、闇をギュウギュウと押し込めてしまうことになる。
それでは、決して解消されない。
だから、いつでもリングが用意される。ボコボコにされる予感がある。
私はいつも、過去に理由があると思っていた。
「あの日、あの時、あの人が…」
でも、今、突き付けられているのだ。
「さあ、立って向いなさい」と。
喧嘩はしない、だけど、負けない知恵。ひらりとかわす術。
「ああ、流れ星が飛んで来たら、頭をよけるポーズ」昔、そんな絵を私は描いていたことを思い出した。
その日は、旦那の誕生日で、私のささやかで実用的な誕生日プレゼントを喜んでくれた。
ずっと前に、買って置いた米粉のリングケーキを泡だて器で卵白を角が立つまで混ぜ、オーブンで焼いた。
そして、停電用のろうそくを一本ケーキに差して、火をつけて電気を消した。
「フー」
二人でパチパチ手を叩いて、食べた。
「やっぱり買ったケーキよりもおいしい」
「うん、おいしい」
この感覚は、似たもの夫婦だと言える。
いわきの知り合いに、聖別した塩を送ろうかと思ったので、電話をかけてみた。
塩はいっぱい送られて、もういいそうだ。
次の日、また電話があって東京に職場を変えるそうだ。地震、津波、火災、放射能、風評被害、人間は、どれだけ耐えればいいのだろう。
「今は大変かも知れないけど、日本はきっと立ち直るから、いい国になるから。これをきっかけに、どれだけ多くのボランティアの人が立ち上がったことか」
「そおぉ?」
「うん!」
私は、自分でよく落ち込む癖に、どん底の人を慰めるのが好きだ。
次の日、あの人はどうなったか?気になる人がいた。
前の職場のホームセンターの人で、ちゃんと手順を踏んで辞表を出していて、私よりも先に退職するはずだった人だ。
私は研修の日程がもう迫っているからと、強引に辞めた。その人は、その部署がダメなら、他の部署にと変えられて、「はい」と返事をしてしまったのだ。
私の一番仲の良かった人に久しぶりに電話をかけて聞いてみると、「その人は、まだ辞められない」そうだ。その条件で引き受けたのだから、辞めたいのに辞められない。辞める理由が見つからないのだ。
優しい人は、操縦され易い。
「人はずいぶん、少なくなったわよ~、店の中を歩いて貰えばわかるけど…」
「私は、あれから買い物に行かないから、わからない」
この前、園芸用コーナーで、プランターと土を買っただけだ。
「お米も、乾電池も入荷したらすぐ、なくなるの」
どんどん、人を減らせて、仕事を増やして行く。その重荷に私はめげていた。
苛める人と苛められる人の構図が見えてくる。クッション役の人が転勤になると、やられる人が一人になって、集中砲撃される人。
やられる人は、「人がいい人」、「仕事ができない人」のようだ。
私はここで、たった四時間のパートでも、疲れ果てていた。
電話の彼女は、私と同い年で、とても私に親切にしてくれた。右も左もわからない時、そっと手助けしてくれた。
「辞める時にも、ちゃんとタイミングがあって、その機を逃したらなかなか辞められないのよ」
それは、私にも言える。
「また四月から、昼間に働かない?」と引き続き仕事を勧められたのだ。
きっぱりと断った。
昼間だけ働いても、エステはできないだろう。ただ、立っているだけだ。助けるつもりでも、あの二人には、感謝もされないだろう。ちょっと親切心で一か月だけとか働こうものなら、抜けられないのは目に見えていた。それでは、自分の店をオープンできない。
電話中に義母がキッチンを歩いてて、ドタッと大きな音がした。静かなので、「お母さん倒れたから切るね」一度電話を切った。仰向けになっているのを抱えて起こした。
「ありがとう」
まっすぐに立って、つかまる場所を見つけた。
それで、義母の場合はいいのだ。自分でなんとかしようとする。今は、ショートスティと在宅の半々で、いい感じだ。だんだん弱りながらも。
心配するから、また電話をかけて続きを話した。
