2011年8月7日(日)
京都で知り合ったある方を和歌山サロンに連れて行きました。
和歌山支部長さんと3人でお話をして帰りました。
帰ってから運転にくたびれたので、浄化上昇して元気になって、すぐに寝てしまいました。
2011年8月8日(月)
朝、仕事に行って、鼻の奥が少し痛かったので風邪かもしれないと思い、浄化上昇をしながら仕事をしていました。
午前中でマシになりました。
昼過ぎから今度は頭痛と首コリ、肩コリ、に見舞われました。
仕事をして帰って来て、お風呂に入りました。
お風呂で浄化上昇しているとかなり首コリがマシになったのですが頭痛はまだ取れないでいました。
お風呂からあがって、先日に和歌山支部長さんとお話していた、ブラジルから渡ってきたイエス様のオリーブオイルの一部が私の所にあるのですが、これにセキコンセクレイテッドオイル(秘跡のオリーブオイル)を数滴入れてみようと思いつきました。(なぜか)
入れようとすると数滴ではなく、かなり量がイエス様のオイルの容器に入りました。
その容器を手に取るとオイルが、なんだか喜んでいる様に感じられ、顔、頭、耳、首回り、腰、背筋、手、足、お腹、に少しオイルをつけて、オイル容器を額の前で、目を閉じるました。
光っている十字架がたくさん、ハシよりも少し長く太い光の十字架がいっぱい、ラセン階段状に降りてきたのか、上がって行くのか、の画が見えました。
瞬間に気が付きました。
ひどかった頭痛と肩コリと腰コリの辛さが一気になくなり、なんだか身体が元気に、やる気になってきました。
気持ちも明るく嬉しくなってきました。
あとセキコンセクレイテッドオイル(秘跡のオリーブオイル)をいつも付けている身体の箇所に付け、浄化と上昇をしました。
とても楽に、元気、元気になってきました。
意識も身体も負荷がきつくって、辛く、それでもがんばって浄化と上昇をしていると、「オイル」や「最終知識」の本や「おふだ」や「祈り」が「呼び水」となって、『光の御使い軍団』がやってくるのだと、最近では確信しています。
自分でできるのは、ただただ『祈る』だけであり、働きは『光の存在にお任せする』、という態度であります。
『光の御使い軍団』がやってくると、一気に負荷が無くなり、楽になり、何よりもすぐあと元気が出てくるのです。
身体も気持ちも「光の元気エネルギー」を充填して頂いるみたいです。
感謝します。ありがとうございます。
この状態を感じ始めたのは、役行者(役小角)様ゆかりの金峯山寺蔵王堂の駐車場でへばった時でした。
光の玉がいっぱい集まって、大きな光りの玉となってお腹の上に降りてきたら、一気に負荷が無くなり、元気があふれてきたのです。
『光の精神界の方々』、『光の皆様』、『光の御使い軍団』、『光のイエス様』、
感謝申し上げます。
そして本日、文頭のそのある方から連絡があり、「最終知識がほしい」とのことで承りました。
本当に感謝申し上げます。
ミエル
2011年8月15日は、「最終知識が成立する」と記述のある2001年8月15日から10年経つ日である。
10年ひと区切り、又は12年(干支)ひと区切り、になるのか。
2000年の世紀が終わり、聖書の時代が黄昏を迎えて、新たな時代に突入して然るべきなのに、ひと区切り分遅れている。
聖書の言うように各予言者がたくさん現れている。
内容は2012年とか、何年後とかに何かあるというけれど、時代の変化は速度を上げている為、すでにいつ何が起こっても、不思議ではない感がある。
逆に変化が速い為、起こっている変化に自意識がついて行かず、大きな変化に突然ビックリするのかもしれない。
人は自分の幸福や理念が正しいと思いたがり、それが永遠に続いてほしいと願う。
自分の子孫ならなおさらでしょう。
しかし、文明は結構早く衰退する。国も思ったよりも早く崩壊する。
人から人へ時代が渡される時、今までに支えてきた人の高い精神にあった根幹が、伝承されなくなり、技術やテクノロジーも形だけになり、伝えなければならない記憶も失われていく。
法律や約束ごとを交わしても、人が替われば、組織が替われば、記憶が伝達されなくなり、数代でなくなる。
今の人も便利な、清潔な、楽な世界が何十年と何百年と何千年と続いてほしい、続くと思っている。
思っていない人でも自分の生きている間は、困難な時代でないことを願っている。
そして年をとれば子や孫に財産を残し、少しでも楽に生きられる様に願っているのが普通かも知れない。
でも他方で、未来の子供たちに借金処理と放射能の物質を管理させ、少子化の世を作り出し、地方を疲弊させた分、結果として自分たちの時代を裕福に暮らした。
どこかで元に巻き戻す働きがあるというのを心の奥底で感じながら暮らしてきた。
お金(マネー)を仕組んでいるものは、衰退することなく何世紀の間、人から人に情報と管理のやり方を伝え続けられるものだなと、私は密かに感心しています。
ドルに印刷された神の「全てを見通す目」はなぜ、1つの目なのだろう、と疑問に想っていました。
エジプトからのラアー神の目からかも知れないけれど、ひとつだけの目とはなぜだろうと、考えていました。
人は1つの目だけでも見える。でも1点だけ見えていない点がある。
「盲点」である。「盲点」とは視神経の関係で網膜に像が映らない為、見えなくなる点である。
これを脳と左右の眼球がカバーして真実の姿をチェックしている。
この神の「全てを見通す目」が1つの目なのは、「神のおごり」だと考えています。
