Vol.582

神思考

日本の神社の結界が、いまほど強まっている時代は、ありませんでした。
ただし、その結界がきちんと機能するためには、神心とまではいいませんが、すくなくとも私心のない人間が神職としての奉仕をし続ける必要があります。残念ながら、明治維新の結果として生まれた、国家神道は、日本神界からは認められていないので、かつてのような神界からの託宣が、たとえば、宇佐八幡にくだることもないのです。それらのことがあって、私は、かつて、神界語はやまと言葉であったとお伝えしてきたのですが、そのやまと言葉を使った神界からのメッセージは、精神学協会の正会員プログラムを終了した会員のなかに、受信をできる人間が一定数、生まれています。これらのことは、精神界のプログラムと人間の側のたましいのプログラムが対応し、いま、この時空を共有していることを示しています。そして、実は、日本の神社の神々のわけみたまが、この日本神界の最後の使命として、人間世界に大量に配されています。
その数は、一万十柱と伝えられていますが、一万柱の神々が立つためには、その何倍ものわけみたまが必要なのです。
わけみたまのレベルを、山にたとえると、六合目のみたまならば、ほぼ普通の人生を送れるはずですが、それが、八合目ともなると、覚醒のために試練があることを覚悟しなければなりません。ここに、私の先達のひとりであった金井南龍の、すべての人間は五弁の菊座を持っているという知識を重ねます。
日本人の大好きな桜の花が五つの花びらを持つのも偶然ではないのです。
そして、天皇の紋章は、いうまでもなく十六花弁の菊です。それは、アマテラスの神格をあらわしているとされています。ところが、この十六花弁は八合目というのが、金井南龍が神業で得た神知でした。
日本列島の主宰神は、八合目でいいのですが、この地球の主宰神のレベルで十合目でなくてはならないのです。
精神界の情報でいうなら、それが先の大戦でこの日本が敗けた理由です。
出口王仁三郎的にいうなら、悪神とはいうもののアメリカの神は十合目、日本は八合目では勝負になりません。もし、あの戦争の前に、宇佐に神託を受信できる能力を持つものがいれば、間違いなく、開戦不可、と出たはずです。
明治維新前後から、敗戦に到る過程で出た日本の神懸りのほとんどは、スサノヲ神の筋でした。そこから、多くの宗教団体が生まれましたが、その神格は、さして高いものではありませんでした。
仏教を日本が導入してから、日本神界はある種のヴェールの奥に隠れ、その秘密保持の結界が切れたところから出てきたのが、そうした神々のデータだったともいえます。
神界と人間界との間に仏界を入れたことの意味は、神界にケガレを持ち込まないようにするためだったといえますが、それは、時がくるまで、人知に汚染させてはならないデータだったのです。
これらのことが、すべて最後の一厘の仕組みを発動させるための条件だったわけですが、この二千十八年の年頭に当り、私がここに記述しているということは、精神界のルールでいうなら、事は成った、または、成りつつあるということです。
ここで、さらに重要な告知をします。
いま、神界では、やまと言葉を中核にした、神の心、光のデータに人間をつなぐ新しき言の葉が生まれつつあります。
精神界は波動なのであり、その思考系もまた波動なのです。すると、人間の思考もチューニングすれば、天上にある光のデータ系を受信できるようになるはずです。
この神思考に到る道が、「最終知識」であり、この光文書なのです。
それらの書を読むことで、精神界のデータが、人間の脳に流れるルートが生まれるという伝達が届いています。
新しい神界語が、いま生まれつつあり、それは、ここで使われている日本語がベースになります。世界の人々も、やがて、神界にアクセスするために、日本語を学ぶ日が来るはずです。

二千十八年一月一日 積哲夫 記