Vol.584

東大法学部の失墜

日本国の未来を考える人間のほとんどは、いまの日本の社会全体のなかのどこから手をつけていいのか、と考えて、多くの場合、無力感におそわれるようです。この光文書の読者であってもそのようなので、一般的には、絶望といってもいい心情に捉われるのでしょう。しかし、私は精神界の代理人として、明治維新以降のこのクニが、どこで間違えたかを、人知によってではなく、神知の側から伝達してきた立場から、すでに、正しい回答をこの世の側に伝えています。つまり、明治百五十年のことし、私が伝えるのは、明治、大正、昭和という開戦に到る前半部と、敗戦後七十三年の後半部は、同じテーマによる試練だということです。
その試練のおおもとは、西欧の概念を移入した憲法なのです。
明治憲法は、誰にも権力を与えないかわりに、誰も責任をとらずにすむという根本的欠陥をかかえていました。昭和憲法は、いうまでもなく、GHQの日本洗脳の中心に置かれ、憲法九条というのは、八条までが天皇に関するものなので、事実上の最重要国家規定です。
明治憲法は、その統帥権という文言を、軍部や野党や当時のマスコミがさまざまに解釈して、戦争への道を整えていきました。天皇が反対の意思を表明されても、国家がその方向に動いたということは、歴史上の事実です。その憲法に、戦争への道を開く鍵が、あったことを、このクニのアカデミズムは語ってきませんでした。
同様に、マッカーサー憲法というべき昭和憲法の目的が、日本を永久にアメリカ合衆国の属州に留めることだという出発点を、一切、無視して、この憲法を正当化するという仕事を、当初はGHQの強い圧力があったにしても、結果として、今日まで担い続けてきたのが、東大法学部というところです。
戦前は、この法学部における、たとえば、美濃部達吉天皇機関説のようなある時期までの日本人の常識のようなものが、天皇を神格化するムーブメントの前に敗れましたが、それは、軍部の暴力に屈したということです。
戦前において、日本の学歴社会において、東京大学よりも上位とされたのは、陸軍大学や海軍大学でした。官界においても、陸軍省や海軍省は、大蔵省に要求する側でした。
戦後、大蔵省は官界のトップに君臨し、政治家をコントロールすることで、事実上の権力を握り続けてきたのですが、その、かつての大蔵省、現在の財務省のキャリアは、みな東大法学部卒です。
この構図からはっきり見えるのは、現在の日本国の司法も、立法も、行政も、東京大学法学部で、現行憲法を学んだ人間グループが、その中心にいるということです。
逆説的にいうと、彼らの頭の中にある憲法と、一般の日本人のイメージのなかにある憲法は、たぶん、異質なものであり、それは、天皇の規定についてもいえるはずなのです。
ここで、世界の常識として、人間界の法のルーツは、もともと神と称するものが人間界に下したものであるということを思い起こしてください。
聖書の「目には目を、歯には歯を」という記述は、天の法なのです。
天または、神の権威によらずに、法を執行できると考える近現代の考え方は、ある意味で、無神論者のものといえなくもないのです。
ここに、ひとつの解があります。
無神論者による、日本国の征服が、ほぼ完成したということです。
そして、最後の最後に、神または神々に従うものたちと、それに反する闇の存在に従うものたちが分けられるタイミングが来ることになっています。人間には、たましいというものがあると信じる人間にとって、無神論者が司法権や立法権や行政権を行使する社会は、闇にほかならないことに気付けば、いま、あるかのように見えている、東大法学部の権威は失墜します。その権威がなくなってはじめて、憲法改正の論議に、一般の日本人の意識が向くことになります。
たぶん、明治維新より、簡単に、このクニは生まれ変われるのです。

二千十八年一月十八日 積哲夫 記