本当は1つ目だけでは「盲点」を含んでいて、神はそれに気が付かない。
真実を見ているつもりが全て真実でなく、その原因は「神自身のおごり」にあった。
『神や神々が失敗した原因はこの、おごり、ほこり、自分が真実で正しいと信じ込んだ癖にあった』のではないかと考えています。
密教ではマンダラが有名ですが、代表は2種類あります。
「金剛界」マンダラと「胎蔵界」マンダラで、どちらも「大日如来」を中心に教えを伝達する仏や守る仏がいます。
流れは全て「大日如来」から外向きで、「金剛界」は真理の力と守護を、「胎蔵界」は慈悲と癒しを教えています。
でも「大日如来」が間違っていればどうなるか。「ニセの大日如来」が入ってきたらどうなるか。
「大日如来」は全ての根源であるから間違えることがない、といういわれますが。
でも、もし中心が間違っていれば、まず側近の仏たちは気が付かない。
一番早く気が付くのは大外にいる仏たちであろうと想います。
この間違いに気が付いた仏たちは「おかしい、間違いだ」という情報を中央に伝達しても、「大日如来」には届かない。
この原因は 「随時チェックし、その結果をフィードバックする機能(システム)」 を作っていないから。
『間違いが起これば直ちに修正する為に、情報をフィードバックする働きが欠けている。』
「これもまた仏、仏たちのおごり、ほこりだ」と考えます。
人も、神、神々、仏、仏たちと同じで、最後の最後に気付くのは、
自分の目指した夢の実現に負荷をかけ、足を引っ張っているのは
『自分自身のおごりとほこりと自尊心』であった、ということでしょう。
『自分を傷つけていたのは私だったのか。』
と気付いた時、天地がひっくり返る衝撃が走るのです。
気が付くのは、自分が死ぬ直前か、死んだ後か、生きている間か、年を取って動けなくなった時か、若い時か。
気付かないより気付いた方がよい。
早目に気が付いたほうが良いと考えます。
その時の後の行動が違ってきて、周りの反応も変わってきて、運命が変わってくるから。
悔い改めが生きている間に、できるからです。
ミエル
2011年7月27日(水)
『・・・・・・ことを遂行する』
みたいなことがバイクでの通勤時にお腹の下から聞こえてきた。
『・・・・・・は「皆が魂の奥底で心配していること」』
らしいです。
「また、そんなことをいつになるやら。何度も警告されても同じようにしか聞こえない。」と考えていたら、
「今、人間の心に現実化になるだろうと心配している事柄を遂行する。」
そんな感じでした。(不確かです。なってみないとわからない。)
もう現在では、人間は各個人で自らを律する為の行動を起こすことができず、
しかしそれを打破するためのインパクトのあるイベント(出来事)を密かに心配し、期待している。
という感じでした。
それが、ドルの信用低下と実体のない円高による日本経済の大打撃なのか、
大地震なのか、放射能の日本全土の汚染を認めることになるのか、政治の混迷と狼狽、官僚のお金と権力による癒着が明るみにでるのか、マスコミの報道の腐敗、宗教のインチキ、なのかわかりません。
でも結局、人の無意識はこんなことではいけない、と皆が思っている時、心配事は実現する。それは悲しみと苦しみを連れてくるが、それによって、軌道修正するきっかけを待っている。
しかし、心配事が起こっても軌道修正できるのだろうか。物質優先主義を捨てて精神優先主義の社会ができるのだろうか。今までの同じ物質主義を唱えるのではあるまいか。
やはり政治中枢や霞が関の官僚が反省し、ひとつになって、誠実に機能しないと、日本の方向性は変えられない。
それを正すのは国民であり、国民の味方になるマスコミのはずである。結果、責任は国民にあり、マスコミにある。
「真実は国民のものである。」
「マスコミは国民の触覚である。国民に最も知らせなければいけない真実を伝える義務がある。」
帰りのバイク上でお金(マネー)と闇について考えていた。
お金(マネー)も、闇も可哀想だと、私は想う。
本来、お金(マネー)は便利な機能もあり、動けない人も、遠くの人も、同じような代価で品物を手にすることができる。
でも、私はお金(マネー)には魔術がかけられている気がする。
私がお金(マネー)に魔術をかけるとすれば
1、お金(マネー)はお互いを引き合い、より多くのお金(マネー)ところに集まる様にする。
2、ある合図を出せる人のところに必ず戻る様にする。
3、お金(マネー)に希望(可能性)という幻想をつけておく。
4、人からお金(マネー)が出て行く時は失望-希望(可能性)が無くなった痕跡を人に思い込ませる。
そんなものかな。
お金(マネー)のない人にお金(マネー)が入れば、希望(何でもできる可能性)に情熱を燃やす。
お金(マネー)が出ていけば失望し、お金(マネー)を追い始める。努力し、足りなければ自分の闇を世に出してでも手に入れようとする。
しかし、お金(マネー)は全ての人の精神エネルギーを吸い取った後、
ある合図ひとつで、合図を知っている人の元に戻ってくる。
でもお金(マネー)が無くなっても初めの無い状態に戻るだけなのに、人の心はそれを理解できない。麻薬中毒みたいになる。
「でも全ては錯覚なのに」
「お金(マネー)の魔術は思い込ませること。錯覚させることかな。」
「対抗するとしたら、現実を見て論理的に考え、精神エネルギーを今やるべきことに注げば、生きる力が湧いてくる。
天も地も助けてくれる。」
お風呂に入っている時、闇について考えた。
闇も可哀想である。
