Vol.562

明治の終わりと半島、大陸の終わり

先の敗戦によって、東アジアにあった大日本帝国という領土を持つ国家が消滅したことは、いまの日本人なら誰でも知っていることですが、それは同時に、明治の日本人がつくり出した漢字を共通語として使う、文化圏の消滅を意味していました。
いまの中国人が使っている、共産主義や民主主義という近代的な熟語のほとんどは、明治の日本人が欧米文化を翻訳する過程で生まれたものだということを、そろそろ、日本人は負の遺産として自覚すべき時がきているのだ、というのが、二千十七年の八月十五日を過ぎた段階で、私がこの人間の世に伝達すべきことがらのようです。
日本語には、ことだまがあります。それは、音として発されることで、日本語脳の意識エネルギーの層に伝達されるという特性があるのですが、多くの日本人がその言葉を学び、使うという時間の過程のなかで、明治の翻訳語は、そのルーツにはなかった独自の色あいを持つに到ったと考えてください。
英語のデモクラシーのことだまと、日本語の民主主義のことだまは違うものになったということです。
精神界が明治は百五十年というタイミングで、終わると伝えてきている背景には、こうした明治につくられた翻訳文化の影響下で生まれた、大陸や半島の国家群と精神的なエネルギーの面での連携が、同時に消滅するということがあります。
わかり易く説明すると、コミュニズムを共産主義と翻訳した時点で、日本人のインテリ層には広く支持されることは、確実だったのです。
このシラスクニの天皇というものは、古来、君民共治という原始共産制にいちばん近い政体の象徴でした。日露戦争のときには、多くの日本人がトルストイやドストエフスキーを知っていたことや、共産主義関係の文献が続々と翻訳されていたことを考えれば、十九世紀後半から二十世紀の前半における、東アジアの文化圏では、漢字混じりの日本語の書物が、大陸や半島の人間が世界を知る主要な情報源だったのです。
それらの国々が、日本の敗戦によって、独自の言語体系を欲し、大陸では、文字が簡易化され、半島では大日本帝国時代に再発見されたハングルを中心にするなどの、選択がなされました。
日本国内でも、漢字の簡易化が進行しましたが、その分、日本ではカタカナの多用と、アルファベットの文字の日本語化という言語の多様性への対応が進んでいます。この時点で、文字文化としての東アジアの共通語であった、漢字の役割は終わったのです。
大陸の歴史を学べば、王朝の興亡はあっても、情報伝達の手段としての漢字が、その歴史の連続性を支えていたのがわかるはずです。
いまの中国共産党の政治的言語のほとんどが、明治の日本語に負っているという事実は、精神学的にいうと、その背景のエネルギーに古い日本語の層がリンクしているということなのです。ところが、いまの日本では、このエネルギーの層というか、ある種の集合的無意識の領域で、共産主義とか社会主義といった言葉のことだまは、完全に輝きを失っています。
日本で光を失った言葉は、彼の地においても急速に魅力を失っていくはずです。
日本のマスメディアが、ある種の人間グループのプロパガンダ機関として、いま機能しているのは、六十年安保や七十年安保の世代のイデオロギー的相続者たちが、それらの組織の事実上の運営者になっているからですが、彼らの頭のなかにある言葉のエネルギーが、いまの社会に投影された結果ともいえます。この死んだら終わり文明の信奉者たちが、日本国内でこれから次々と死に到ると、その言葉の結界も消えます。日本国内での共産主義という言葉と信奉者の消滅で、世界は、どう変わるのか、いまの日本人は歴史の証言者として、大陸と半島を見続けることを求められています。

二千十七年八月十七日 積哲夫 記