最近、友人の勧めでフェイスブックをはじめました。
セツモードセミナーつながりです。
それで、面白いイベントがありましたのでご紹介します。
href=“http://za.polepoletimes.jp/news/2012/01/2012224.html”>
お二人の美女に来ていただいて
ありがとうございました。
それから、昔の絵を引っ張り出して来て
いたたんの写真をはずして
自分の絵に変えました。
旦那はまだ、納得いかないようすで、
でも、自分の絵だけにすると
責任が生まれると感じました。
先日、サロンに友人が訪れた。
二人とも同じテレビ番組を観ていて、同じように感動していた。
25歳の史上最年少の上場企業の社長だそうで、求人のサイトを運営する会社だ。
最初は、本人もそんなにもうかるとは思っていなかった。
昔、アルバイトを探したら、実際には求人があったのに
サイトには全く求人として載っていなかったのがきっかけだそう。
求人募集するためにサイトに載せるだけで大金を投じるのは、中小企業だとリスクがある。
だから、新しいスタイルの求人のサイトを立ち上げたのだそうだ。
みごと採用になれば、募集した企業は代金を支払う、
だから多数の企業から掲載の依頼があり、多い情報の中からサイトを覗く人も多い。
おまけに採用された人には祝金が何万円か頂ける。
「そうだよね~」
「先に、喜ばれてからお金が入る仕組み。これが正しいよね~」
お年寄りの九州へのお墓詣りの同行ヘルパーにこの前行ってきたそうで。お金持ちだからいくらでも出すと言う人だったらしい。
「ラーメンが食べたかったから、交通費だけでいい」と、言って貰わなかったそうだ。
「時給で換算すると莫大な費用になるから、そんなに貰えないよ」と言う。
でもな~、それを職業にして生活している人は欲しいだろうにと思う。
先にお金ありきの人がやる方向だったが、その人は断ったそうで、彼女がいたから、そのお婆さんは何年か越しの夢が叶えられた。
「博多?」
私は聞いた。
「うん」
「ふ~ん」
自首したオウムの指名手配の犯人が、誰からも信じて貰えず、「嘘~」と言った女性警官の話で大笑いをし、二時間ほどのおしゃべりは大いに盛り上がった。
その女性は、入って自己紹介をするなり、ダ・ビンチ展の話をされた。
ヌードのモナリザの絵画があることや、赤い衣のあっけらかんとしたマグダラのマリアの話。
「かわいい~」と言いながら、 店の棚にあるストラップを購入して、しばらく絵画談義に花が咲いた。
「伊東では、こんな話ができるとは、珍しい」
私も同感だった。
「静岡市の美術館なのか、遠いな~」
「でも、飛行機に乗ってあっちへ行くことを思えば…」
と鮮やかに去って行った。
ここには、なぜかキリスト系の人が目的を持ったように入って来るような気がする。
「ダビンチコードとかが大好きで。ダン・ブラウンの本、好きで読んでるんですよ」
「あれ、面白かったですね」
変な事件を抜けば、リアリティーのある小説だ。
「イエスの横の人物が女性のように見えるし、バチカンのピエタのマリアも十六歳の少女のようで」
「クリスチャンですか?」
「いいえ」
「私はクリスチャン系の学校へ行っていたから、分かるけど。どうしてそんなに詳しいの?」
「画家のライフワークが聖書の挿絵のようなもので、私はイラストがかわいいから、絵を見て行くうちに、文字もついでに目に入っちゃって」
と説明すると、納得してくれる。
その女性は、たまたまここを発見して入ってくれたのだ。
ショップを見つけては、紹介する仕事をしている県の職員だった。
登録制度があり、私もプッシュしますからと何度も言ってくれた。
「お宅のホームページも見せて貰いました。でも、県の頑張っている個店の登録には、残念ながら外れてしまいました」
と後日、男性の職員から電話があった。
まあ、がっかりしたけど、地震の観測計のように上がったり下がったりする私の心。夕方には浮き上がった。
「やっぱり、行って見ようかな」
私は、その展覧会のあることをそれまで知らなかった情報をわざわざ運んでくれたとしか思えなかった。それに十二月一日は私の誕生日でもあるから、自分へのプレゼントだ。