『宇宙は光と出会うためにあります。それ以外の理由はありません。』と最優知識に書いてある。」
人の中にも光と闇がある。
綺麗な宝石をちりばめた大きな砂場があるとする。
上層は綺麗な宝石ばかりだが、下層は真っ黒な石ばかりがごろごろ出てくる。
それを1つ、汚れを取ってあげれば、それは綺麗な宝石に変わる。
砂場には底が必ずある。
全部の真っ黒な石を掃除すれば、砂場は全て綺麗な宝石箱に成る。
でも、人が、私が掘って磨く行動をしなければ、綺麗な宝石箱は完成しない。
しかし、期限がある。
時間がくれば砂場から出て行かなければならなくなる。
綺麗な宝石で遊んでいると時間がなくなる。
真っ黒な石を1つ取ってずっと磨いていても、時間がなくなる。
選択は人それぞれに自由である。
しかし、砂場から退去させられる時に、人は、私は満足して出て行けるだろうか。
次回の宝石箱をつくるチャンスはない。
この生きている間しかない。
心の中にある闇は実は光の宝剣、又は光の十字架を内包していると想う。
自分の精神の中の闇を見つけ、闇のエネルギーを抜き取り、闇の芯のデータを解析した時、闇の芯は光の宝剣、十字架に変わるのではないかと考えている。
自分の闇の芯を解析し光のデータに変えることは理解するということ。
闇から出てきた光の宝剣や十字架とは、聞こえはいいが、罪を犯したことへの悔い改めとして、その宝剣を飲み込むことができるか、十字架に自ら昇ってかかることができるか、
を選択することになる。
飲み込む覚悟がいる。覚悟を飲み込む。受け入れる。
心の闇の原因は、先祖の因縁や過去のトラウマや家庭環境など多種があっても、自分の中にあるものだから。
自分にしか処理できない。
自分だけができる。
生きている間に。 考えられるからです。
闇は自分では処理できないエネルギーを私を通して、浄化の光に処理してもらい、芯のメカニズムを解析できた段階で、光のデータに変換され、闇は消滅する。
『全部の闇は、全部の光に成る。』
『ただし、拒否した闇は消滅させられる。』
人も神も宇宙も同じ様にできているなら、自分の宇宙を光の宇宙に変えるノウハウ(方法)をマスターすれば、次は実際の宇宙にも適応できる気がするのです。
この地球を光の地球に、この宇宙を光の宇宙にするのは、人ができる。
そんな冒険みたいな楽しい物語が実際のこの現実世界だとしたら、お金(マネー)の世界こそ虚構の世界でした。
願わくば、
真実と真理が開示され、
後悔なき人生が送れますように。
ミエル
2011年7月20日(火)12:25
1、聖別の嵐
昼休み休憩中に、ちょっと目をつむりました。
台風が近づく強風の風の音を聞きながら、ウトウトしたら
『聖別の嵐』
と聞こえたというか、ウトウトした眠りに入る暗い闇に
上記の『聖別の嵐』の文字が光る漢字として浮かんで見えました。
2、女神の死体
夕方16:15ごろ、仕事関係の本を読んでいたら、目は文字は追っているのに、眠くなりだして
「『川辺に流れ着いた、綺麗な女神様の死体』が見えました。
それを私は避けたかった。と思ったのですがその瞬間に
『それでよい。定められた通りのことである。女神は定められた通りになったので、これで報われる。』と聞こえてきました。」
―――そんな一瞬の映像と声の、想いの夢みたいなシーンを見ました。
3、男神の死体の映像と天のしるしの現れ
20:15ごろ、お風呂に入っているとこれはたぶん私の想像ですが
「次に男神の死体の映像を見るだろう。
その時、天にしるしが現れる。
万人にわかる様に長期に天にしるしが現れる。
天と地と人がつながっていることを、昔からいわれてきたことが本当だったと
人は自覚するだろう。」
そんな感じが頭に浮かびました。
上記の内容は私のメモであります。想像の物語です。
でも、自分では精度の自信は、1が70%、2が50%、3が5%
でした。
とりあえず、台風が近づくにつれ、心臓が高鳴るので、メモとしてブログに残しておくことにしました。
この台風はたぶんいつもの台風とちがう。なにかちがう、なにかを運んできたような。
日本上空で急速に勢力が衰えたら、そのエネルギーは日本の中に入ったと考えられるでしょうか。
たぶんこれで眠れるかな。
ミエル
2011年7月3日(日)
親友が和歌山県の熊野那智の滝が見たことがないという話から、では熊野様からお伊勢様まで参拝に行こう。ということになりました。
3日朝早くから2人で軽車で出かけました。
京都から京奈和自動車道で奈良を抜け、十津川村から熊野大社へ。次に熊野速玉大社に参拝し、大きな磐座(いわくら)のある神倉神社に登りました。
次に熊野那智の滝に向かい、先に熊野那智大社と青岸渡寺(西国三十三ヵ所一番札所)に寄りました。なんとなく思っていましたが、ここではよく歩きました。
お寺から道を降りて行って、有名な那智のお滝をすぐそばで見て、自然の雄大なエネルギーを感じました。
その後、伊勢外宮に向かいました。
伊勢外宮では正宮にお参りした後、トヨウケの大神様の荒御魂の多賀宮にお参りした時は小高い坂を登るところから頭が痛くなりました。(孫悟空のわっかの部分)
イカリとシンパイの混じった感じのもどかしさみたいな、痛みでした。
土宮に来るとなんか光っているなと思ったら、一斉に蝉がものすごい声で鳴き出して、カラスも一緒に鳴き出したので、これでいいのかなと思って、土宮と風宮にご挨拶した後、アマテラス大神様の内宮に向かいました。
