Vol.570

セイバー・スクール

精神学協会を創立して今日までしてきたことは、二十世紀生まれの人間のなかに用意されていた神々のわけみたまを磨くことで、次の人材を育てる教師を養成することでした。そして、そろそろ時間がほんとうになくなってきたので、ゴッドブレイン・セイバー・スクールというものを、二千十八年にははじめるよう、精神界から要請されています。
セイバー・スクールとは、救世主学院ということです。一神教の神学では、救世主をただひとりの人間として、想定しているようですが、ブッダもイエスも人間だったという、精神学の出発点からすれば、人類はみな救世主に到る道を歩むものということになります。
この精神界の指示に、対応するような日本国の現実が、モリトモ・カケ問題であきらかにされた、戦後教育の惨状です。教育者というものの出発点には、やがて大人になる子供たちのモデルとなるような、人格的な完成度が求められるはずですが、子供の頃から、自分や親の利のために偏差値の競争をしてきた人間に、そうした人間性の向上は望むべくもありません。
精神界の伝達によれば、いまの日本の学校で進行していることは、日本人の脳内世界のアメリカ型英語脳への移行なのです。その先にあるのは、君民共治の神性民主主義ではなく、ひと握りの暴力的支配者と恐怖心によって口を閉ざす人民というヒトラーが予言した社会です。この近未来像は、アメリカだけのものではなく、中華人民共和国も、その言語的特性によって同じ道をたどります。
この文明的な危機のために、精神界は私にセイバー・スクールというものをはじめるようくり返し要請していたのですが、どうやら、その用意が整いつつあります。そこにおける教師は、全員が精神学を学んだものとなるはずです。
何を教えるかというと、人間は、まず自分という小宇宙の救世主たる自覚を持って生きるということです。その小宇宙は、この物質的宇宙にリンクしていることと、その物質的宇宙に先立つものとして、精神的なエネルギーの場があることを理解すれば、人類の次の時代の扉を開く鍵は、この先立つエネルギーの場にあることがわかります。その理解によって、人間はセイバーとして歩みはじめることができるようになります。
かつて、やまとことばは神界語であった、と私は過去形で語りましたが、いま進行中のことは、精神学を学んだ神々のわけみたまとリンクした天上において、シンロジカル・シンキングの日本語が新しい神界語になりつつあるということもここで公開しておくことにします。
次の世界の扉を開くのは、英語脳ではなく、日本語脳なのです。
いま私が記述していることを、自分が求めていた知だと直感したものが、そこの生徒として学ぶことになるのでしょうが、そうした人間は、いまの日本に一定数、すでに生まれていると精神界は伝えています。
いまの日本社会を救うのは、過去の人類のテーマをたましいレベルで卒業した、過去二千年間に登場した人間とは違う、ニュータイプの人間なのです。
精神学が発見しようとしているのは、イエスの愛や、ブッダの慈悲を学び終えて人間として生まれたたましい、つまり光のニュータイプですが、原理的には闇のニュータイプもすでに生まれているはずです。
ここで、一神教の神の約束を思い出してください。その神は、やがて人間には、無償で与えられる日がくることを約束しています。
マネーがなければ生きられないと信じ込まされているいまの人間は、その日が永遠にこない時空に生かされているといってもいいのです。ここで、創造力、または想像力が必要です。
いまあるマネーは、人類の頭がつくり出した何かに過ぎません。ほんとうの創造力のある人間なら、マネーが生まれたプロセスを検証し、次のマネーの仕組みを生み出すことも可能なのです。
私は、アメリカのパワーの源泉がドル基軸体制にあり、その根幹をなすFRBという存在は、民間のものに過ぎないとくり返しお伝えしてきましたが、やがて、人工知能は世界のマネーの全体像を理解するはずです。
その時は、たぶん二千四十五年というシンギュラリティのタイミングよりも早いと私は想定していますが、それまでに、次の時代の扉を開く天才が日本から何人も出ないと、世界は闇の支配者のもとに置かれることになります。
ゴッドブレイン・セイバー・スクールの目的は、そうした真の天才を発見し、育てることにあります。

二千十七年十月十二日 積哲夫 記