金曜に、知人と一緒にパンフを駅前で配る予定だったのを天気予報で、大雨なので中止にして行った。土日は、美術館は人が混むからだ。
一人で電車に飛び乗り、一時間四十五分移動して西へ、ちょうど東京の池袋のような感じでちょうどいい大きさの都会だった。
「東京に行かなくても済むぐらい、揃ってるんだって」
と伊東じゃあ、もっぱらの噂だ。
三階建ての本屋に、少し興奮気味の私。
昔、バルチェス展を観たが、彼の言葉を綴った本があった。最初、バスキアの絵を浮かべてたが、彼は短命だったと途中で気がついた。バルチェスは、純粋なまま長生きをして幸せに老いたのだった。その言葉が美しくてつい買ってしまった。絵とは祈りだと言う。
電車の中で読もうと一冊を入れたが、結局手に取って手放せなくなった本を購入して重くてはちきれそうなリュックを背負った。
ああ、私はこんな刺激が欲しかったのだなとわかった。
そして美術展へ。
ダ・ビンチの作品は少ないが、1400年代の昔なのに、彼の一流の弟子の色の鮮やかなこと。重厚だが、十分見応えがあった。微妙に違う数々のモナリザ。私のマグダラのマリアのイメージは、ドナッテロの木像だったのが、あどけなさの残るかわいい女性に変わった。
その時に限って、サロンに訪れた人からパンフの問い合わせの電話があった。その時、店主が楽しくしてれば、お客さんも来てくれるのではないかと思えた。本人が楽しければ、自然とコミュニケーションも楽しい。
静岡には、徳川家康という誇りが感じられる。話題のセノバも見学がてら訪れた。それほど大きくはないけど、最新のものがちゃんと揃えてある。情報の最新の発信源となれば、田舎だって訪れてくれると確信した。
そして、雨は一滴も降らないままに帰った。
ちょうど、帰る頃に旦那と合流できた。
☆☆☆
最近知り合ったカウンセラーの女性に、義姉のことを三回だけお頼みすることにした。
私もその後で、SBMをやるつもりで、オイルやセキオイルを持って行った。
義姉は、現在再婚している。幸せだが、前の死別した夫が忘れられないのだと言う。
一番気がかりなことから、色々喋って貰ったが。私よりも辛い思いをしていたし、先の見えない不安にさらされていた。幼い頃の悲しみで心がいっぱいいっぱいで、他人のことを思いやる余裕などないから、問題が多かったのだとわかった。
「まだまだ、混乱しているから、これから要る物と要らない物とちゃんと整理整頓しないとね」
去った家族を感じていられるからと、部屋には、昔の写真が四方に全面貼られている。
「見たら悲しいことを思い出すのなら、しまったらいいのに」と言ったら。
「今は、必要なのよ」
私もカウンセリングに興味津々、あと二回も同席させて貰うことにした。
結局、暗い思いの人間は、身体の中も光が差さない状態で冷たく、そこには、ゴミがたまり易いので身体が弱るのだ。実は最近、ふと読み直した本が、とってもタイムリーに意味がよく分かったのだ。
中国人女性の整体師の徐桂琴 著の「病気の正体」は、SBMの理論を裏付けしてくれる。
内臓の連携プレーの隙間には、エネルギーが通る。そこにゴミでつまるから排毒作用が重要だと指摘した、
私も暗い考え方をしていて、身体にずいぶん負担をかけて済まなかったなあと思う。
雑貨屋さんもそうだが、自分の面倒をセルフでなんとかしようとする風潮か、本屋に行くとそんなのが多くある。
本屋で、その本を手に取ると身体が温かくなる。これは買うべきと思えた。
天使のイラスト付き万年カレンダー。
贅沢したけど、店用のカレンダーにも使える。
目に栄養をもらって、 今度こそ、描けそうな気がする。!(^^)!
岩窟の聖母、ダビンチよりも美人なモナリザ、マグダラのマリア、
上のは、もちろん展示されていないが、ポストカードは売っていた最後の晩餐。
のような雲が・・・。
今日、うちのサロンにガツンと衝撃があった。
縦揺れの地震だった。震源地は伊東の沖だけど、真下のように感じた。震度2が二回。
びっくりした~。
私は、感情を抑えられるのが
人格者だと思っていた。
でも、天国に近い子供は
笑ったり、泣いたり、怒ったり。
今泣いたカラスがもう笑う
空の雲みたいに
刻々と変化する
なんだぁいいんだ。
面白い雲だったので。龍?