夕暮れ、16:20ごろ到着。親友のもう一つの目的が赤福本店で赤福を食べることでした。
2人車を降りて、正宮でご挨拶して、次アマテラス大神様の荒御魂の荒祭宮様に向かおうと正宮を出た時、ポツリと雨が降って来て1分もしないうちに激しい夕立ちになりました。
親友は「どうする?」と言ってきたので、「荒祭宮には絶対に行く。」と私は言いました。
私の折りたたみに小さな傘が1つしか持っていなかったので、親友のカメラを私の鞄に入れて雨から守り、親友はびしょ濡れで、私も半分濡れていました。
荒祭宮の近くでは道や階段は川の様になり、頭の上で雷が何度も鳴り響いていました。
荒祭宮に着いてお参りを済ませ、ひょっとしてと思っていたのですが、早いところ宇治橋まで急ぐと、橋に着くころには雨はかなり小雨になりました。
17時10分で赤福本店の喫茶営業も終わり、「もうちょっと早かったら。ごめんなさい。」と私は親友に謝り、親友は「では次回来る時のお楽しみということで取っておこう!。」と言ってくれました。
親友は、おかげ横丁で買いたかった伊勢うどんとタレがお土産に手に入ったので、満足してくれていました。
内宮外宮の荒御魂様のところでは、自然のものすごいダイナミックなエネルギーに会い、人間のコダワリやワダカマリなど一発で消し飛ぶなとひしひしと感じて、また那智で持ってきたダルイ感じはなくなり、身体も頭痛もスッキリしていました。
変な面倒くさい精神はなくなり、元気になりました。
帰りは道は空いていて、2時間で京都に着いたので、軽車をしまって、20時には近くの居酒屋に入りました。
親友も僕も楽しいドライブと参拝の旅路に乾杯しました。
やはり修験道は歩かされる。
でももう「修行の時代は終わる。」
人間のコダワリと築き上げた思い込みたい世界(これが幸福だと信じたい)など、天の理から反するものは一発で消し飛ぶ。
昔の人は畏敬の感があった。
今は畏敬という言葉も忘れ去られ、科学や技術や知恵は自然をコントロールできると思いたいらしい。
しかし、地震国火山国の日本において、地震から逃げることなどできない。起これば膨大な自然のエネルギーに人間の力など無きに等しい。
原子の力を人間は制御できると思いこんでいる。それは無責任な楽観論である。
オリオン座のベテルギウスは爆発寸前で、地球から640光年の彼方にあるため、既に爆発しているかもしれない。その爆発の光が地球に届けば、心配なく無事なのか、それとも大量の宇宙線によって太陽系の地場がどうかなって、人間に生物に影響を与えるのか。
わからない。なってみなくてはわからない。― だから起こらない。のとはちがう。
文明は、長く続いた高度な文明でも、滅びゆく時期を知らなかった。
後世の文明は今までの文明が滅びた歴史を知っていても、自分の文明が滅びるとは思っていない。
新約福音書に「その日その時は、誰も知らない。唯一の神のみが知っている。だから常に目を覚ましていなさい。」とイエス様はいわれている。
でも人間は今の生活理念を優先にコダワリ、他の人の理念をネタミ、ソネミ、バトウ、ノノシリ、ハイジョする。
それは自分が全く正しいと思っているからだ。
でも真実は思い込みたいだけであり、本当の真理の前では、審判の前では、傷つくのが怖いからである。
「せめて、
人として唯一の神の
真理と神組み(しくみ)を正しく知って理解し、
死んでゆく者こそ、本当の幸福な人なのかもしれない。
それは唯一の神の大いなる愛の慈しみを理解した存在すべては
至福の感動に至るからである。」
ミエル
2011年6月30日(木)
1、『日本の経済に流れ込むエネルギーを停止する。』
2、『アメリカ発端、同様に。』
みたいな感じで聞こえました。(仕事をしていたら急に)
最初の1は確かにそう聞こえました。
2は日本だけかなと思ったら何となく、聞こえた感じでした。
『価値観の転換期』
いよいよ経済とマネーのエネルギーは停止され、新たな価値観が取って変わる。
今までの世界価値と大幻想を維持していたエネルギーは停止され、そのエネルギーを使用していた方々は退場される。
『これは唯一の神の唯一の物語である。
それを実行する為にプログラムがあり、現実化する為に聖なるエネルギーがある。』
新たな価値観とは 『精神の高さ』 という答えが浮かぶ。
『精神の高い人』 ほどエネルギーは高く、すべてが実現化しやすく、幸せに近い。
その分、正しき知識も知っているし、責任も重い。
そして光も闇も良く知っている。
最後に審判されることも知っているし、覚悟もできている。
逆に 『精神の低い人』 は苦しむだろう。
知りたくないことを知ろうとしないから。
知ってほしい天の真理と知識をまっすぐ知ろうとしないから。
天はその愛で正しい知識を認識させようとする。
人は都合の良い様に歪んで解釈し、思い込む。
しかし、天の摂理はその歪みを戻す為、あらゆる働きかけをして、その人を眼覚める方向に持ってゆく。
タマシイはそれが 『天の愛』 であると知っているのだ。
でも古い世の価値観と関わった周囲の人の義理だてのせいで、タマシイの信号は消され、死んだ後、その行為と責任が追及される。
人の中で、「本当の天の真理と真実を教えてほしい。」という叫びと、「今までの生きて経験した人生の真理と真実を放したくない。」という恐怖が、交差する。
時間が過ぎ人生の時間が尽きる。
この間違った価値観を維持してきたエネルギーが日本から停止され、新たな本当の価値観を育てる為に、聖なるエネルギーが注ぎ込まれる。
それは『天の愛』。
いつ?