「お母さん、大丈夫?」
「うん、大丈夫。でもやっぱり、辞めて良かったよ」
今の時間じゃあ、私はいなかったから。
ごはんも私が準備する。ヘルパーさんだと夕ご飯の時間が早くなる。
実は、この長時間労働が功を奏して、旦那の理解と協力を得られるきっかけになったのだから、『人間万事塞翁が馬』だ。会社には感謝している。
辞める時に、お菓子を置いて帰らなかった話をしたら、
「私なんか、以前の会社でね、さんざんおかしな使われ方をしてね、辞める時、『お世話になりました』って、菓子折りを渡したらね、私んちの玄関にそのまま返されたことがあったのよ。私の手紙をビリビリに破いてね」
「まあ」
彼女は普通にこう言った。ツワモノだ。
その上司に命令されて、配った人が後で謝ってくれたそうだ。
話は地震のことに移った。
「ホテルの支配人に、避難民をしばらく滞在させてあげたらどうかって、お手紙書いて置いて貰ったの。
そしたら『参考にさせていただきます』って言われたの。客数が激減したからね、今少し戻って来ているみたいで」支配人とはいえ、一存では決められないだろう。それから、市会議員とか、県会議員にも手紙や、メールを出してみたの。でも、選挙が近かったのよ。知事は、岩手へ行ってる。伊豆半島で一万二千人だか、千二百人だか忘れたけど、引き受けるってね。稲取ではもうやっている、一人三千円から五千円以内らしいけど」
ちなみに、「今回の災害も、自然災害に似せた兵器があるらしい」と言ってみたら、驚かなかった。
彼女は、ネットはやらないけど、今度、『最終知識』を貸してみようかと思う。
「私は、エステ辞めたの。近所のおばちゃん捕まえて練習するとつもり。自分のお店をオープンするつもり。そして、場を設けたいのよ。いろんな人が居るけど、いい人はきっと居るはずだから」
「うん、エステやって貰いたいよ」
静岡で二人目の会員候補だ。
これを書いている時に、二十代の女性から慌てた感じで電話がかかってきて、「今日の昼間時間がありますか?」と聞かれた。
「やることがあるから、行けない」と答えた。
その後、頭痛がひどかった。
いわきの人の最悪期に電話で感じた時よりももっとひどかった。さっぱりわからなかったエネルギーも感じられるようになったってことだ。このことは歓迎する。
弱くても、立たなくてはいけないのだ。
勝たなくてもいいから、負けないことだ。
自分に自信がなくて、つい消してしましました。(弱いな)
でも、控えてあったので、ここに貼り付けました。
いつもやられっぱなしな私が、立ち向かったという記念に書きしるしたものです。
自分のこころの動きって面白いです。
結局、伊豆半島で受け入れの名乗りをあげる宿泊施設はいっぱいあったのですが、東北の人は故郷を離れて遠くに来たがらないのだそうで、一人もいないと聞きました。
先日誠実社さんから
キャベツだの白菜だのブロッコリーをたくさんいただいた。
ちょうど胃が下がっているので、キャベツは胃にいいので一日一個ぐらいのペースで食べた。
人参と茹でてコールスローを作った。
キャベツは一個で濃いのや薄いのやらたくさんの緑の色があり、目に楽しい野菜だ。
きれいな形の芯は、まるで黄色い薔薇のようをパチリ。
昔、子供の頃、キャベツのふちの形が美しいと見とれて、洋服のフリルは洋服屋さんがキャベツをヒントにしたのじゃないかと思っていた。
画家の谷内六郎さんも子供心の絵だ。浜辺に寄せる波がレースに感じたのだから。
それから、ベランダで育てているキャベツもパチリ。
このキャベツ、市販のキャベツの芯だけを土に埋めたものだ。
二年ほどで、結球するそうだ。
楽しみだ。
キャベツって芯だけで、新たに育ってしまうのですね。
すごい・・・。
お返事遅くなってすいません。
植物って素直、光に向かってたくましい。
横には、市販のネギの茎2センチぐらいを埋めて、葉が出てきたのが植わってま~す。!(^^)!