9月には珍しい赤富士です。
義母の口癖の
「養老院へ入るだ」の
長期入所が決まって
最後の4日間をいっしょに過ごした。
旦那は、本当に親孝行で情が深い。
思えば、私の去年の3週間の合宿の時に入れられて、
結果的に最悪の状態を助けて貰った。
まさかと思っていた
「つっかえ棒をいっぱいジャングルみたいに立てている家もあります」
っていうケアマネージャーに爆笑して
何か月かして
その助言を試してみた。
それで本人が望む通りにいつでも伝え歩きができたのだ。
市に頼んで
レンタルの介助器具を引き取ってもらった。
天井までのつっかえ棒が4本
立ち上がる時の衝立が一つ
歩行平行バーが台所を斜めに横切っていた。
義母はこれに掴まりながら
必死にトイレに移動していた。
部屋の中のポータブルを使わず
楽な方を選ばず
初めて出会うタイプの
頑張り屋さんだった。
学ぶところも多かった。
そして
買い取りの
ポータブルトイレが残った。
お疲れさまでした。いろいろと忙しい日が続いたことと思います。
伊東サロン。行かれた人から、「素敵なサロンだったよ」と教えてもらいました。ぜひ、一度、温泉に入るのと共にお訪ねしたいと思っております。
では(^^)/
お返事が遅くなってすいません。
義母は、養老院へ入るのが夢だったので、上品な夫人になって、施設で佇んでいました。
旦那が洗濯物を持って帰り、持っていく、マメに会いに行っています。
ご来店、お待ちしております。!(^^)!

伊東の伊豆高原にある茶店「ピクシー」です。許可を得て掲載しております。
久しぶりにいい本を見つけました!!
怒り、憤慨(resentment)という言葉はラテン語が語源で、“re”は「過去」を意味し、“sentire”は「感じる」という意味です。つまり、過去の出来事を情緒的に焼き直すことです。換言すれば、過去の出来事と戦うわけです。この戦いに勝てる人はいません、なぜなら、それはすでに起きてしまったことで、今さらかえることはできないからです。
「自分を動かす」より マスクウェル・マルツ著
未来へ進むと
過去に出会う
そして・・・
トラウマに突き当たると
思考がストップしてた
トラウマの向うに
自分の罪がいっぱい見えた
そして標的を「失敗」に向けていた
決して行くつもりはないのに
さよなら
突破口は小さな満足感
私は義母の
保護者であること
私があるデザインスタジオに勤めていた時のこと。
私はセツの夜間に通っていて、洋品店に務めていたが、「絵の仕事をやれ」と解雇を言い渡された。その頃は転職雑誌の盛んな頃で、「マック教えます」のうたい文句に惹かれ、面接を受け採用された。
杉並区から千葉方面まで一時間半かけて通い、出勤は九時半だっただろうか。帰りは夜中の十二時過ぎてからまた一時間半かけて帰る。帰りの電車の中は、酔っ払いか夜の商売の人しかいない。私はマックを教わりたいから、平気で残業していた。私を教える人もその分、自分の時間を削って残業することになる。タイムカードを押してから、教えてくれたりした。
一番の私のダメなところは、負んぶに抱っこの性格だった。マックは、なかなか覚えられなかった。
社長の経営がうまいせいか、この業界では珍しく残業手当があった。
イラストも一日中描けて、その会社は天国のように思えた。
しかし、すぐどんな会社なのかが分かった。
私と同じぐらいのデザイナーの男性が、社長の説教を食らっていたのだ。朝からみんなの前でたった一人を長い時間ボロクソに怒る。
怒られる人はだいたい胸が凹んで猫背で痩せている。お人よしで性格がいい。気が短かったらとっくに辞めている。辞められない事情があるのだ。
他の人たちも神妙な顔をして、自分も怒られているようにうな垂れる。それで気を引き締めるのだ。
しかし、嵐が去るとみんなは羽を伸ばしたように仲良く仕事をする。そして社長の陰口をたたく。
「この会社の雰囲気悪いよね」
お金は得るが、ここで長く働きたくはないとみんな思う。しかし、条件のいいクリエィティブな仕事はなかなかない。
「あなたがいるお蔭で助かった~」
その人がいてくれるお蔭で、みんなが怒られないで済むからだ。社長は、その人を叱っても辞めないだろうと踏んでいたのだ。社長の説教が終わったらその人も普通にみんなと話をする。決して仲間外れにされない。