もう始まっている。
転換は既にはじまっている。
なぜなら日本の人は身近でも、考えたことは即、実現化となっているでしょう。
否定的なことは、望みの逆転として実現化しているでしょう。
肯定的なことも、望み通りに正しく実現化しているでしょう。
全ては望んだことが即、実現化される日本になる。
要はその仕組み(メカニズム)がわかっていないので、コントロールが効かないのです。
精神学にその方法があります。
正しく知り、考える方法を身につけなければ、そして行動しなければ、彷徨い続けることになる日本。
救えるのは 『精神の高さ』 いう答えにどうしてもなるのです。
ミエル
『マッチを擦って火が点く。』
映像がみえました。
少し前から頭の中に、たぶんタマシイにロウソクみたいな芯があり、そのタマシイの芯に審判の火が灯る。
そんなイメージでした。
審判の火は1人1人の外と内の両側から燃え広がり、聖なる水では浄化できなかったものを全て燃やしつくす。
隠していたものは自らが申告せねば、自らこころを焦がし苦しくてつらくて、真実と真理を語り、謝り、悔い改め、唯一の神の正義の方向に進路を変えるようになる。それしか助かる道はない。しかしこれが本当の愛でもある。みたいな感じ。
『 人間の道理をこえて
唯一の神の真理を正義の道を歩む者にのみ
幸福がやってくる。 』
人にとって幸福とはなんだ。幸せとは何ですか。
戦時中は生きることが、命のあることが幸福といわれた。
ダーウィンは生き残った種は、生物が環境に適応したものであるとした。
世界の支配者は生き残ったものが勝者だといった。
自然界は助け合いの共存のバランスであるのに対し、経済界は競争の中で勝者が幸せ者と思い込まされた。
人は生まれる前のことに興味があり、死んだ後にも興味があるのに、宗教は正しき真理を追究しても、自分の都合のいい部分だけしか取り入れずに教義とした為に、生きてゆく人の人生において何が正しく、正しくないのかを示ないで、混乱だけを残している。
審判という言葉を削り去り、陰徳を積めば罪は消えるとする。
大きな根源神に融合すれば全部救われるとする。しかし1人がそうなったとしても地球が救われるわけではない。救世主が1人来ても、たぶん人は救世主に全部の責任を押し付ける。
自分が神になりたい人は良き想いで、自分のルールで人を導くがいずれ、他人の闇の処理を任され、失速する。
人は生まれる前には、生まれたらこんなことをして人生を役に立てたいと誓って生まれてくるらしい。
でも生まれてきたら忘れている。生きることが最優先で、家族を養い、働きお金をもうけることが最優先となる。
次第に物で満たされ、精神性よりも物の環境が重視され、家族も増え、やがて死を迎える。
自分は幸せであった。と死んだら褒められると思って死んで行くのだろうか。
残った身内を自分が見守り、導くと思って死んで行くのだろうか。
それとも自分の人生はこれで良かったのか?と自問自答しながら死んで行くのだろうか。
死に行く先の出来事を知らないから、わからないと人は言う。
その前に一生懸命生きろと教えられる。
生まれる前に約束してきたことはできていなければどうなるのだろうか。
問われるのだろうか。
一生懸命生きていたなら、できていなくっても許されるのだろうか。
人は誰も、些細なことをでも数えると罪を犯してきている。
罪を許されるのか。
神や仏が罪を許して下さるのか。
そんなことはないだろう。
『 天に正しきルールがあるなら、正しく裁かれるのが本当の幸福である。』
人はまた生まれ変わりたいと思うのだろうか。
チャンスがあるなら人としてやることを約束して生まれ変わり、そして生まれて約束事を忘れて、死んで、また約束して忘れて、と繰り返すのだろうか。
永久という言葉が好きな人はこの可能性が付きまとう。
よくよく考えて日々の人生の中で、
願わくば
『 「ある未来」という時間を、
「現在」の私が、
「光の過去」に確定させる。 』
そんな作業がどうかうまくいきます様に天に祈っております。
ミエル
『光の精神に成る。』3、2011年05月31日
2011年5月29日(日)
『日本を、精神学と最終知識を基軸(ベース)に、新しく創りかえる。』
『日本は、新たな光で、新しく創り替えられる。』
とお腹の下の方から湧き上がってきた感じがしました。
他方で
『上記の内容を皆さんが全員一致同意されています。』
と湧き上がってきました。
『この結果を受け入れよ。』といわれています。
『わかりました。
上記の内容を全て受け入れます。
よろしくお願い申し上げます。』
とお返事をしました。
《精神学と最終知識がもたらす新たな光とは、闇のエネルギーを無効化し、闇の本質の根本原因を光のデータに変えて、浄化してしまう新たな光(聖なる光)である。》
