Vol.576

イエスの十字架

暗黒の中世が、なぜ、キリスト教に改宗したヨーロッパ圏で到来したのかという人間的な疑問を持つ、多くの人間がたぶん受け入れられないことを、今回は開示することにします。
ローマの属州のユダヤ人の地、エルサレムでイエスは十字架という残虐な刑死をとげました。
西暦五百七十一年に、日本の宇佐の地に顕現した八幡大神は、はじめ、五人行けば三人殺し、十人行けば五人殺すという、強烈な祟り神でした。日本神界の伝達によれば、応神天皇は、聖母マリアの子としてのイエスに対応する存在として、母を神功皇后、父を住吉の神とする存在として神話に登場し、不思議なことですが、現在の皇統は、この第十五代の天皇である応神までは、溯ることができるように日本の歴史はつくられているということです。
もし、この応神天皇であると主張した祟り神が、イエスの現実の姿に重なるとすると、イエスは人類の罪を背負って去った、許すものであり、愛するものであるという、キリスト教文化圏でのイメージとは対極にあることになります。
ここで、イエスの刑死後のユダヤ王国や、ローマ帝国がどんな運命を辿ったのかの歴史を、俯瞰してみてください。
ユダヤ人は国なき民として世界に散らされ、ローマ帝国はキリスト教徒をはじめは弾圧し、やがて、キリスト教を国教にすることによって、ギリシア・ローマの神々を捨て去りました。
こうしてはじまったキリスト教のヨーロッパは、どんどん貧しくなり、やがて、多くの民が文字すら読めぬ、それこそ、羊飼いに従う羊のような存在になりさがりました。
異端の者は火あぶりにされるという、暗黒の中世という時間がそこに存在したのです。私は、それを、イエスの父、または、イエス自身、さらには精霊としての諸存在が、十字架という神殺しの罪に対して地上に下した鉄槌であったのではないかと考えています。このことは、いく度も、天に問うてきましたが、天は常に無言でした。ところが、今回の宇佐八幡での秘密の開示の後に、私の頭に、そのことを光文書に記すという思いが芽生えました。この仮説を記すことの是非を改めて、天に問うと、私個人のひとつの意見としてならば、可という答えを得たのです。
私のもとに集まっている、古代イスラエルや古代ユダヤの情報を集約すると、日本列島には、失われた十支族だけでなく、イエスの十字架後も、次々と、ユーラシア大陸を横切って、移り住む民がいたということになります。
いまでも、東大寺のお水取りの行事に先立って、お水送りの行事をしている若狭湾の遠敷の地には、白村江の敗北の後に日本列島に移住した、レビ族の伝承があり、それは口伝として伝えられてきましたが、精神界の解禁によって、私の許に情報開示されたという事実があります。
すると、宇佐八幡の神が、東大寺の大仏建立に協力したというストーリーも、約二千五百年前に仏陀が出て、人間は神々の上位の存在になれることを実証したことで、イエスの十字架の物語が地上に降ろされたという「最終知識」に記されたプログラムの発動が、この日本でも再現されたという説明が可能になるのです。
歴史は、読み解かれるまで、同じテーマの事象がくり返されるというのが精神学を学んだ人間の視点なのですが、ヨーロッパのキリスト教にプロテストして生まれた人造国家であるアメリカは、約千五百年前に、イエスの教えに近い、君民共治のみくにの原型となるはずだった、日本を、原爆を落とすことで征服し、私がいうところの属州としたのです。これは、あのローマ帝国の行為がくり返されたと、考えるべきでしょう。
日本の皇室が、もし、精神文化だけではなく、イエスの何か、または、モーゼの何かを継承しているとするなら、これから何が起きるかは、歴史が示していることになります。ただ、宇佐に顕現した祟り神は、日本での時間のなかで、学び、祟ったり、復讐したりする存在ではなくなっています。
それが日本の仕組みの一部だとしたら、約束ははたされるということも実感できるでしょう。

二千十七年十一月二十三日 積哲夫 記

————— お知らせ —————
12月9日(土)16日(土)東京馬喰町のアガタ・竹澤ビル504のゴッドブレイン・スペースで、「ARTとMODEの死と再生」というお話を、午後一時半から、約一時間半の予定でします。参加は無料ですが、両日とも先着二十五名限定です。
詳しくは、左側リンクの、ヴァグリエのホームページでご確認の上、お申し込みください。