だんだん伸びてきて、花が咲きました。
種を取って置きます。
結球にはならなかったです。
遅ればせながら…
新年明けましておめでとうございます。
皆さんのSBM店舗のオープンラッシュの中で私にできることとして、エステティックができる職場に転職しました。
とは言っても、まったくの未経験者なので、研修がありました。
その間、義母をショートステイの「ロング」に預けることになりました。
その間は、旦那は一人暮らしになるわけで、三人ともバラバラの暮らしになりました。
それが功を奏して、弱り切った義母が元気になったのです。
義母はますます食が細くなって、ある意味で人の用意した食事を容認できるようになっていました。五月の連休の時は、何でも拒否していたのが、紙おむつOK、車いすOK、介助OKなのです。その分、気も体も弱ったのですが。
足も弱くなって車いすの生活に慣れると家に帰ると歩けなくなるのではと思っていたのが、一日目は、ちゃんと自分の足で歩いたので「奇跡」だと喜んでいました。
結局、歩くと足が痛いので苦痛になり、歩けなくなりました。
部屋にポータブルトイレを置き、それすらもそこへ移動するのに本人が大変な思いをしています。小だと、意外と匂いません。
次第に、家にいると険しい顔になってきました。布団の上で動けなくなって息子の名前を呼んでいたり。
私は、やり始めたホテルの中のエステの見習いで、ある程度ものにするまでは、やるしかありません。お昼から夜中の11時まで新しい仕事だし、旦那は富士山どころか、この年末年始ほど、正月らしくない年はありませんでした。
義母の口癖の「養老院へ入るだ」の通り、本気で、介護施設に入居をすることが本人にとって幸せなのだと実感しました。
旦那と私は、休みの時だけですができるだけ動いて、順番待ちの入所できるところを探して動いています。家族と一緒だと入居の順番が遅いのです。安く入れる特養だと十年経っても入れないと言われています。
二度目の研修だったのが中止になり、義母は予定通り預けて、とりあえず手技の練習を繰り返し、向上を目指しています。
ホテルもやっと暇になり、もう一つのエステや、整体の人たちとも話をしたりしています。
四日に休みが取れて、タネマキさん家に遊びに行きました。
研修の途中で東京サロンにも行きましたが、手技がまだ下手くそで返って教えて貰ったりで、少しはそれらしくなったようです。
彼女のSBMを受けて、「私のおばあちゃん」というキーワードが出てきたと言われました。
私の祖母は、お母さんが早くに亡くなり、子供のころからいっさいの家事をやり、息子のお嫁さんも三人目の子を産んですぐ亡くなり孫の子育てと家事やらで、生涯働きづめ。ある日、「私は女中やない!」を叫んだのを聞いたことがあります。
家族のために働くことのみで、自分の人生を、楽しめなかったのです。いつも機嫌が悪く笑った顔など記憶にありません。人生を楽しむことができなかった時代です。
「おばあちゃんにうんとかわいがられたんだ」
「うううん、いじめられた」
私の中の祖母は、なんでもできる働き者の尊敬すべきところも認めながらも、祖母に対するマイナスの感情が残っていました。同じ人生でも笑顔で生きた方がいい。
「笑顔」
そんな言葉が浮かびました。それで、なんだか私の感情が戻ってきたような気がしたのです。
手技も少し自信がついて、職場に戻ると、表情が変わったと言われました。
私も人の体をさわることによって、なんらかの好転になるきっかけになれるよう頑張りたいと思います。
以上、近況報告でした。
最後の4回目の施術をする日がやって来た。
私の背中にこりが浮き出て、体は正常になったらしい。
SBMの施術者であるIさんから、
「体の古い記憶が出てきました」と言われた。
