Vol.572

思想の死

この二千十七年の十月二十四日に閉幕した中国共産党の第十九回党大会で、習近平思想なる言葉が、この世に出現しました。
世界の共産党の歴史のなかで、レーニン思想なるものの存在も、毛沢東思想なるものの存在も、重要な意味を持つものだったということは私も認めるところですが、そもそも習近平なる人物に、思想なるものがあったとは、知りませんでした。
それに先立つ十月二十二日の日本の総選挙において、自由民主党が圧勝しましたが、このクニのマスメディアの多くは、立憲民主党が野党第一党になったことを、さも重要なニュースであるかのようにとり上げています。
しかし、現実にあきらかにされたのは、敗戦後の日本で、大きな勢力を持ってきた、左派と呼ばれるマルクス・レーニン主義思想を政治的信念としてきたグループが、立憲民主党と共産党、さらに社民党というグループの議席数でいうなら、五十五プラス十二プラス二という計六十九という数字でした。
衆議院の定員が四百六十五に減少したなかで、六十九という数字は、約十五パーセントに過ぎません。
私は、この数字と、習近平思想なる言葉の出現で、一般的に左翼イデオロギーと呼ばれている、日本語に翻訳される過程で美化された思想という言葉の呪縛から日本人が解放されるタイミングが来たと感じています。
明治維新は、圧倒的な軍事力で、世界を植民地化していた西欧文明というものの背景にある思想、信条というものを、ある意味で無批判に受け入れ走り出したものでした。
明治の民権運動の次に入ってきた、共産主義というイデオロギーも、世界の人民を解放する偉大な思想のように、日本人は翻訳したといっていいのでしょう。
その時代の日本語がつくった言葉のひとつの代表が、思想という、言葉です。
日本人がつくった言葉なしに、今日の中国共産党の存在はなかったのですが、それに気づくのは、いまある体制の崩壊後のことになるはずです。
これもまた仕組みなのです。
思想という言葉から、日本語の意識エネルギーの領域における、オトダマ、コトダマのパワーが、これから急速に薄れていく結果として、一般の日本社会の左翼的知識人や言論人の影響力が失われます。それは、彼らにそのポジションを与えていたマスメディアというものの衰退と直結しています。
これからはじまるのは、まずヨーロッパに学び、次にアメリカに支配された明治百五十年というタイミングでの日本文明の再構築なのです。
精神界はくり返し、明治維新は百五十年で終わり、日本列島は次の時代に入ると伝えてきています。今上陛下のご意志も、この天の意を反映されていると見れば、いまという時代の特殊性がわかるのです。
次の時代の日本文明を担うのは、今上陛下までの「おおみこころ」を自らのこころとする、新しいタイプの日本人なのです。
この新しいタイプの日本人は、たとえば西欧文明において、ニーチェが語り、ヒトラーが予言した人間モデルとは本質的に違います。それらの新しい人間は西欧文明では、支配者として、出現するかのように想定されていますが、日本におけるニュータイプは、天の意を地に映すために、はたらくものだからです。その先行モデルとして、今上陛下がおられます。
苦難にある民の言葉を、ひざまずいてお聞きになる君主をいただいているのは、人類の歴史上、現在の日本国民だけなのです。
西欧近代の思想というものは、君主を断頭台に送ったフランス革命にルーツを持ちます。その鬼っ子として生まれた、マルクスの共産主義思想もまた、ロシアのロマノフ王朝の人々を殺しました。
日本における、マルクス・レーニン主義思想の信奉者たちもまた、政治的成功を収めたならば、同様の行動に到るでしょう。
それが、ヨーロッパの近代が生み出したさまざまな主義主張の背景にある、妬むものを神としてあがめる人間の行動原理なのです。
日本精神の復興は、この人類の歴史を学び終えた明治百五十年を機にはじまるといってもいいのでしょう。

二千十七年十月二十六日 積哲夫 記