『新たな光(聖なる光)で浄化されたそのあとは全て活力が生まれ来る。』
新たな光(聖なる光)で浄化されるということは
人の脳も身体も心も魂も精神も、土地も水も空気も動物も植物も昆虫も、自然も、空も海も山も、そして地球も
清められ清浄になるだけでなく、
新たなエネルギーで満ちみち、明日を創造する活力が生まれ来ることをである。
『正しい道を、生きて明日を創り、正しく死んで去りゆく、ことができる活力エネルギー。』
それは新たな光、聖なる光、浄化の光、といわれ
それが、精神学と最終知識の与える光。
誰でも学び、与えられ、活用することができる、光である。
これは長い間、しいたげられたものが待ち望んだ光。
ミエル
『光の精神に成る。』1、2011年05月18日
2011年5月16日(日)に和歌山サロンでのライト療法講習会に行ってきました。
感想は口に出して言わなかったけれど、講習会が終わったころには、身体が楽になっていました。今でも身体のその楽な感じが続いています。
たぶん胃か内臓の部分の治療の所で、首肩腰と楽になったと思います。
S・B・Mや整体やストレッチでは取りきれない、身体のダルさ・辛さ・痛みが、全くではありませんが、かなり無くなりました。
すぐわかります。すぐ楽になるからです。ただ万能ではありません。身体の原因となる症状の改善に効果があります。(ハリポン先生)
またこのライト療法の良いところは自分の家で、できることです。
対放射能の効果(免疫系を上げる)やひょっとしたらDNAというか細胞への光の進化促進にも効果があるかも知れません。
ただハリポン先生曰く、あくまでもS・B・M組み合わせることにより、効果をあげる。
と言われていましたので、精神的理由による身体の症状の改善には向いていないく、またそれはS・B・Mが効果的です。
しかし、私としましてはストレスによる胃、内臓のダメージが首肩腰の痛みを引き起こしていたならば、かなり痛みが消えて元気になれたのは、ライト療法の成果の証拠として実感できました。
ライト治療院の『ライト療法』+『S・B・M』をおススメ申し上げます。
ひょっとしたら、ちまたでアセンション本コーナー等で言われている、光の身体になるという方法が、『ライト療法』+『S・B・M』であり、天から降ろされた予告された技術なのではないか、という気がしています。
ハリポン先生様、愛hibiki様、お世話になり、誠に本当にありがとうございました。
助かりました。本当にありがとうございました。
『光の精神に成る。』2、2011年05月18日
『問う』
と一言お腹の底から聞こえました。(5/17昼前くらい)
わかりました。たぶん。
生きている人間は死んだ後、魂になって、問われる。
・第一に、その魂が生まれる前から託された『使命』が完了できたのか。
・なぜ、『使命の完了』ができなかったのか。
・記憶された思考、決定、行為、言動、等を、なぜその方向に選んだのか。
・なぜ、うそをついたのか。
・なぜ、真実を隠したのか。
・なぜ、やると言ったのか。
・あなたのやってきたことは、本当に善だったのか。
・本当の真実を考えて、正しい知識を持って、人生を処理したのか。
・なぜ、信じ込んでしまったのか。
・家族を守ったか。
・世間を守ったか。
・隣人と仲良くしたか。
・恨んだか、憎んだか、妬んだか。
・※要は天のルールに沿った生き方をしてきましたか。
人生で選んだいろいろな分岐点の理由とメカニズムを『問う』ということなのでしょう。
私が昔からよく言われたのが、逐一考えるなということでした。
おシャカ様は考え抜かれて、悟りを得られた。しかし今の仏教や神道、修験道では、考えないほうが、精神界から知識を与えられ、得られて、実践することが望ましいみたな風潮で揶揄される。
誠に正しい事柄は正しい知識に照らされ、本当の真理に繋がっているはずである。
ならばツジツマが必ず合う、はずだと思います。
そのツジツマを検証しようとすれば、それは精神界から伝えた存在を疑うことになり、延いては神を疑うことになる、となるのでしょう。
しかし、その間違いを教えたものも、信じたものも
全て『問う』ということです。
真の創造主は
『信じるな。』といわれる。
『検証せよ。』といわれる。
『必ず確信に至る。』といわれる。
しかも生きている間にしかできない。
これからの時代、「生まれ来る前の世界」と「死に逝く後の世界」に知識の光を灯し、本当の真実と実態を生きている人が、世間が知る必要があります。
なぜならば、よく生まれ、よく生き、よく死ぬということは、
「生まれ来る前の世界」と「死に逝く後の世界」をツナグのは、ひとりの人生
だと思うからです。
願わくば
『生まれ来る前の世界』と『死に逝く後の世界』の真実と実態を
そして『審判』及び『最後の審判』の真実を
どうぞ、人に世間に世界に、お教え下さい。