赤ちゃんの時だそうで、思いつくまま母から聞いていた赤ちゃんの頃の出来事を上げてみた。
答えは、私が生まれた時に愛でいっぱいだった時の体の記憶だそうだ。
「これで、体が整いハタラケル状態になった」そうだ。
いくつかの提案があり、活躍をするであろうと言われた。
今までは、体と頭の情報がうまく疎通できなかったらしい。
それは、今いちわからないけれども、徐々に分かるようになるだろうということだった。
鍼ポンさんに体に鍼を打ってもらい、ついでに顔にも鍼を打って貰った。
今日の、寝ジワはどうかというと少しあった。でも前より、早く消えるだろうということだった。
以前とは、比べものにならないくらい体が元気になったそうで、目を閉じて感じようとすると、お腹の底のあたりがふつふつとなんだか喜んでいるようだ。
「私のやるべき仕事は地域起こしのようななにか」とヒントをいただいた。
階下の誠実社でまた、みんなが集まりわいわい話になった。
私も同じとこばかりをぐるぐる回っていたのを、やっと外れたらしい。
「お金を失う恐怖」を乗り超えたから。この4回の治療のために伊東から小山までよく通ったものだ。この4回が、なかなかいないらしい。
「今、パッションを見るといいのよ」
と勧められた。
メルギブソンが私財の30億円を投げ打って作ったリアルな映画、「パッション」。「愛」と「勇気」と「正義」の意味を聞かされた。
イエスの追体験をした会員もいらして、私も期待したが、以前よりは理解が深くなったかな程度だった。
一人で、運命に立ち向かって行く「勇気」を受け入れなければならない時、自ら十字架を背負うために進み出た。
「イエスは、愛のために自分の命を捨てたのよ」
母マリアがイエスの予言成就を理解し、「わたしがここにいるわ」と、そばに駆け寄ってくれたり、通りすがりの男が十字架を一緒に背負ってくれたり、水を汲んでくれた女性がいたり、罪人でもイエスを信じる者もいたから心丈夫だったのだろうなと思った。
面白いことに、いつもの逗子行きの電車に乗り遅れていたら、先発の列車が大きな音がしたとかで、点検のため、止まって待っててくれていた。それで乗り換えられた。
そして、レンタルビデオ屋さんも、タクシーを待たせて借りようかと思っていたら、旦那が向かえに来てくれた。小さな奇跡が私を応援してくれているのがわかった。
みなさん、ありがとうございました。
いたたん 櫛形山より
光の筋が出過ぎな元気な日の出の太陽です。
第三回のお二人の治療は、第10回目のSBMの次の日に予約をして置いた。
「少し間がなさ過ぎだけど」
I さんに骨と骨の間にすり込むように、ていねいにオイルを塗って貰い、闇を浮き上がらせて貰った。
「体が、若くなった~」
I さんが叫ぶ。
私は、わからないので前とどう違うのかを聞くと、
「前は、老人のような反応だった」
遠慮がちに答えた。
「はい、これで終わり」
鍼ポンさんにバトンタッチだ。
鍼ポンさんにそう言えば、他人からの闇はほとんどなくて、みんな自分の闇だと最初に言われた。どんだけ、自分で墓穴を掘っていたことだろう。
鍼ポンさんにそれを切って貰うのだけど、やはり鍼を打って貰った。
「あの、顔にも鍼を打って貰えませんか?」
「OK、前からしたいと思っていたんだ」
二人して、にっこり笑った。
「プラス1000円でいいよ」
私の両方のほほは、押すと痛みを感じていた。眉の真ん中も鼻もそれを押しながら、位置を確かめて鍼を刺す。それは、痛い点と同じところだった。
終了したので、また階下の誠実社に降りて行った。
そこで、言われたことは…。
「あれ?今日はうつ伏せにならなかったの?顔に線がついていない」
「ううん、うつ伏せになったよ」
鏡を見ると、確かに寝ジワはついていない。
肌に弾力性が戻っていたのだ。万歳!!
