Vol.574

レビ族と日本

この二千十七年、十一月の三日に、私は宇佐八幡に呼ばれ、ついに、仕組みとしての、八幡神が、なぜ、彼の地にくだり、応神天皇を名乗ったのかの秘密の開示を受けてきました。現在の、宇佐の三つの神殿にまつられている、八幡大神、比売大神、神功皇后は、西暦五百七十一年に、八幡神が顕現されてから、順次、アマテラスとスサノヲのウケヒから生まれたとされる三女神と、応神天皇の母とされる神功皇后の神殿が追加されたものですが、そこには、新約聖書と旧約聖書をつなぐ秘密の情報開示が含まれています。
よく知られているように、宇佐八幡は、日本における神輿の発祥の地とされています。そして、この神輿は、古代イスラエルの移動神殿にルーツを持つものではないかという指摘が古くからありましたが、私が今回、確認したのは、まさにその通りの情報でした。
宇佐八幡は、聖武天皇の東大寺造営にも協力し、大仏に必要とされた金も、神託通りに国内で発見されています。さらに、重要なことは、最澄も空海も、宇佐八幡に深いかかわりを持っているということです。
精神学協会の会員のなかに、古代イスラエルのレビ族の出であるという口伝を継承している人物がいることは、すでに公開していますが、その人物が少年時代に強烈な神秘体験をした永平寺の道元禅師も、私たちの活動のなかで復活され、自らのルーツがレビ族であることを伝えてきています。さらに、私がくり返しお伝えしている、空海の復活もまた、この仕組みのなかにあり、空海が東寺に八幡神を勧請したのも偶然ではないのです。ちなみに、この空海が京都の東寺に、八幡神を勧請した西暦八百二十三年は、神功皇后が宇佐八幡の三之御殿にまつられた年でもあります。
精神学の知るルーツでいうなら、空海もまた、レビ族の出です。
こうしたことを受け入れると、四国の剣山に、ソロモン王の秘密が隠されているという一見、荒唐無稽なストーリーにも、何らかの意図があることがわかります。
要約すると、西暦五百七十一年に、宇佐の地に、八幡神が顕現されたというのは、これによって、古事記、日本書紀が生まれる用意が整ったということでもあるのです。その意味では、このヒノモトの歴史は、聖書の二千年の物語の背後にある、もっと巨大な意志の存在を示しています。
私は、これまでも、ヤワタはヤハウェであるということをくり返しお伝えしてきましたが、そのヤハウェの神格は、宇佐の仕組みでいくと、第二御殿の比売大神に対応しているものです。
これが、私は妬むものである、という神格のルーツを示しているといってもいいでしょう。それは、神格的にいうとスサノヲのツルギから生まれた存在です。
それに対して、八幡大神は、応神天皇として、この世にあった存在です。
つまり、かつて、人間として、この世にいたのです。伝承でいうなら、神功皇后と住吉三神の間に生まれた神の子です。そこに、処女マリアのもとに生まれた、イエスが重なります。
この応神天皇の子が、民の竈の話で知られる仁徳天皇なのですが、イエスが伝えた神の国というものが、もし、地上において出現するならば、ということを考えてみてください。
その治世は、仁徳天皇の神話のようになるはずなのです。
ここで、神武天皇から百二十五代続く、この国の統治の出発点を神話的に改めて解説すると、アマテラスがアシハラナカツクニをまかすことになる皇孫のニニギノミコトに伝えた天壌無窮の神勅というものに、「葦原の千五百秋の瑞穂の国」を「しらせ」と記されています。「しらせ」は知らせであり、治めることは知ることだといっているのです。私が知るところでは、千五百秋は、千五百年です。ここに八幡神が顕現した五百七十一年を足すと二千七十一年となります。
私たちは、すでに、聖書の次の時代に足をふみ入れつつあるといえばいいのでしょうか。

二千十七年十一月九日 積哲夫 記