どうかどうか、お願い申し上げます。
ミエル
2011年04月05日
『聖母マリア様』
この一カ月ほど前から聖母マリア様のイメージが頭から離れない。
イメージは最初、
①、4~5名のシスターが古い小さな教会の裏の畑みたいな土地で、地面に下を向いて立って、1人の代表と他の者で祈っている姿
②、聖母マリア様の姿(子を心配そうに見守る)
③、ローマ法王の姿
この3枚のイメージが同時に浮かび、特に②の聖母マリア様の絵が一番大きくて消えない。
言いたいことはたぶん「正しい知識(真理)の確固たる信じる心、揺ぎ無い心」みたいでした。
人は普通に暮らしていても、御利益、結婚、出産(生)、死、その目的に合わせて、神や仏に対して願う相手を変えています。もし、大惨事になったらどの神、どの仏に願うのでしょうか。
日頃は大惨事を避けるためにどの神や仏に祈るのですか。そして大惨事に遭遇すれば、その神や仏を恨むのでしょうか、またはあきらめるのでしょうか。
この日本の土地はクニトコタチの御神体であり、この岩盤の上に神社もお寺も教会もみんな成り立っている。もしクニトコタチが立ち上がれば守って下さいとお願いしていた神や仏など(建物など)、ひとたまりもない。
ひとたまりもないのに守ってあげるよと言った、神や仏や霊たちは子孫や氏子に対してうそを言っているのか、それともなるべく願いを聞き入れようとして努力しているだけなのか。本当の真実、真理を知っている神、仏、霊ならば、子孫や氏子に真実を教えてあげるべきだと思います。
間違った解釈をして死んでいった神や仏や人たちは、霊となってもその信仰を正しいと認識し、正しいからなおさら何百年経っても働きかけてきます。
聖母マリアの心配そうな顔は、大災害が自分や家族に友人に起きた時、本当の正しき真理(知識)をもって、揺ぎ無い心で立ち向かえますか?
今までのあなたが家族が守ってきた生き方や知識や信仰は、間違ったものなので、それを認め修正できますか?
もし修正できないのなら、正しき考え方に生き方に変えられないのなら、変えられる時まで天地は連動し災厄難事を予告通りに実現するでしょう。
しかし改められたなら、御国はその後にやってきます。
そんな感じでした。(心配この上ない感じ。でも油断はできない感じ。)
日本の人は良く考え、価値の大転換をしなければいけないと。生き方、人生、死の基準となる価値を正しき知識に照らし合わして方向を転換せよ、と言いたげな感じです。
私は最後の審判の、最後の一厘の後に来る御国の世は、ひょっとして神も仏も悪魔も霊も人も都合よく、期待していたものとは少し違うものではないか、というそんな気がしています。
最後の審判では神も仏も悪魔も霊も人も、間違った考えや行いや言葉は否応なく指摘される。認めて修正するか、しないかは自由です。
しかし修正するなら間違っていた部分は悔い改めることになる。受け入れたものには御国の世に働けるチャンスがある。
修正しないなら地獄行き。(問題は自分が正しいと認識しているから、正しい自分が地獄に行くなんてありえないと。いつまでも罪を認めない意固地さが苦しみを増大させていることに気付かない。)
願わくば、どうかどうか、日本国のツミ・トガ・ケガレをハライタマイ、浄化してください。
そして聖なる光の風をもって人の扉を開けてください。
全ての人が聖なる光の風吹くおやしろとなりますように、お願い申し上げます。
日月神示
『理(リ)が(カミ)の御能(オンハタラキ)ぞよく見極めねば間違うぞ。』
ひふみ祝詞 (※太祝詞)
「ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のます、あせゑほれけ」
中臣大祓詞
高天原(たかまのはら)に神留(かむづ)まり坐(ま)す皇吾親神漏岐神漏美(すめらがむつかむろぎかむろみ)の命以(みこともち)て八百萬神等(やほよろづのかみたち)を神集(かむつど)へに集(つど)へ給(たま)ひ神議(かむはか)りに議(はか)り給(たま)ひて吾皇御孫命(あがすめみまのみこと)は豊葦原瑞穂國(とよあしはらのみずほのくに)を安國(やすくに )と平(たひら)けく知食(しろしめ)せと事依(ことよ)さし奉(まつ)りき此(か)く依(よ)さし奉(まつ)りし國内(くぬち)に荒振神等(あらぶるかみたち)をば神問(かむと)はしに問(と)はし給(たま)ひ神掃(かむはら)へに掃(はら)へ給(たま)ひて言問(ことと)ひし磐根木根立草(いわねきねたちくさ)の片葉(かきは)をも事止(ことや)めて天(あめ)の磐座放(いわくらはな)ち天(あめ)八重雲(やへぐも)を伊頭(いつ)の千別(ちわき)に千別(ちわき)て天降(あまくだ)し依(よ)さし奉(まつ)りき。
