Vol.597

反消費税、解散総選挙という選択

平和な内戦状態に突入しているこの日本という国の未来は、もしかすると、いま進行中の安倍政権への退陣要求というマスメディアのつくり出した虚構の世論に呼応する勢力の勝利という形で閉ざされるのかもしれません。
この世界そのものが、そういった勢力に支配されている時空なので、彼らはここで、日本列島そのものを再び、あの敗戦後の精神状況に落とすことで、日本の覚醒を阻止できると知っているからです。
ここで、最後の一厘のプログラムは、九分九厘まで、絶望的なところまで、この日本が追いつめられることで発動するという予告を思い出していただければ、今回のことで、安倍政権が退陣に追い込まれても、それもまたしくみということになります。普通、私はこのような政局がらみのことを記すことはしないのですが、対北朝鮮の問題でアメリカ訪問中の安倍首相が、現状の根拠なき退陣包囲網からの脱出のために、二千二十年プライマリーバランスの黒字化という決定を廃して、近々に迫った消費税の十パーセントへの増税をしないことを国民に問うという主張で、解散総選挙に打って出る可能性があるとみています。
野党の議員にとって、それは、たぶん悪夢になるはずです。
同時に、戦後日本の支配システムの一部として機能してきたことで、いまだに大きなパワーを保持しているマスメディアにとっても、大きな試練になるはずです。普通の日本人の意識というものが、かつて、テレビ局の番組制作の担当者がいったとされる小学校高学年程度のまま留まっているのかどうかが、たぶん、そこで問われるからです。
戦後の日本で、マスメディアは、いくつもの政権を葬ってきました。そのいちばん象徴的な人物が、田中角栄ですが、不思議なことですが、精神学協会というか、私の頭の中には、当時の取り調べの担当検事からのデータや、当時の田中首相のいちばん近くにいた人物からのデータが、インプットされています。
精神界は、それらの歴史に無関心というわけではないのです。現実に、あの大東亜戦争の死者たちの霊も、この世の動きに無関心ではないという、報告を、私はこれまで何度もしてきました。そして、今回、このようなことを記すこととなった理由も、この四月十五日に、九段の靖國神社を訪れたことと関連しています。
靖國の英霊たちが、光のものとしてはたらきはじめるタイミングが来たというのが、その場における、正直な私の印象だったのです。
すると、何が起きるのでしょうか。
英霊は、英霊として生きることができる世がくるということになります。
多くの日本人が、その霊的接触に出会うと、死んだら終わりと信じて生きてきた、団塊の世代を中心とした唯物論を主張する政治勢力のパワーが減少していくことにつながるのです。
これは、宗教の問題ではありません。人間のたましいのあり方の問題なのです。一神教の世界観から生まれた、共産主義というものを信奉することが、進歩的に見えたり、科学的だと考えられたりした時代に生きて、そこから学ぶことのできない人間のたましいが、行くべき場所がないという時代がこれから本格的にはじまるという時が、もう目の前に迫っています。
精神界を否定する人間たちの未来と、たましいの不滅性を信じる人間の未来は違うということに、そろそろ、多くの日本人が気づきはじめるはずです。もしかすると、次の総選挙で問われるのは、そういう未来なのです。

二千十八年四月十九日 積哲夫 記