その人は、フリーで頑張っていたけれど、時代の流れでマックを買い、百二十万円ぐらい掛かったと言っていた。一人、家で説明書を見ながらやるには、収入が少ないので働きに出た。長年フリーで頑張って来ているので、デザインの実力は確かだ。
その点私は、デザイナーとしては一年も満たないし、イラストしか興味がなかったから、デザインのことは詳しくない中明朝だか、太明朝だか見ても区別がつかない。おまけにマックがさっぱりできない。
社長はイラストレーターだった。仕事で嫌という程イラストを描いてもう見るのも嫌になったそうなのだ。その証拠に社長のイラストの下書きは適格で、私のよりも描き慣れていた。
ある日、イラストの一番の上達法を教えられた。
「イラスト集とかがあるだろう。それを見ながらトレッシングペーパーに同じ大きさにマネして描くんだ。そしてトレッシングペーパーを元のイラストに当ててみるんだ。そしたら自分の間違いが分かる」
私は、その方法に賛同しかねた。そんなことをしたら絵を描くのが嫌になると思った。
一日中イラストを描いて、給料が貰える、やっとやりたい仕事につけたと喜んだのも束の間、二番手の女性に解雇を言い渡された。その女性の独断だと思ったが、社長の意志だった。
「面接で入社する人がいるが、イラストレーターも雇った。若い子でね」と告げられた。
要らないのは、私の方だった。
私のやる仕事の割に残業代が高くついたのだ。
「マック教えます」は、求人雑誌には本当にいいキャッチコピーだ。
この前も後も、たった一人の犠牲者を盾にして、その他大勢にそのトバッチリが行かないようになったことがたくさんあった。
私の悲劇は、このたった一人の犠牲者が私が多かったことだ。
ひどい時には、その他大勢すらその犠牲者を一緒になってやっつける。誰も庇ってくれない。
そんな目に遭った一番古い記憶は、小学校の時に遡る。
私の担任だった先生が弟の担任になり、弟は目の敵にされ、学校の帰りに遊び仲間と一緒によその畑でみかんを盗んだ。
先生は、グループにもかかわらず弟だけを犯人にし、あろうことか、姉の私を呼び出した。
弟のクラスの中で姉の私が代わりに説教を食らったのだ。
もう一度やったとかで、今度は放送で呼び出され、また弟のクラスのみんなの前でコンコンと説教を食らった。
その遠い原因は、私のクラスの担任だった時、私の家の印鑑を先生が失くしたことがあることではないかと思う。私は、印鑑を持って行く時、机にある出席簿の上にそっと置いた。先生には声をかけなかった気がする。想像だが、だから先生は失くした。もちろん兄弟で苗字が違ったり、母子家庭でややこしい書類や手続きがあった。
それにしてもそのことを思い出すだけでも、悲しい思いをするのだ。別の考えや私の落ち度も考えつかなかった。
今でも、通らなかった分、自分の主張を曲げない所があることも自分でも分かっていて、反省することしきりなのだけど。成長がそこで止まってしまったのも確かだ。自分が正しいは逆さまだってことの意味もやっと腑に落ちた。そしてそれは癒されてから解けはじめるのだと思う。
今、言えることは、たった一人の(運の悪い)犠牲者を見て見ぬ振りしないで皆で庇うようになったら、世の中がガラリと変わるだろうなと思えたことだ。
なぜ私たちでなくあなたが?
あなたは代わって下さったのだ
代わって人としてあらゆるものを奪われ
地獄の責苦(せめく)を悩みぬいて下さったのだ
ゆるして下さい らいの人よ
「無菌地帯」(大竹章:著、草土文化)より
「一人は万人のために、万人は一人のために」
一人は万人のためにの意味は誰でもよく分かっていたりする。でも、万人は一人のためにの意味が私にはよく分からなかった。
そうか、このことかと腑に落ちた。
他人事として、切り捨てていたこと。
次の日、テレビを見た。米軍基地の沖縄の人たち。
沖縄の決起集会が日本全土のデモだったらアメリカ軍を追い出せるんだろうなと思えた。
この前、佐藤優著の「3・11クライシス」という本をちらっと見て、正しい者が罪を着せられて捕まったんだと理解した。少数派は切り捨てられるのだ。
また、伊集院静著の「いねむり先生」も読むつもりだ。人生の最悪期にきちんと誰かが面倒を見てくれる。その時だけでいい、雄々しく立ち直れる人なのだから。
この文章を読んで、ハッとしました。
健常者であれば幼児に経験したまま忘れてしまうような、ことばによって人と通じ合える出来事のプロセスを、まるで奇跡のように、驚きと共に、喜びとして味わうということも意味しています。