此(か)く依(よ)さし奉(まつ)りし四方(よも)の國中(くに なか)と大倭日高見(おほやまとひだかみ)の國(くに )を安國(やすくに )と定(さだ)め奉(まつ)りて下津磐根(したついわね)に宮柱太敷(みやばしらふとし)き立(た)て高天原(たかまのはら)に千木高知(ちぎたかし)りて皇御孫命(すめみまのみこと)の瑞(みづ)の御殿仕(みあらかつか)へ奉(まつ)りて天(あめ)の御蔭日(みかげひ)の御蔭(みかげ)と隠(かく)り坐(ま)して安國(やすくに )と平(たひら)けく知食(しろしめ)さむ國内(くぬち)に成(な)り出(いで)む天(あめ)の益人等(ますひとら)が過(あやま)ち犯(おか)しけむ種種(くさぐさ)の罪事(つみごと)は天津罪(あまつつみ)と畔(あぜ)放ち(はなち)溝埋(みぞうめ)樋(ひ)放(はな)ち頻蒔(しきまき)串刺(くしさし)生剥(いきはぎ)逆剥(さかはぎ)屎戸(くそへ)許許(ここ)太久(だく)の罪(つみ)を天津罪(あまつつみ)と法り別(のりわけ)て國津罪(くにつつみ)とは生膚斷(いきはだたち)死膚斷(しにはだたち)白人(しろひと)胡(こ)久美(くみ)己(おの)が母(はは)犯(おか)せる罪(つみ)己(おの)が子(こ)犯(おか)せる罪(つみ)母(はは)と子(こ)と犯(おか)せる罪(つみ)子(こ)と母(はは)と犯(おか)せる罪(つみ)畜(けもの)犯(おか)せる罪(つみ)昆虫(はうむし)の災(わざわ)ひ高津神(たかつかみ)の災(わざわ)ひ畜(けもの)仆(たう)し蠱物為(まじものせ)る罪(つみ)許許(ここ)太久(だく)の罪出(つみいで)む。
此(か)く出(いで)ば天津宮事以(あまつみやごとも)ちて天津(あまつ)金木(かなぎ)を本打(もとう)ち切(き)り末打(すえう)ち断(た)ち千座(ちくら)の置座(おきくら)に置足(おきたら)はして天津菅麻(あまつすがそ)を本刈(もとか)り断(た)ち末刈(すえか)り切(き)りて八針(やはり)に取裂(とりさ)きて天津(あまつ)祝詞(のりと)の太(ふと)祝詞事(のりとごと)を宣(の)れ。
(※太祝詞をこの間に祈りあげてもよい。)
此(か)く宣(の)らば天津神(あまつかみ)は天(あめ)の磐戸(いわと)を押披(おしひら)きて天(あめ)の八重雲(やへぐも)を伊頭(いつ)の千別(ちわき)に千別(ちわき)て聞食(きこしめ)さむ。
國津神(くにつかみ)は高山(たかやま)の末低山(すえひきやま)の末(すえ)に登(のぼ)り坐(まし)て高山(たかやま)の伊褒理低山(いぼりひきやま)の伊褒理(いぼり)を掻(か)き別(わ)けて聞食(きこしめ)さむ。
此(か)く聞食(きこしめ)してば罪(つみ)と言(い)ふ罪(つみ)は有(あ)らじと科戸(しなど)の風(かぜ)の天(あめ)の八重雲(やへぐも)を吹(ふ)き放(はな)つ事(こと)の如(ごと)く朝(あした)の御霧夕(みぎりゆうべ)の御霧(みぎり)朝風夕風(あさかぜゆうかぜ)の吹(ふ)き掃(はら)ふ事(こと)の如(ごと)く大津辺(おほつべ)に居(お)る大船(おほふね)を舳解(へと)き放(はな)ち艪解(ともと)き放(はな)ちて大海原(おほうなばら)に押(お)し放(はな)つ事(こと)の如(ごと)く彼方(をちかた)の繁木(しげき)が本(もと)焼鎌(やきがま)の利鎌(とがま)以(もち)て打(う)ち掃(はら)ふ事(こと)の如(ごと)く遺(のこ)る罪(つみ)は在(あ)らじと祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)ふ事(こと)を高山(たかやま)の末低山(すえひきやま)の末(すえ)より佐久那太理(さくなだり)に落(お)多岐(たぎ)つ早川(はやかわ)の瀬(せ)に坐(ま)す瀬織津比賣(せおりつひめ)と云(い)ふ神大海原(かみおほうなばら)に持出(もちい)でなむ。
此(か)く持(も)ち出(い)で往(い)なば荒潮(あらしほ)の潮(しほ)の八百道(やほぢ)の八潮道(やしほぢ)の潮(しほ)の八百曾(やほあひ)に坐(ま)す速開都比賣(はやあきつひめ)と云(い)ふ神持(かみも)ち加加呑(かかの)みてむ。
此(か)く加加(かか)呑(の)みてば息吹戸(いぶきど)に坐(ま)す息吹戸主(いぶきどぬし)と言(い)ふ神根國、底國(かみねのくにそこのくに)に息吹(いぶき)放(はな)ちてむ。此(か)く息吹(いぶき)放(はな)ちてば根國、底國(ねのくにそこのくに)に坐(ま)す速佐須良比賣(はやさすらひめ)と云(い)ふ神持(かみも)ち佐須良比失(さすらひうしな)ひてむ。此(か)く佐須良比失(さすらひうしな)ひてば罪(つみ)と云(い)ふ罪(つみ)は在(あ)らじと祓(はら)へ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)へと白(まを)す事(こと)を天津神國津神八百萬(あまつかみくにつかみやほよろづ)の神等共(かみたちとも)に聞食(きこしめ)せと白(まを)す。
ミエル