Vol.577

アートの死について

人間の創造力に、精神界の関与は必要なのか、という問いかけを多くの人間はしたことがないはずです。しかし、すくなくともキリスト教文化圏においては、ある時期まで、アートは科学と同様に神と人間をつなぐためにはたらくものと考えられていました。ダ・ビンチもミケランジェロも、ローマ教皇庁の主張する神の存在についての解釈の上に自分たちの作品をつくっています。
西欧の近代は、ある意味で、このローマ教皇庁の独占した神の権威に挑戦する人間グループの意識の覚醒によって、はじまったともいえます。
キリスト教の神の絶対的権威は、ここで人間社会に育まれた疑いの念によって、試されます。歴史を調べてみれば、面白いことに、この神の権威が揺らぐ期間に、神の名によって、世界を分割し支配するという後の植民地時代の先駆けとなるムーブメントが発生したことがわかります。
ヨーロッパは神の名で、世界を分割しましたが、その力の源泉は、科学技術という、やがて、その名で神を否定するものとなる新しい人知の分野でした。
この時代の先兵として日本列島にあらわれたのが、スペインに母体を持つイエズス会でした。
このイエズス会は、ローマ教皇庁が、ルネッサンス期の建築や芸術作品の財源に充てるべく発行した免罪符に対する、市民社会のプロテストによって揺らいだ権威を復活させるという大きな目的を持って、世界に進出したのでした。こうした、世界中の土地を神の名のもとに侵略するというのが、今日まで続くヨーロッパ文明の一面なのです。それが終息するのが、二十世紀でした。
私は、そのタイミングを、第一次世界大戦とそれに続くロシア革命によって、キリスト教の神が死んだという実感を、世界の人々が感じたときなのでは、と考えています。
第二次世界大戦の勝者は、アメリカ合衆国とソ連邦、そして共産中国でした。
結果として、ニューヨークが世界のアートの中心地になりましたが、そこでのアートは、神とは無縁の人間の欲望を反映するものとなりました。芸術作品を生み出す人間は、精神を病み、薬物中毒となるようなベクトルを与えられた時代がはじまったともいえます。それは、神というもの人間の神性というものから、分離独立した人間の精神活動が行きつく先を示しているともいえます。
その意味で、私はルネッサンス期にはじまった、ヨーロッパ文明が生み出した私たちがアートと呼ぶものは、ひとつの死を迎えたと考えています。
では、その先のアートとは何か、なのですが、キリスト教文明をもし引き継ぐ人間が挑戦するとすれば、神の再発見ということになるのでしょう。
一方、これから覚醒する日本文明においては、新しいというより、江戸期の浮世絵であったり、歌舞伎や文楽といった芸能の伝統のなかにある、一種の大衆芸術が再びオリジナルなものとして、登場するのだろうと予測できます。
ロシア革命は、全世界の芸術活動に多大な影響を与え、それは政治や産業の分野で力を失ったいまも、映画や演劇や文学の世界では、そこから脱出できない人間グループが主流となっているといっても過言ではないのです。このアートにおける人間意識は、深く現在のマスメディアにかかわる人間の時代感覚に結びついています。
次の時代を開くような創造性の開花には、我々の意識の上層に存在する次の人知のもとたる精神的なエネルギーの層にアクセスすることが不可欠なのですが、それは、現在のところ精神学を知るものにとっての常識に留まっています。
ただ、日本列島の波動が変わりつつある現在、ニューヨークに現在あるアートのムーブメントの流れが、東京という終着点に向かうある種のターニング・ポイントが近づいているともいえます。
一度死んだアートを、復活させるのが、ここだとしたら、その主人公になるのは、いま、まだ無名の日本人たちなのです。

二千十七年十一月三十日 積哲夫 記

————— お知らせ —————
12月9日(土)16日(土)東京馬喰町のアガタ・竹澤ビル504のゴッドブレイン・スペースで、「ARTとMODEの死と再生」というお話を、午後一時半から、約一時間半の予定でします。参加は無料ですが、両日とも先着二十五名限定です。
詳しくは、左側リンクの、ヴァグリエのホームページでご確認の上、お申し込みください。