(中略)
ことばが、あくまで全身心での他者とのふれあいであるということなのです。
「生きることのレッスン」竹内敏明著より
今日、やっとkomyoshiさんのサイトを見て私宛の通信を見つけました。
だいぶ変わってきたと思われる私に最後の言葉は嬉しいものでした。
私由来のアクマの罪を担います。
最近の私の楽しみは、お気に入りのテレビドラマを見ること。
それも、昼間のテレビを観る習慣がこの前までなかったから、よく噂で耳にしたのを一回でもいいから観てみることにした。
その中でいたく気に入ったのが、「のだめカンタービレ」で、芸術を表現する俳優の芝居のうまさに感動した。
それが終わったら、今度は「相棒」となった。
主役のキャラもさることながら、脚本がうまいなと思ったら。何人もの作品であることを知った。
そしたら、私は見始めたら最後まで見なきゃ済まない性格なのを改めて実感した。
レンタルCDも五枚で千円なら、初日に全部観てしまう。
小学校の頃も、ロードショーを、眠い目をこすり最後まで観ていた。
不思議とストーリー展開が読めたり…。
本当に面白い作品に出合ったら、後引いて、笑みが出て来る。日々の楽しみがこういうのもありかなと思う。
最近は、義母を月の半分、ショートスティに預けて、半分家で看ている。
家の私の料理は、少々ワンパターン化して、よく残す。だから家にいるとだんだん歩けなくなって、痩せてくる。それで預けると、ふっくらして帰って来る。
やはり「歩かせて貰えない」のと「追い出される」感覚が好きではないらしい。
でも、半分楽しないと疲れて歩けなくなるのだ。説明しても理解がだんだん難しくなる。
ゴールデンウィークに合わせて預けた。
「一日ぐらいは草津で泊まりたい」と旦那の要望で当日電話を掛けまわった。私は電話の向こうの感じで民宿に決定した。ホテルだと、若くてそつのなさそうなのより、心のこもったおじさんの一声に人間味を感じたのだ。
結果は大当たりで、部屋は掃除の行き届いた広めだったし、食堂には薪ストーブが燃えていた。料理は、おいしい家庭料理でほどよい量だった。
宿の主が「草津の湯」について力説していた。
「草津の湯は殺菌力がものすごい、草津の温泉に浸けると病原菌なんかも十秒で死滅する。擦り傷もすぐ乾いてカサブタができる。それに草津には○○がない、それは何か?」
クイズまで出していた。
「眼医者」
旦那が答える。
「そう、眼科がないんです。つまり、湯気に当たっていると目が悪くならない」
「へぇ~」
食堂全体がそんな雰囲気になった。
そう言えば、昼に賽の河原温泉で旦那が駐車場の鎖をまたごうとして引っ掛かって、転んでできた膝小僧の生傷はいっきにカサブタが出来上がっていた。
「それを見るために、転んでケガしたんだよ、きっと」
「そういう考え方もあるよね」
旦那の取材中、私は車の中で上昇をしていた。目を閉じると真っ赤で、お湯につかっている時は、ちゃんとできたのだがなかなか上昇できない。赤や、赤黒い時は引き込まれるから気をつけた方がいいと聞いていた。これでは進めないので、積さんに問い合わせた。
「なんで私がこんな目に遭うのって日本中がなっている」
赤でも恐れずに上昇しなさい。そのうちに白になるということだった。
そうか、私はその度に中断していたなと悲しい。
その後、地区の運動会があって、予定になかったのに、急きょ一種目出る羽目になった。六十過ぎのおじさんたちはことのほか健脚で、日ごろの運動不足の私のみが転んだ。ゴールを見てしまうと足が止まる気がする。
旦那と同じように今度は、私が膝を擦りむいた。
「草津の湯の花、買えばよかったな~」と言っても昔の円錐の湯の花は売ってなくて、高かったから諦めたのだ。
それで、最新式の防水のバンドエイドを買った。密閉させて体液の自然治癒力を利用するものだ。治りが不思議に早い気がする。
ものごとの観念て、こういう風に一足飛びにかわってしまうのだ。
マクスエル・マルツの『自分を動かす』を読んでいたら、
「自意識過剰とは、他人を意識するに他ならない」
と書いてあるのを見つけた。
なんだ、そうだったのか。
思い当たることがたくさんある。
旦那の手が頭をかいぐりかいぐりしてくれるのが、いまだに嬉しい。
私は文字や、人の評価を気にし過ぎていたのだ。
呪縛が解けた気がした。
寒風吹きすさぶ中、家まで呆けたように歩いて帰った。