Vol.593

幕末の既視感

キリスト教文明を破壊するというイデオロギー的テーマを持っていたコミュニズムによる世界支配という文脈から生まれた、旧ソ連邦の中核だったロシアで、大統領が再選され、ここでもまた、王制が復活しようとしています。その前に、崩壊前のソ連邦と同じ共産党による一党支配が続く、中国で、任期の定めのない国家主席の地位が認められ、それもまた、ある種の王制です。それに先行して、かつて、日本が併合した朝鮮半島の北部では、戦前の大日本帝国末期の天皇神格化をそのまま真似た朝鮮労働党の金王朝と呼ばれるある種の王権が成立しています。
ここに、歴史のパラドックスが示されています。それは、科学的と称し続けた共産主義のイデオロギーが、結局のところ、人民を解放するどころか、かつて、その地域を支配した悪しき王朝、または王権のようなものの相続しかできなかったという冷徹な事実です。
西欧の歴史学者は、この現実を解説するために、どのような論理をこれから組み立てるのでしょうか。これに対する、私の解説は簡単で、ひとつの文化圏を形成した地域においては、人間の頭でつくった西欧近代のモデルは、定着しないということです。
私には、今の日本の情勢を、ほとんど、幕末の精神状態の再現のように見えています。なぜなら、幕末の大陸における清王朝は、欧米には、負け続けていたとはいえ、当時の日本のGDPの何倍もの経済規模を持つ軍事大国でした。同じように、ロマノフ王朝のロシアは、世界最大の陸軍を持つ軍事大国でした。当時のアメリカは、まだ、日本と同様の新興勢力に過ぎず、明治の日本が、同盟した大英帝国こそが、世界の秩序を維持する今日のアメリカ的な立場にあった超大国だったのです。
いまの世界は、ドイツを中核にしたユーロとロシアに、中国を加えたユーラシアのランドパワーと、アメリカが、東西に日本とイギリスという連合を組んだシーパワーとの歴史的な対立の構図に移行しつつあり、戦後の日本人が教え込まれたパワーバランスとは異質の世界が生まれているのです。この先の時代においては、戦後をつくった愚かなアメリカ人と、愚かな日本人の歴史感覚では、目的のためには手段を選ばないという共産主義のイデオロギーによって行動する大国としての中国に対抗することはできません。民主主義という手間もコストもかかるシステムによって、国際政治をコントロールするためには、対応に関する時間を担保できるための軍事力の保持が欠かせないからですが、すでに、アメリカには、その軍事的担保力がありません。
もう、パワーバランス的には、戦後は終わったのです。
いまなぜ、朝鮮半島の危機が起きているかというと、アメリカは、朝鮮戦争を戦って、明治時代の日本に、朝鮮半島をまかせざるを得なかった自国の政治的選択が、正しかったことを学んだという事実を思い起こさせる天の配剤という側面もあるのです。アメリカは常に日本を最大の脅威として行動してきました。ニクソンとキッシンジャーのコンビで、米中の急接近の際も、日本を押え込むことが、両国の利益というところからのスタートだったことも、いまとなっては、多くの日本人の知るところとなっていますが、そのアメリカの行動が、これからのアメリカの不幸のもととなっていくのです。
昭和天皇は、日独伊三国同盟に関して、日本は、英米と同様の民主主義なのに、という感想を漏らされたといわれていますが、あの時代も、このクニの官僚システムは、対応する能力を欠いていたのです。ここで、日本神話を思い出してください。タカアマハラは、神話の世の民主制なのです。これからの日本がモデルとすべきは、このタカアマハラ民主制であり、それを世界に発信することが、日本の安全保障につながるというのが、精神界が、この世に伝えたい日本の仕組みの一部なのです。

二千十八年三月二十二日 積哲夫 記