顔の表情も優しくなって、若くなったらしい。
「顔の鍼は、一回目は効果があるけど、二回目は思ったより効果は薄れるよ」
そうだろうな。
「男性の禿を治すツボがあれば、うちの主人も絶対来るのに」
顔の鍼だけでも流行るだろうに。
「自分でやる気を出して行動しないと、主人からの理解と協力も得られないので、うんと稼いで貯金ためて…」
「お金は稼げないよ。人の闇を自分の知性だと思っていると、お金は稼げない」
と言われた。私はなんとなく、人の闇をこうだろうなと、シュミレーションしている時がある。じゃあ、どうすればいいのかは、思いつかない。
「じゃあ、人の光を見るようにすればいいの?」
「そうじゃない」
鍼ポンさんは、人の無意識にある心理をどうしてわかるのだろう。まあ、そこが協会に入って、知の地平を超えたということなんだろう。私にはまだまだ愛が足りないなといましめた。
その日は、全員合格ということで、行列のできる和菓子屋さんのモンブランを、I ママさんが買って来てくれていた。
「うん、おいしい!」
今まで食べた中で、上品で、一番おいしいモンブランだった。
「2012年、みんなでニューヨークに行こうね」
「はい」
お金がないからできないではなく、やろう決める意志が大事なんだ。なんとか、お金をためて行くようにしなければ。
5時まで、おしゃべりをしてまた、電車に揺られて帰途についた。
目を閉じると全身が明るい。人型の電球のようだ。
「身体にひかりって、こういうことなんだ~」
幸せを噛みしめて、ずっと、このままでいられたらいいなと思った。
義母は、眠り姫状態で、布団の中から、こう言った。
「なにもできなくて、ごめんなさい」
「いいえ~、そんなこと、一度も言ったことないよ」
私が有頂天になって、これができた、あれができたと思っていると、義母にとっては、悲しみなんだ。
肉も柿も出しても食べなくて、ふつうのおにぎりを二個なら食べてしまう。だから、具だくさん味噌汁とおにぎりとバナナが定番になった。手作りなら飽きない。
昔、グルメな私の父が母の実家に来て、祖母のお味噌汁を食べた時、
「こんなうまい味噌汁は、今まで食べたことがない!!」って絶賛したと母から聞かされていた。
私は、祖母の味噌汁を一度食べたことがあるが、だしが効いていなくて味噌が多いなと感じた。父は、ご馳走は食べていたが、家庭の主婦が家族のために作る「味」に飢えていたのだなと最近わかった。
それでも、「そんなことないよ」という証明のために、前から、気になっていた、白髪を染めて、初めてお風呂に入れることにした。以前なら絶対に断られていたが、おとなしく、されるがままになっている。
義母のアイディンティティーは、働くこと。義母の母親が早くに亡くなり、子供のうちから一人女中奉公に出された。だから、「働かけなくても、義母が大事なんだよ」って、態度で証明しなければならないと思っている。
私は、今やらないともうやらない気がして、思いついた勢いでやり出した。気が付いたら、指先がすっかり染まってしまい、時間が経過したので取れない。
指先が黒いままなので、今日はバンドエイドを3つ貼って仕事をしようと思う。
ペカペカさん、こんにちは。
この先にまだ続きがあるかもしれませんが、コメントさせていただきました^^
まず、、書いてくださってありがとうございました。ペカペカさんの文章から大きな気づきをたくさんいただきました。
随所に心を揺さぶられうような感動を覚えました。きっとペカペカさんのお書きになった文章に光が宿っているからだと思います。
お義母さまの変化♪なんだか読んでいる私まで嬉しくなってしまいました。
私の両親や夫の両親もいつかはこうやって身体の自由が利かなくなる日が来るかもしれない・・・。
そんな時、私は、ペカペカさんのように愛をもって、両親や義父母に接することができるだろうか?
いつかはできるようになるだろうか?
そんなことを考えながら読ませていただいております。
お会いするたびにますますおきれいになっていかれるペカペカさん☆
次回またお目にかかれる日を楽しみにしております!
この文章を読んで、ハッとしました。
健常者であれば幼児に経験したまま忘れてしまうような、ことばによって人と通じ合える出来事のプロセスを、まるで奇跡のように、驚きと共に、喜びとして味わうということも意味しています。
(中略)
ことばが、あくまで全身心での他者とのふれあいであるということなのです。
「生きることのレッスン」竹内敏明著より
今日、やっとkomyoshiさんのサイトを見て私宛の通信を見つけました。
だいぶ変わってきたと思われる私に最後の言葉は嬉しいものでした。
私由来のアクマの罪を担います。